松本は「おばちゃん」と言われ、また言うのは
『A‐Studio』では笑福亭鶴瓶が松本を「おばちゃん」と言い、松本は野田も「おばちゃん」だと言っていたが、その意味は、細かいところが気になる、かつ、自論を譲らないということだろうか。同じおばちゃんでも、そのこだわりはそれぞれ違う。
巨匠・野田に意見を言うのはなかなかおそれを知らない気もするが、完璧の美学を持つ人がいてもいいし、手こずることを愛する人がいてもきっといい。
『正三角形関係』では三兄弟の生き方はそれぞれ違う。富太郎は花火を作り、威蕃は物理学者を目指し、在良は神に仕える者になる。また、富太郎の父殺しの裁判では不知火弁護士(野田秀樹)と盟神探湯検事(竹中直人二役)が無罪か有罪かで対立する。また、長澤まさみは、神に仕える生真面目な青年と、富太郎と父に取り合いされる奔放で妖艶なグルーシェニカという真逆に見える二役を演じ分ける。
3つの生き方や2項対立に世の摂理をうっすら感じると同時に、演劇界の神のような野田に向かって自論を臆することなく提案する松本の姿にもまた世界の一端が見えるような気がするのである。
『どうする家康』のあとで野田の舞台に出た必然
混沌(こんとん)とした世界のなかで誰も失敗しない完璧さを求める松本潤に、筆者は昨年彼が演じた大河ドラマ『どうする家康』(NHK 23年)の徳川家康を思うのである。
家康は子どもの頃からずっと戦争の悲惨さを目の当たりにし続けたすえ、豊臣との最後の決戦・大坂の陣で乱世を終わらせようとする。大砲によって破壊された大坂城の惨状に愕然(がくぜん)としながらも、そこから戦のない江戸幕府が264年もの長きにわたって続いた。その礎を築いたのが家康である。
『正三角関係』はロシアの物語を下敷きにしながら極めて日本の切実すぎる物語なのだが、それをロンドンで上演したら(10月31日〜11月2日)、イギリス人はどう見るだろう。
もしもイギリスの観客が、松本潤は、英国におけるBBCのようなNHKで徳川家康を演じた俳優であるという情報を得たならば、彼が『正三角関係』で演じた役に1本の補助線が引かれるのではないだろうか。
大河の前に、NODAMAPに出るのではなく、大河のあとでNODAMAP に出た必然がそこはかとなくあるように感じてしまうのである。
配信: 女子SPA!