『テルマエ・ロマエ』など多数の漫画・エッセイ作品で知られる漫画家のヤマザキマリさん。イタリア人の夫をもち、日本とイタリアで暮らすヤマザキさんはこの度初めて絵本のイタリア語翻訳を手がけました。20代後半になるヤマザキさんの息子さんを子育てしていたときの絵本のエピソードや、初翻訳となった絵本について思うことを聞きました。全3回のインタビューの1回目です。
絵本は読む人によって自由に意味が変わるもの
――ヤマザキさんは息子さんが小さいころにどんな絵本を読んでいましたか?
ヤマザキさん(以下敬称略) 息子が小さいころ、私はシングルマザーで仕事と生活を両立させることに必死で、絵本を読み聞かせるようなゆとりはなかなかありませんでした。絵本ではありませんが、私も一緒に楽しめる昆虫や宇宙の図鑑なんかをよく眺めていました。絵本では自分が子どものころに読んだ、『ぐりとぐら』、『しろいうさぎとくろいうさぎ』、『てぶくろ』などですね。とくに『てぶくろ』は私のお気に入りでしたが、息子も同じく大好きでした。
おじいさんが落とした人間の手の大きさしかない手袋に、ネズミからクマまでの動物が入り込む『てぶくろ』の物語は超SFだと思います(笑)。絵本という可能性が最大限に生かされている作品だと思います。現実や見えている事象ばかりにとらわれず、旺盛な想像力を養う力を持った絵本ですね。
――ヤマザキさんは子育て中の絵本の大切さについてどう思いますか?
ヤマザキ 絵本は示唆に富んでいて、絵画を見るのと同じようにいろんな角度でいろんな解釈を許してくれるもの。「この絵本はこういう意味じゃなきゃいけない」という一方的で断定的解釈は、作家も読み手も求めてはならないものだと思います。絵本の物語の意味は、読み手の経験や価値観によって変わるものですからね。
すべてをきちんと説明しきるものでないところも絵本の美徳でしょう。漫画のように行動や言語がつぶさに描き込まれておらず、映画よりもはるかに抽象的に展開される世界の中から、自由に想像力をふくらませていくことができるわけです。昨今では子どもが活字に興味を示さないと嘆いているご両親が多いようですが、絵本を入り口にしておけば、そのあとは少しさし絵のある児童文学、さらに絵のない小説を読むというプロセスになるのだと思います。実際知り合いのお子さんはそうやって本好きになりました。絵本をたくさん読めば、自分の頭の中でいろんな世界を描ける想像力を楽しめるようになるはずです。絵本は子どもの想像力を育てる土台のような、そして大人になってからもおおらかな人間として生きていくための、基礎的存在なのだと思います。
世界にはさまざま価値観があると教えたかった
――ヤマザキさんが翻訳し、2023年2月に発行された絵本『だれのせい?』は、クマの兵士が、自分の家を壊した犯人探しをするストーリーです。
ヤマザキ ストーリーが進む中で、それまで利己的で正義を振りかざし、自己承認欲求のかたまりだったクマが、ふと自分の横柄さを自覚する場面があります。クマの表情が印象的なところですね。自分が正しい、正義だととらえているものが、果たしてまわりにとってもそうなのか、そしてその正義は実は単なるわがままだったのではないかと、読み手も気づく瞬間ではないでしょうか。
子どもは友だちとけんかをすると、どこかで自分は正しくて相手は間違っている、と考えてしまうことがあります。子どもたちだけではなく、大人の世界でもそうですね。自分を守るために、自分に責任を課さないために、だれかのせいにしたくなる気持ちはわかるけど、それによってほかの人が傷つく可能性もあることや、自分の正義は本当に正しいものなのか、もしかしたら自分はほかの子が嫌がることをしているんじゃないか・・・そんなふうに自分の行いを客観的に見るという力は、子どものころに身につけておくべきことだと思います。人間という群れで生きる社会的生物として、倫理をまわりと共有していく必要がある。ところが大人になっても、それができずに齟齬(そご)や軋轢(あつれき)が悪い行動を生み出し、戦争のようなことが起こる。自分を客観的に見るのは難しいことですが、狭窄的な考え方にとらわれず、いろんな価値観を知ることの大切さは、大人になってからも意識し続ける必要があると思います。
この絵本も、もちろん子どもに読み聞かせてもらってもいいと思いますが、大人の人にも読んでほしいと思っています。
――ヤマザキさん自身の子育ての中で、子どもにいろんな価値観を経験させることについてはどんなふうに考えていましたか?
ヤマザキ 息子には幼いころから外国に連れ出していますが、それは地球によって人の生き方がさまざまであるということ、いろんな環境がそこに生きる人に多用な価値感や考え方を与えているということを知ってもらいたかったからです。
私は17歳からイタリアに留学し、11年つき合っていた彼氏との間に息子を身ごもって、出産を機に彼氏とは別れることにしました。私は画家、相手は詩人。ふたりとも経済生産性がありません。未婚という状況を踏まえ、まずは子育てを優先順位にしたいということで、まずは日本に戻りさまざまな仕事を手がけました。そんなふうに特殊な環境で生まれた子どもなので、社会で生きていくために「普通と違う」という立場と向き合える強さを養う必要があると考えました。そのために「これしかない」という考え方ではなくて、世界にはさまざまな価値観や考え方があることを知ってほしかったんです。
私たちは国際引っ越しも何度も経験しています。その後結婚を機にシリアのダマスカスへ引っ越し、その後ポルトガルのリスボンに引っ越し、息子が高校1年生になるときにアメリカのシカゴに引っ越しています。夫はイタリア人ですから、年に何度もイタリアには戻るわけで、我々家族で交わす言語はイタリア語、私とは日本語、でも家の外ではその土地の言語、という環境で息子は育ちました。
――さまざまな世界の人と接する中で、息子さんは自分だけが正しいわけではないという価値観を自然に学んでいったということでしょうか?
ヤマザキ そうですね。たとえば息子がポルトガルの小学校に4年生で編入した登校初日のこと。言葉がわからないからコミュニケーションツールとして折り紙を折ったところ、たくさん子どもたちが寄ってきた。それをおもしろく思わなかったクラスのジャイアン的存在の男の子におなかにパンチを食らわせられたことがありました。泣きそうな顔で帰宅した息子を見て私は「どこのどいつだ!」と殴り返しに行く勢いでしたが、息子に「母がいくと大騒ぎになるから、大丈夫だから」と止められました。
日を改めて担任の先生に報告すると「大変申し訳ありません、あの子の家庭には複雑な事情があり、あちこちで問題を起こしてしまうんです」と言われ、それはしかたがないとなった。私が子どものころの学校環境だってそんなものでした。実際、その問題児は暴れることでしかコミュニケーションが取れないためにみんなに嫌なやつと思われていたわけですが、だからといって子どもたちは彼を排除するわけではありませんでした。息子の誕生日パーティにその子が現れて普通にみんなで遊んでいるわけです。お誕生日の席で大暴れすることもない。そういう倫理は備わっている。ポルトガルは子どもの間でも成熟した社会環境ができているなと感じました。
配信: たまひよONLINE