同じ境遇のはずの“上戸彩”に抱いた違和感…「当事者の漫画家」が群像劇に込めた思い<漫画>

同じ境遇のはずの“上戸彩”に抱いた違和感…「当事者の漫画家」が群像劇に込めた思い<漫画>

編集さんとの合言葉は「不作法にならない」

――本作では、「トランスジェンダー」というテーマが語られるシーンが少ないように感じるのですが、なぜでしょうか。

スタニング沢村:私は創作する時に、物語の中に直接的に人を属性分けするようなワードや社会的な問題への言及を入れ込もうとすると、どうしても筆が進まなくなるタイプだったのでそうしたんです。

 読んだ時にテーマばかりが際立たないように「“不作法(ぶさほう)”にならない」を合言葉にして、編集さんと常にディスカッションをしています。

 でも、トランスジェンダーであることを描こうとすると、結構すぐに“不作法”になりがちなんですよ。実際に生活で困るのはトイレのことだったりするので、すぐに社会的な仕組みや政治の話になってしまう。

 社会問題も視野に入れつつ、個人の受け取り方の問題に限定しないように、嘘偽りのない形で物語として描くのはさじ加減が本当に難しいです。

悩みがあっても、笑っているし友達もいる


――確かに、主人公が酷い目に遭ったり、差別に苦しむシーンばかりだと、読んでいて辛くなってしまうかもしれないですね。

スタニング沢村:私が子供の頃に見たトランスジェンダーを扱った作品は、ほぼ全部暗かったんです。特に印象的だったのは、『3年B組金八先生』で上戸彩さん演じる、学校では女子として扱われるトランスジェンダーが登場した第6シーズン。

 当事者の辛さを描くという点では画期的な作品だったし、それによって救われた人は沢山いると思うのですが、私は「悩んではいるけど、毎日こんなに辛くないし、笑顔で過ごしてるんだけどなあ」と思っていました。

「ここまで辛そうな顔をして生きていない私は、本当のトランスジェンダーとはいえないのかな」と感じて余計塞(ふさ)ぎ込んでいました。

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