東日本大震災 人とのつながりの大切さ痛感| 木村敬一 パラアスリート③

東日本大震災のときは、家にいてとても怖かった

2011年3月11日の東日本大震災のときは、一人で家に居ました。余震もあって、とても怖かったことを覚えています。

目が見えないので、どこに何が落ちているのかもわかりません。家の中も外も、いつもと違っている所があったら、それはとても危険です。ただ、独りきりですと、まず何をしたら良いのか分かりません。とにかく情報を集めなくてはいけないと思い、おそるおそる外に出てみました。すると近所の人たちも外に出ていて、テレビを見た人たちからどんな被害が出ているのか聞きました。首都圏では交通機関が止まって、多くの帰宅困難者も出ました。私ももし外出していたら、どんなになっていたことでしょう。

千葉県北西部地震の時は階段を下りて避難しました

昨年(2021年)10月の千葉県北西部地震の際には、関東南部各地で震度5弱以上の強い揺れがありました。そのとき私は、勤めている東京ガスの寮の一人部屋に住んでいたのですが、その建物のエレベーターが止まって動かなくなりました。外に出ると、同じ寮に住んでいる方から声をかけていただき、一緒に階段を降りて避難することができました。

何か災害が起きたとき、私だけでは周りの状況を把握できません。誰かの助けが必ず必要です。防災設備が充実することはもちろん重要ですが、一番大切なのは人のつながりです。

④驚かされたアメリカの防災意識の高さ

<プロフィル>

木村敬一(きむら けいいち)

パラアスリート

2歳の時に病気のため視力を失う。小学4年生から水泳を始め、単身上京した筑波大附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)で水泳部に所属し、着実に力をつけ頭角を現す。ロンドン2012パラリンピックで銀・銅1つずつのメダルを獲り、リオ2016大会では銀・銅2つずつ日本人最多の4つのメダルを獲得した。2018年から単身アメリカに拠点を移し、4度目の出場となる東京2020大会では、200m個人メドレー5位入賞、100m平泳ぎ銀メダル、100mバタフライでは自身初となる悲願の金メダルを獲得した。2021年紫綬褒章受章。

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