情けは人のためならず…親切が紡いだ「縁」のおかげで戦火の満州を生き延びられた父

<この体験記を書いた人>
ペンネーム:みわちゃん
性別:女性
年齢:61
プロフィール:昭和をポジティブに生き抜いてきた父を尊敬し、パパ大好きな娘です。

今から77年前、第二次世界大戦の終戦間近の頃のお話です。
当時18歳だった父は、一人で満州に渡り、現地の大学で勉強をしていました。
中学生のときに父親を亡くし、母親に育てられていたので、仕送りなどはあるわけもなく、牛乳店、生肉店、饅頭店などでバイトをしながら食いつないでいたそうです。
冬は極寒の地ですから、「寒くなると牛乳屋は儲からなかったなぁ」などと言っていました。
戦争中ですから、どこからともなく流れ弾が飛んでくることもあり、飛び跳ねながら逃げたこともあると父から聞きました。
ある日のこと、町でソ連の将校さんに会ったのですが、その方は淋病にかかっていて、とてもつらそうにしていたそうです。
父は母親から「体調を崩したら飲みなさい」と渡されていた抗生物質の薬を日本から持ってきていました。
その頃は今とは違い規制が緩かったので、持って行けたと後から教えてもらいました。
その薬を将校さんに渡したところ、症状に合っていたのか完治したそうです。
将校さんから「お礼がしたい」と言われた父。
どんなお願いをしようかと悩み、ぎりぎりの生活をしていたので、お金が欲しいなぁとも思ったそうです。
でも、考えた末に「『私を捕まえるな』という証文を書いてくれませんか」とお願いをしたところ、将校さんは快諾して書いてくれたのだといいます。
父は兵士として現地にいたのではありませんが、一歩間違えればシベリア送りもあった時代ですから。
父はその証文があったおかげで、どこに行ってもフリーパス、捕まることはなかったそうです。
終戦後、日本への引き上げの船が出ました。
真夏の満州は、衛生面もよくなかったのでしょう。
その頃、父は赤痢にかかっていました。
刻々と迫る最終船の搭乗時刻、なんとか症状も収まり、その最終船に乗り込むことができたのだそうです。
帰国後、父は電車に乗り、母の疎開先である長野県の上諏訪に向かいました。
母親には何も知らせていなかったそうですが、上諏訪の駅に降り立ったとき、母親がたまたま駅のホームに立っていたのだとか。
劇的な再会となったそうです。
厳しい戦争の時代、父はソ連の将校さんに出会い、母親が持たせてくれた薬のおかげで将校さんを助けることができ、そしてお金の欲に走らなかったことで無事に日本に帰国することができたのです。
さまざまな奇跡のおかげで、私はこの世に生を受けることができたんだな…この話を思い出すたびにそう思います。


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