話を聞いたのは、松果体部胚細胞腫瘍の闘病経験を持つ畑中聡一郎さん。畑中さんは新卒の薬剤師として働き始めて間もない頃、松果体部胚細胞腫瘍の脳下垂体多発転移と診断されました。現在はその自らの闘病体験を発信、オンラインがんサロンも運営するなど、精力的な活動もしています。畑中さんの話から脳腫瘍という病気への理解を深め、病気で困っている人を助けるために何ができるのか考える機会にしましょう。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年4月取材。
体験者プロフィール:
畑中 聡一郎
20代男性。2020年6月頃から寝起きの吐き気と頭痛、疲労感、右方向を見たときの視界の歪みを認識するようになった。2020年7月に眼科を受診すると、脳腫瘍の疑いで緊急入院となる。MRI検査によって「脳腫瘍(胚細胞腫瘍)」と判明し、グレード4の脳下垂体・松果体までの多発転移が起こっている状況と判明。すぐに手術を行い、その後は抗がん剤治療と放射線治療も実施。現在は抗てんかん薬の内服を続けながら、フルタイムで薬剤師として働きつつ、がん患者に向けた情報発信などの活動を行っている。
記事監修医師:
村上 友太(東京予防クリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
社会人1年目に襲い掛かる「人生が終わった」と思う大病
編集部
初めに畑中さんの経験された脳腫瘍、下垂体・松果体の多発転移について教えてください。
畑中さん
私が罹患した脳腫瘍(胚細胞腫瘍)は、ジャーミノーマ(胚腫)という種類で、10~20代の若い男性に発症しやすいとされています。主に脳の下垂体や視床下部、松果体、大脳基底核という部位に生じやすく、ほとんどのケースでMRI検査から判明するそうです。症状として多いのは尿崩症(大量の水を飲み、尿量が増加する症状)や視力低下・視野欠損、水頭症による頭痛と嘔吐などです。私の場合は酷い疲労感もありました。
編集部
畑中さんが病気の診断を受けるまでの経緯も教えてもらえますか?
畑中さん
2020年4月から新人薬剤師として働き始め、2か月が経過した6月ごろから朝起きた時に酷い吐き気と頭痛、右方向を見た時にのみ視界の歪みが起こるようになりました。疲労感も酷く、毎日8時間程度睡眠を取っても疲れが取れませんでした。「さすがにこれは怪しい」と思い、自分なりにGoogleで調べた結果、脳腫瘍と言うワードがヒットしました。しかし、「流石にそれはないだろう。働き始めたばかりだから疲れているだけだ」と思っていました。
編集部
そこからどのように判明したのですか?
畑中さん
そろそろ休みをもらわないと身体が限界だと思っていた矢先に、職場の健康診断があり、そこで視界の歪みの症状を訴えた結果、眼科へ行くように促されました。精密検査の結果、脳腫瘍の可能性が高いとのことで緊急入院になったというのが判明までの経緯です。
編集部
その結果、病名が判明したのですね。
畑中さん
はい。MRI検査で脳腫瘍ということがわかり、すぐに緊急入院して視覚障害改善目的の第三脳室開窓術(脳の底に穴を開け、頭の中にたまっている水の流れを良くする手術)と、腫瘍生検術を行いました。そして、腫瘍生検術でジャーミノーマ(胚腫。WHOグレード4)の下垂体、松果体多発転移であると発覚しました。
編集部
病気が判明したときの率直な心境を聞かせてください。
畑中さん
告知されたときは、「人生終わった」と思いました。健康診断で眼科へ行くよう言われ、眼科では水頭症の影響で脳の圧力が高すぎて視神経乳頭(目の奥の神経と血管の付け根)から出血していると言われていました。眼科から脳腫瘍疑いで精密検査を勧められ、検査では悪性か良性か、どのくらい進んでいるかも不明と言われたので余計に。
編集部
治療についてはどのように進めると説明されたのですか?
畑中さん
「すぐに入院し、明日には緊急手術です」と言われました。その後は「抗がん剤と放射線でがんを治療していく」と説明を受けました。
編集部
治療期間中に特に大変だったこと、ご自身の中で大きな変化があったことはありますか?
畑中さん
すぐに緊急入院したことに加え、当時はコロナ禍だったこともあり、病院からは一歩も出られず、面会禁止の状態でした。食べたいものも食べられず、会いたい人にも会えない生活が始まりました。まさに人生が180度変わったような感覚でした。また、退院後の話ではありますが、体力面からフルタイム薬剤師として働けるだけの体力がなく、パートタイムでしか働けない時期があり、社会人1年目ということもあって出遅れて苦労しました。脳腫瘍の後遺症でてんかん発作が起きてからは車に乗れなくなり、そこも生活では一番の変化でした。
治療の副作用と思わぬ後遺症で再び絶望が襲った
編集部
治療中に大変だったこと、副作用で辛かったものはありますか?
畑中さん
最初に大変だったのは手術後に酷い髄膜炎を患い、痛みのスコアを表すNRS(痛みを0〜10の11段階で表現するスコア)で10の頭痛と、40度以上の高熱に2週間苦しめられたことです。ハンマーで殴られたような頭痛が襲ってくるため、6時間毎に痛み止めの点滴を受けて何とか乗り越えました。
編集部
ほかに大変だったことで思い浮かぶのはどんなことでしょうか?
畑中さん
抗がん剤と放射線治療の副作用です。吐き気、倦怠感、脱毛などがありました。脱毛は抗がん剤投与から10~14日目に起き、髪の毛を掴んだら掴んだ分だけ抜けるほどだったため、バリカンですべて剃りました。副作用で特に酷かったのは食欲不振で、ご飯は入らないのに空腹感を強く感じる状態で苦しかったです。看護師さんやナースエイド(看護助手)さんがお菓子やジュースを差し入れてくださり、そのおかげで乗り越えられました。
編集部
畑中さんが治療中に心の支えにしていたもの、支えになってくれた人はどなたでしたか?
畑中さん
大学3年生から交際していた彼女の存在です。コロナ禍で面会は禁止でしたが、日々電話やLINEで連絡を取り、私がどんなに辛いときも支え続けてくれました。がんと診断されても別れずに一緒にいてくれたため、「この人と結婚したい」と思うようになり、抗がん剤治療の2クール目が終わったタイミングでプロポーズしました。また、地元の友人も毎日のように電話をして、連絡を取り続けてくれました。ほかにも、看護師さん、ナースエイドさん、理学療法士さん、作業療法士さん、言語聴覚士さんなど、色々な方々に良くしていただき、入院生活中はたくさん支えていただきました。
編集部
現在の体調や生活の様子についても教えてください。
畑中さん
てんかんを患ってしまったので、てんかん発作を引き起こさないためにも毎日睡眠時間を6~8時間確保しています。極力疲れを貯め込まず、身体に負担にならないよう気を付けて生活しています。また、週1回ジムに通って筋トレ、そのほかの日にランニングなど、日常的に身体への負担にならない範囲の体力トレーニングも行っています。
編集部
てんかん発作はどのようにして起こるようになったのでしょうか?
畑中さん
4か月の闘病を終えて退院したのが2020年11月、その後体力と相談しながら週2、3回薬局薬剤師として働き始め、半年ほどが過ぎた頃です。いつものように仕事を終えて帰宅し、家で休んでいたところ、人生初のてんかん発作を発症しました。救急車で病院に搬送され、「症候性てんかんの疑い」で入院となりました。
編集部
症候性てんかんになったことで、生活にはどのような変化がありましたか?
畑中さん
当時は車がないと不便なエリアに住んでいたことと、自分の闘病経験を生かして患者さんに寄り添いたいと思うようになったことで、都市部の病院薬剤師に転職しました。2年間は運転禁止でしたが、その間一度も発作がなかったため、一度は運転も解禁されました。しかし、その2か月後に再び発作が起こり、現在は抗てんかん薬のレベチラセタムを服用しています。
配信: Medical DOC