シングルで子育てに奮闘中の元SDN48・近藤さや香。産後はワンオペで体重は36kgに…体も心も悲鳴をあげ、それでも挑戦しつかんだもの

シングルで子育てに奮闘中の元SDN48・近藤さや香。産後はワンオペで体重は36kgに…体も心も悲鳴をあげ、それでも挑戦しつかんだもの

元SDN48のメンバーであり、現在はフリーアナウンサーやラジオパーソナリティとして活躍する近藤さや香さん。2024年3月には、エッセイを書き下ろした書籍『しあわせ護心術』を出版しました。プライベートでは、8歳の男の子を育てるシングルマザー。今回は、息子さんを妊娠・出産したころの話、かなり苦労したという保活について、さらに出版した書籍について聞きました。
全2回インタビューの1回目です。

1歳半まで1時間半おきの激しい夜泣きで、心も体も悲鳴をあげた

――息子さんを妊娠されていたころ、また出産はどうでしたか?

近藤さん(以下、敬称略) 妊娠中は、つわりも比較的軽かったですし、とにかく元気な妊婦でした。出産前の1週間ぐらいになって、やっと「おなかが重くなってきたから、そろそろ友だちとの予定もキャンセルしなきゃかな?」という感じで。

仕事も続けていましたね。当時は、CSの「グリーンチャンネル」で競馬番組のアナウンサーをやっていたのですが、放送の間はずっと座っていられたので、臨月まで仕事をしていたんです。それから私、あまり太ることがなくどうしてもやせてしまう体質なんですが、妊娠後期になって少しふっくらしてきたことで、顔色やツヤがよくなってきて、「なんか、調子いいかも!」と思うほど、健康的な妊婦生活でしたね。

出産は無痛分娩を選んでいて、出産時までは本当に順調でした。ただ、順調だったのはそこまでで、産後にこんな大変なことが待っているとは…という感じでいろいろなことが起こりました。会陰切開をした部分が炎症を起こしたり、感染症にかかってしまったりで、回復に相当な時間がかかりました。トイレに行くにも、ゾンビのようにはって行くことしかできないぐらいでした。産後は、もう二度と経験したくないほどつらかったですね。妊娠中が楽だった分、産後がつらすぎて、「結局、プラマイゼロになるんだな」と思いました。

元夫は仕事柄、あまり家にいなかったんです。1カ月のうち、1週間いるかいないかという感じでした。妊娠中もそうだったし、息子が生まれてからも「ワンオペは当たり前」と、自然に受け入れていましたね。家にいられるときは息子の面倒を一生懸命にやってくれていたけれど、私も元夫も初めての育児で勝手がわからず、できないことにお互いがイライラするということがよくあったと思います。私も産後のホルモンバランスの影響で気が立っていたこともあって、ちょっとしたことで言い合いになっていました。

――書籍のなかで、息子さんの夜泣きがひどかったと書かれていますね。やはり大変でしたか?

近藤 息子は1歳半ぐらいまでの間、毎晩1時間半おきに激しく泣いていました。「ちょっと異常かな、もしかして病気なの?」と思ったこともあります。ただ、これもプラマイゼロだなと思ったんですけど、うちの子って、外出先ではほとんど泣くことがなくて、全然手がかからない子だったんでですよ。なのに、家に帰ると泣き始める・・・、という感じで。

このころは仕事も再開していたし、私も眠れない状態が続いて精神的に参ってしまって。体重も36キロまで減ってしまいました。自分なりに夜泣き対策を試行錯誤して、夜中に息子が泣いたらすばやくミルクや麦茶などをこまめにあげると泣きやむことに気づいたので、それでとにかくしのいでいましたね。

あのころは、夜な夜なすごく残虐な夢を見ていました。体だけじゃなくて、心も悲鳴をあげていたんでしょうね。私の場合は、助けてくれる友人たちがいてくれたから、なんとかなったのですが、それがなかったらいつか倒れていたかもしれないと思うと怖くなります。

もし、自分の状態がおかしいなとか、つらいなと感じたら、迷わずに人の手を借りるべきだと思います。いざというときに助けてくれる人がいるということが、心のお守りになるんですよね。

産後の無理は禁物だけど、自分のために挑戦してみることも大切

――出産後は、仕事はどのぐらいで再開したんですか?

近藤 産後1カ月のころに、とある現場に行く仕事が入ったんです。産後で体はまだつらかった時期ではあったのですが、引き受けることにしました。そして、その仕事をしたことで「頑張っているね」と評価してもらえて、今のラジオのオーディションを受けることができたんです。

産後にあまり無理をしてはいけませんが、私はあのときにちょっと背伸びをして頑張ってみたことで、今の仕事につながったんだなと思っています。だから、何事も挑戦してみることって大事ですよね。

――朝の仕事をするために、保活でも相当苦労したと書籍に書いてありました。

近藤 産後3カ月のときにラジオの仕事が決まったんです。ラジオは、ずっと前からやりたいと思っていた仕事でした。普通の会社員なら、保育園を確保してから仕事に復帰すると思うんですが、芸能界はちょっと特殊で。私がその仕事を受けなかったら、ほかの人にその仕事が決まって、その枠は1年後、さらに何十年後だって空くとは限らないんですよね。そういう世界だから、今その仕事を取るか、もうやらないかの二択だと考えるようにしています。

よく、「子どもの命は自分の命よりも大事」と言いますが、私は、「自分ありきで子どもがいるんだ」と思うようにしているんです。自分が楽しくないと子どもも楽しくないだろうし、自分が一生懸命にならないと、子どもも一生懸命にはならないんじゃないかなと。

だからこそ、いただいた仕事をやると決めてから、全力で保活に挑みましたね。保育園を決めるための突破口は、きっと何かしらはあるはずと信じていました。仕事が決まってからの1〜2カ月は、ものすごい目をして保活をしていたいと思います。

――保活は、どんなことをしたんでしょうか?

近藤 まずは、とにかく調べまくりました。認可保育園、認証保育園、無認可保育園など種類もいろいろありますし、自分が住んでいる区内の保育園はもちろんですが、職場までの道のりにある保育園、都や県をまたいでの保育園まで調べつくしました。また、保育園によって、入園できる条件やルールがそれぞれに違っていて、それも保活の大変さのひとつでしたね。

このときも相当頑張りましたが、結局、当時の状況では保育園に入ることはできなくて…。それで、みなとみらいのスタジオが入っているビルの隣にある託児所に入ることになったんです。そこは枠にまだ余裕があったので、お金さえ払えば入ることができたんですね。ただし、保育料はものすごく高くて、働いているお金は、すべてそこに行っちゃうのでは?と思うほど(笑)

職場の隣なので、当然ですが、息子も一緒に職場まで来なくてはいけなくて…。朝5時台の電車に乗って通勤していました。われながら、よくやってたな〜なんて思います。

ただ、その託児所も朝8時からしか預けることができないので、スタジオに連れて来てもいいよと言ってもらえて。そのときはまだ息子が赤ちゃんだったので、抱っこしながら生放送の準備をし、8時になったら「行ってきます!」と言って、隣の建物に息子を預けに行き、戻ってきて準備の続きをするという日々でした。

実はそのころ、プライベートでは離婚調停が始まったんです。調停に関する書類を集めれば、もしかしたら保育園に入れるかも・・・ということを聞いて、それで役所に持って行ったんです。すると、それまでは、まったく入園できる気配もなかったのに、その書類を持って行った瞬間に、保育園への門戸が一気に開いて、好きなところを選んでくださいという状態でした。タイミングもあったのかもしれませんが、安堵すると同時に、「これってちょっと変じゃない?」とも感じました。

保育園は引っ越しなどに合わせて何度か転園しました。あるときは、自宅から職場までの乗り換え駅近くの保育園にして、その駅でシッターさんと毎朝待ち合わせをして息子を預け、私はそこから職場に向かうということをしていた時期もありましたね。

保活ではたくさん泣かされましたが、今振り返ってみると、すっかり笑い話にもなっています。私の中では、笑えるならいいやって感じです。

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