北海道浦河町に住む中学1年生の山角希(のぞむ)くん(12歳)。母の彩さん(45歳・看護師)は、父の康輔さん(47歳)、兄の歩(あゆむ)くん(16歳)、弟の漣(れん)くん(6歳)の5人家族です。希くんは頭部が前後に長い状態で生まれ、年長のときに「舟状頭蓋(しゅうじょうとうがい)」と診断され手術を受けました。2016年の11月末に手術を受けたあと、脳が事前の予測よりも大きく腫れてしまった影響で「高次脳機能障害」を患うこととなり、現在はてんかんの症状もあらわれるように。希くんの障害のことや現在までの生活の様子について、彩さんに話を聞きました。全2回のインタビューの2回目です。
平日は家族と離れて病院で暮らし、養護学校へ通っていた希くん
保育園の年長だった5歳の夏に「舟状頭蓋(しゅうじょうとうがい)」の診断を受け、6歳になった2016年の11月末に、「北海道立子ども総合医療・ 療育センター(以下愛称コドモックル)」での手術を受けた希くん。手術後、脳が事前の予測よりも大きく腫れてしまった影響で「高次脳機能障害」を患うこととなりました。当初2週間の予定だった入院は長引き、小学校1年生になった希くんはコドモックルの生活支援病棟で暮らしながら、併設する手稲養護学校に通いました。
「コドモックルの生活支援病棟は、リハビリなどが必要な子どもが保護者の元を離れて共同生活をする施設です。看護師さんやリハビリの訓練士さんたちに支援してもらいながら、希も平日には病棟から学校に通いました。金曜日の学校が終わる時間に家族の誰かが迎えに行き、日曜の夕方に家族のだれかが病院まで送って行く、という週末だけ自宅で過ごす生活を続けました。入院生活は1年生の3月まで続きました。
希が手術を受けた2016年の11月、私は第3子を妊娠していました。予定日は6月だったんですが、5月の連休の終わりに出血してしまい、救急搬送されて帯広の病院に入院、出産まで絶対安静になってしまい、帝王切開で6月に出産しました。
そのため希がコドモックルの生活支援病棟に入院しているときに面会に行ったり、週末の送迎をしたりはほぼできませんでした」(彩さん)
自宅のある浦河町から彩さんが入院していた帯広までは車で約2時間。希くんが入院していた札幌のコドモックルまでは車で約3時間の距離です。彩さんは実家近くに住んでいたために、毎週おじいちゃんおばあちゃんやパパ、彩さんの叔母さんなど家族総動員でサポートしてくれたのだそうです。
ショックを受けつつも、弟の障害を受け入れた長男
希くんは小学校2年生になる春、コドモックルを退院し浦河町の自宅に戻ります。通学はお兄ちゃんの歩くんと同じ学校の支援学級に通うことになりました。歩くんは、希くんが手術をしてから、ずっと弟の様子を気にかけていたそうです。
「きょうだい仲もよく、以前はいつも一緒に遊んでいたので、歩は『希はいつ帰ってくるの?』と気にしていました。けれど手術後の希は、高次脳機能障害の症状によって短期記憶が苦手で、感情のコントロールもできず、服を前後に着たり、と小学2年生になるというのに、行動は5歳くらい、といった状況でした。私は長男に希の状況を説明し『帰ってきても、あなたが知っている希じゃないと思う。前みたいには遊べないかもしれないよ』と説明をしました。
実際に希が帰宅してからの様子を見て、長男は『こういうことか・・・』と理解したようです。『前の希は帰ってこないのかな・・・』と少しショックを受けた様子でしたが、だからといってどうすることもなく、長男はそのままの希の様子を受け止めてくれました。家族の中でいちばんちゃんと希の受け入れができたのは長男だった気がします」(彩さん)
退院したころには、希くんに手術直後に見られた斜視はだいぶよくなってはいましたが、記憶することが苦手で、着る衣服の判断をすることも不得意な状況は続いていました。
「たとえば『今お皿を持ってきて』と一つのことを伝えれば実行できるけど、『お皿を持ってきて、そのあとにスプーンを持ってきて』というような二つのことを伝えると、実行できませんでした。『今日は暑いから半袖を着よう』といった判断が不得意で、衣服の後ろ前もわからないし、シャツが裏返しでも気がつかないことは今でもあります。
それでも、希のすごくゆっくりなペースではありますが、年齢が大きくなるとともに少しずつできることが増えてきました。短期記憶は難しくても、毎日のルーティンのように、朝起きてこれとこれが済んだら朝ごはんを食べる、というように習慣化して繰り返せばできるようになりました」(彩さん)
配信: たまひよONLINE