世間の常識って本当に正しいの? 離婚式、涙活の寺井広樹さんに聞く「ポジティブにひっくり返す方法」

世間の常識って本当に正しいの? 離婚式、涙活の寺井広樹さんに聞く「ポジティブにひっくり返す方法」

能動的に涙を流し心のデトックスを図る「涙活」、離婚を考えている夫婦の再出発を応援するセレモニー「離婚式」。これらはプランナー・寺井広樹さんから生み出されたものだ。

ネガティブなものをポジティブに変換する寺井さんの生き方とは? 今まで世になかった企画を生み出す原点について話を聞いた。

高校生のころの“トイレットランチ”

――子どもの頃はどんな性格でしたか?

どんなことでも疑問に思ったことは調べまくる、変わった子だったと思います。小学生の頃に「結婚式があって、なんで離婚式が無いんだろう?」と思い、親に聞いたら「そんなのあるわけないやろ(笑)」と言われたのを覚えています。子どもながらに、変なこと言っちゃったのかな? という感覚はありましたね。友達にも共感されなくて。

――中学2年生のときに、阪神・淡路大震災に遭われたそうですね。

はい。家が半壊して、避難所生活が数週間続きました。親しかった友達を亡くしたことがすごくショックで。同じ年の8月に、祖父も亡くなったんです。身近な人の死を2度経験し、漠然とした不安の中で「ポジティブに考えないとやっていけない」「なんでもプラスに捉えよう」という意識が芽生えたのかもしれません。

――高校生の頃はどんな生活でしたか?

高1までは普通に過ごしていたんですが、高2でクラス替えしたとたん、まわりに友達がいなくなってしまって。気づけば、話しかけても無視されるようになりました。

居場所がなくて、トイレや生物実験室でお昼ごはんを食べてた時期もありましたね。いわゆる「便所メシ」ですが、名前が良くないなと思い「トイレットランチ」と名付けました。言い方を変えただけで行動は変わっていないんですが、それだけで気持ちが軽くなったんです。名前の付け方ひとつでイメージが変わる、ということを体感した瞬間でした。

仕事を辞めて海外へ

――大学卒業後は就職されたのですか?

お世話になった先輩に「これからは人材ビジネスがアツイぞ」と言われて、人材派遣会社に就職しました。飛び込み営業で1日100軒ぐらい回りましたね。

毎日終電まで働いていて。仕事は楽しかったんですけど、ある時ふと旅に出たい誘惑にかられて、会社を辞めて海外放浪の旅へ出ました。

実は、最初から「3年働いたら辞めて、次のステージへ行ったほうがいいな」とも考えていたんです。結局、1年ぐらいずっと海外にいました。一度も日本に帰らず、数えてみたら全部で22カ国を周ったことに。

――会社を辞めることについて、ご両親の反応はどうでしたか?

そもそも美術大学への進学やアート系に興味があったんですけど、親のことを思って無難な方向に進んでしまっていました。社会人になって、その気持ちが収まらなくなったんです。親もその気持ちを察してくれたんでしょうね。

父は証券会社のサラリーマンだったんですが、仕事もできてカッコよくて家族も大事にする、人間的にも素晴らしい人で。尊敬しています。

子どもの頃から、父に対するコンプレックスがあったんですよね。「父親みたいになりたい、父を越えたい。でも無理だろうな」と。このままじゃ、確実に父は越えられない。じゃあ、違うフィールドに行ったほうがいいな、と思ったんです。「やりたいことは分からないけど、とりあえず海外に行ってみる」と。

――1年間の海外生活で、何か変わりましたか?

海外に行くと15時とか17時に閉まる店もあって、すごいなと思いましたね。サラリーマン時代、毎日終電まで働いていたのとまったく違う世界があった。働き方の多様性を見たら、選択肢がぐっと増えたんです。その頃から「会社勤めじゃなくて、自ら仕事を生み出してお金を稼ぐ」のもアリかなと思いはじめました。

あとは、海外を旅する途中で、「試し書き」がすごく気になって。文具店の筆記具を売っている棚の近くには、たいてい試し書きができる紙が置いてありますよね。

試し書きした紙って、お国柄や書いた人々のキャラクターが浮かび上がることに気づいたんです。紙もペンもさまざま。すごく興味深いなと思い、お店の人に許可を取って集め始めたら楽しくなって。途中からはとにかく「試し書きを探す旅」になってましたね。


「試し書き」に出会ったのは2007年、ベルギーを旅しているとき。以来、世界中の「試し書き」を集め、ニューヨークやブータンなど国内外で「世界タメシガキ博覧会」を開催

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