茨城県に住む大貫麻由さんは、夫の功さん、長女、双子の柚日(ゆうひ)ちゃん、杏奈(あんな)ちゃん(ともに2歳6カ月)の5人家族です。2022年1月、麻由さんが妊娠25週のときに、柚日ちゃんは体重714g、杏奈ちゃんは体重760gで誕生しました。
現在は茨城県のリトルベビーサークル「hug」の代表として活動する麻由さんに、コロナ下での出産や産後の気持ちなどについて話を聞きました。
全2回のインタビューの1回目です。
双子の妊娠がわかり喜んだのもつかの間、子宮頸管が短いと診断され・・・
麻由さんは、同じ大学時代の先輩だった功さんとつき合いを始め、交際開始から4年後、麻由さんが24歳のときに結婚。その2年後、麻由さんは長女を自然分娩で出産しました。麻由さんと功さん子どもは3人欲しいと考えていたそうです。
「長女が1歳半を過ぎたころ、生理がこなかったので検査薬を使ったら陽性。すぐにクリニックを受診しました。そのころから、なんとなく2人いる気がするな、と思っていたんです。初回のエコーでは1人しか見えませんでしたが、2回目の健診で二卵性の双子だと判明。不思議な感覚でしたが、『やっぱり!』と思いました(笑)
初回のエコー検査後にすぐに母子手帳を1冊もらっていたのですが、2回目の健診で双子とわかり、またすぐに母子手帳をもらいに行きました。これって双子あるあるなのかも? 双子の妊娠がわかって、私はすごくうれしかったです。もともと3人ほしかったから『ラッキー!』って。でも夫は『まじかー!』と驚いていました。ハイリスク妊娠になるため、妊娠8週を過ぎたころに紹介状を書いてもらい、県内の総合病院に転院しました」(麻由さん)
ハイリスク妊娠のため総合病院で2週ごとに妊婦健診を受けていた麻由さん。妊娠中期にさしかかるころまで経過は順調でしたが、2021年12月末、妊娠22週の健診で子宮頸管が短いとわかり安静の指示が出ました。
「私の実家は事情があって頼れず、夫の両親も仕事をしていて、長女の預け先がないため入院が難しい状況でした。腹痛とおなかの張りがありましたが、張り止めの薬を服薬して自宅安静することに。とはいえ、当時2歳前の長女の相手をしながら、動かずにずっと安静に寝ていることもできず・・・。夫も仕事で早朝から深夜まで不在なので、激しい動きはもちろん控えていたものの普段どおりの生活をしていました。
妊娠25週3日目の朝、いつもと違うおなかの張りとチクチク感がありました。夕方には血が混じったようなおりものが出たため、病院へ連絡し受診。すると内診の結果、子宮頸管0mm、子宮口は1cm開いている状態とわかり、すぐに張り止めの点滴を開始し、そのまま入院することになりました。夫に1月いっぱいは仕事を休んでもらい、娘のお世話をお願いしました。
入院後2日間はおなかが張ったりおさまったりを繰り返し、いつ出産になるかわからない状況が続いていましたが、入院3日目に子宮口全開大となってしまい緊急帝王切開で出産することになりました」(麻由さん)
生まれた赤ちゃんは「最低限の骨と皮があるような小ささだった」
出産直前まで張り止めの点滴を最大量投与していた麻由さん。さらに赤ちゃんを包んでいる膜が炎症を起こしてしまったそうです。麻由さんは「副作用と炎症とで意識がもうろうとして出産のときの記憶があいまい」だと言います。
「それでも、生まれる瞬間に小さな産声が聞こえて安心したことを覚えています。きっと産声は聞こえないだろうと覚悟していたんですが、子猫みたいに『ふにゃぁ』ってとても小さな声が聞こえ、『生きていてくれた、よかった』と。
赤ちゃんを取り上げてすぐに、医師が私の顔の近くで見せてくれましたが、正期産で生まれた長女とは全然違う姿でした。赤ちゃんらしいふっくらした感じではなくて、最低限の骨と皮があるような・・・なんだかお人形みたいだな、と感じました。
双子とわかったころから、長女とは違う出産になるだろうと思っていたし、長女のお友だちのきょうだいで小さめに生まれた赤ちゃんの話も聞いたことがありました。だけどまさか1000g以下で生まれてくるとは考えてもいませんでした。
でも生きて顔が見られてよかったです。その後、双子はすぐにNICUに運ばれました」(麻由さん)
出産当日、夫の功さんはNICUの双子に面会し、帝王切開手術後で動けない麻由さんに双子の写真と動画を送ってくれました。
「夫から『二女の手に触れたら、跳ねのけられた』とメッセージがあり、『跳ねのける元気があるならきっと大丈夫だね』と笑いました。夫の面会のときに、医師から双子たちの状態についての説明があったそうで、私はその内容を夫からメッセージで教えてもらいました。
まず命が1日もつかどうか。超えれば3日、1週間と壁がある、とのことでした。ただすぐに命にかかわるような大きな問題はなかった、と。夫はきっと私が心配しすぎないように、情報をしぼって伝えてくれたんだと思います。『とりあえず3日間生きれば大丈夫』と言われ『頑張って!』と祈るような気持ちでした」(麻由さん)
麻由さんが心配しすぎないようにと、必要最低限のことだけ伝えた功さんでしたが、実は当時は「絶望的な気持ちだった」のだそうです。
「夫は私の緊急入院が決まって、双子たちが小さく生まれるかもしれないとわかってから、低出生体重児についていろいろと調べたらしいです。出産後しばらくたってから夫と話をしたときに『生きて帰れないかもしれない、重い障害が残ったらどうやって仕事と介護を両立しようか、お金はたりるか、とか、実は不安でいっぱいで落ち込んでいた』と聞きました。コロナ下の入院で、私が退院するまで夫とは会えなかったので、そんなに落ち込んでいたとはそのときは知りませんでした」(麻由さん)
配信: たまひよONLINE