全日本体操選手権で銀メダルを獲得するなど、体操選手として第一線で活躍していた南友介さんは、大人になってからADHD(注意欠如・多動症)と診断されました。ADHDは発達障害の一つで、順序立てて行動することや待つことが苦手であったり、落ち着きがないなどの特徴があります。現役引退後は会社員として働き、現在は起業家として活躍していますが、その個性は、南さんの人生にどのような影響を与えてきたのでしょうか。発達障害の子どもとのつきあい方を書いた『マンガでわかる!“発達っ子”が見ている世界』を出版した南さんに話を聞きました。
忘れ物をしやすいという個性だから、してもいいように準備
――南さんの著書の監修を務めた脳科学者の茂木健一郎先生は、発達障害を「脳の個性」とも呼んでいます。ADHDと診断された南さんは、自分の個性をどう思っていますか?
南友介さん(以下敬称略) ADHDの特徴でもあるのですが、僕は小さいころからじっとしていることができませんでした。教室をウロウロしていて、よく先生に怒られたものです。その特徴は今もあまり変わっていません。会議中もじっとしていられないのですが、現在は、経営者という自分に合う働き方を見つけることができたおかげで「怒られなくてラッキー」みたいな(笑)。
――体操選手引退後は、会社員として働いていたこともあったとか。そのときに苦労したことはありますか?
南 会社員時代は、「9時に来なさい」「スーツを着なさい」みたいなことを言われるのがストレスでしたが、競技の世界で生きてきたこともあって営業成績はよく、社内表彰をされ海外旅行をプレゼントしていただいたこともあります。ただやっぱり、「言われたとおりにやる」というのがどうしても苦手なので、ストレスを感じない生き方をしようと、転職を2回したのち、自分で会社を作ることにしました。今は何時に来いとは言われませんが、会社員時代より早い朝7時には会社に来ています。服装も同じように、誰かに何か言われることがないので、社内では一番ラクで落ち着くジャージでいることが多いですね。
ただ、忘れ物がすごく多いので、秘書にはよく新幹線の忘れ物センターに取りに行ってもらっています(笑)。忘れ物しやすいという個性を自分でも理解していますし、忘れ物をゼロにするのは非常に難しいということも自分でわかっているので、「忘れ物をしても大丈夫」という準備はなるべくしています。たとえば、パソコンの中にはデータを入れずクラウドで管理する、なくしやすいイヤホンは高いものではなく安いものを複数持つ、書類をもらったらすぐに秘書に渡す、といったことなどです。仕事のタスクもなかなか覚えられないので、スマホのタスク管理アプリを使っています。
自分の判断で勝手に帰宅した小学生時代、怒られている息子を父は爆笑
――南さんは、大人になって検査を受けてみたらADHDであることがわかったそうですが、最初はその事実をどう受けとめましたか?
南 ショックというのはなくて、ホッとしたというか、「あ、やっぱりそうだよね」と思いました。むしろ「自分はADHDです」と相手にはっきり言えるようになったことで「得したな」と思うことのほうが多いですね。ちょっとできないことがあっても、「まあ、しかたないよね」とまわりも寛容に受けとめてくれるようになりました。
――小さいころに、困ったことはありませんでしたか?
南 片づけが苦手とか、靴下を履きたくないといったこまかいことはあります。まわりに迷惑をかけたことで思い出すのは、小学校時代のことです。校内の菜園で苗を植えたことがあって、作業終了後に教室に戻らないといけないことはわかっていたのですが、「もう授業は終わったようなものだし流れ解散でいいんじゃないか」と思って、僕は勝手に家に帰ったんです。そしたら、それが大問題に発展して、クラス全員で僕を探すことになった。結局友だちが、「ゆうちゃん、学校でみんな待ってるぞ」と家まで迎えに来てくれました。「さすがにやばいな」とあせって学校に戻ると、みんなが僕のことを待っていて…。総スカンでしたね。廊下に立たされて、「お前はこれだけの人に迷惑をかけたんだぞ」と先生に怒られましたが、学校の目の前が勤務先だった父がたまたまその様子を見ていて、爆笑していた姿をよく覚えています(笑)。
配信: たまひよONLINE