戦後の木製模型から始まった!タミヤの歴史を紹介

第881回 今日のこれ注目!ママテナピックアップ
男の子のいるご家庭ならば、一度は通るであろうプラモデルやラジコン。それら模型最大手であるタミヤの社長、田宮昌行さんが亡くなっていたことが明らかになり、Twitter上ではファンの悲しみの声にあふれています。男子から絶大な支持を受けるタミヤとは、そもそもどうして今のような会社になったのでしょうか。その歴史を紹介します。

●木製模型からプラスチック製模型で大ヒット!

タミヤ創業者の田宮義雄さんは、戦後木製の模型で、戦艦大和など戦艦や飛行機の模型を制作していました。しかし時代はプラスチック模型へと移り変わっていきます。そこで投入された、単2形電池2本で自走する戦車のプラスチック模型が大ヒット! タミヤの地位を確固たるものにしていきます。

特にタミヤの模型はその精巧さが人気の秘訣と言われており、戦車や戦艦に取り付けられているボルトの一つひとつが、ただの凹凸ではなく、しっかり六角形に加工されているなど、目を見張るほどの職人芸が世界的にも評価されたのです。

戦車のプラモデル

●スーパーカーブームから始まるRCカー

1970年代になると、スーパーカーのブームが起こり、同時期にリモコンで模型を操作するRCカーが登場します。後にRCカーのレース番組が放送されるなど、空前のRCカーブームに。なかでもタミヤは京商と並び、トップメーカーとして圧倒的なシェアを拡大していきます。

また、RCカーの改造には不可欠な塗料や工具などの販売も手がけ、プラモデル制作には欠かせないメーカーへとも変わっていくのです。

●2度のミニ四駆ブームで不動の地位に

1980年代後半には、RCカーで人気のある車をベースに、リモコン制御を排除。小型化して単3型電池2本で動くミニ四駆を市場に投入。RCカーと比べた価格の安さ、改造の容易さなどから、小学生を中心に大ブームとなります。全国のおもちゃ屋さんにはミニ四駆のレース用コースが設置され、放課後や土日には、近所の子どもたちが自分のミニ四駆を競わせる姿がよく見かけられるようになりました。

1990年代後半にはミニ四駆を扱ったテレビアニメがヒットし、ミニ四駆ブームが再燃します。その後もミニ四駆は、工具を必要としない組み立ての簡単さと、それに対しての改造の奥深さなどから、未だに根強い人気を持っている商品となります。

亡くなられた田宮昌行さんは、初代ミニ四駆ブームの頃である1988年にタミヤに入社し、創業者義男さんの孫と結婚、婿養子という形で田宮家に入り、製品の海外展開に尽力されていたそうです。その結果、今では世界中の男子が、赤と青の星が並んだロゴを見ただけで、模型屋さんとわかるほどの知名度となったのです。
(文・姉崎マリオ)