日本におけるファストフード文化を語るうえで、ケンタッキーフライドチキン(以下、KFC)の存在は外せないだろう。なかでも、唯一無二の「オリジナルチキン」と創業者のカーネル・サンダース氏(以下、カーネル氏)はあまりにも有名だ。
しかし日ごろから店舗を利用していても、カーネル氏のKFC創業までの経緯やシンボルである立像の秘密などについては知らない人も多いのでは?
本日11月21日は、そんなKFCの国内1号店がオープンした日であり、「フライドチキンの日」としても知られている。そこで今回、KFCの知られざる秘密に迫るべく、日本KFCホールディングス株式会社 広報室・青木薫さんに話を聞いた。
■30種類以上の職業を経てKFCを創業したカーネル氏
今でこそ世界的に有名なファストフードチェーンとして知られているKFCだが、創業者のカーネル氏は家計の事情で10歳から働き始め、ペンキ塗り、軍隊、鉄道員など、実に30種類以上の職業を経験したのだとか。
「ガソリンスタンドを経営するなかで、周囲に食事のできる場所がないことに気づいたカーネルは、40歳のときにスタンドの倉庫を改装し、小さなカフェを開店。このとき初めて食事を提供しました」
カフェはたちまち評判となり、やがてレストランになった。人気メニューはフライドチキン。カーネル氏は、利用客にさらなる喜びを提供したいと、日々レシピの改良を重ね、10年の歳月をかけて、今のKFCの基礎となるオリジナルチキンのレシピを完成させた。
「紆余曲折を経て、1955年にカーネルはKFCコーポレーションを創業。わずか8年で600店舗まで急拡大させた。そして90歳でこの世を去るまで、KFCの親善大使として世界中にオリジナルチキンのおいしさを広め続けました」
■KFCのシンボル「カーネル立像」は日本発だった!
KFCの店舗を訪れると、必ずと言っていいほど目にするのが、創業者であるカーネル氏の等身大の立像だ。これはカーネル氏の60歳ごろの姿をもとに製作されたものだが、実は店頭に設置したのは日本発なんだそう。
「1970年に日本初上陸を果たしたKFCですが、シンボルである赤白のストライプがまだ一般的ではなかったため、電気店や理髪店と間違われることもありました。そこでカーネル氏の立像を店頭に置いて、KFCというブランドを広く知ってもらおうと、日本KFCの創業メンバーがカナダからわざわざ日本へ運んできたそうです」
しかし、実際のカーネル氏は身長180センチ、体重90キロと大柄な人物だった。そのため等身大の立像をつくるのは難しく、輸送や設置も考慮し、体重を26キロに調整して製作された。現在では約500店舗に設置され、KFCのシンボルとなっているが、なかには珍しいタイプもあるそうだ。
「かねてよりカーネル立像は、子どもたちから大変人気がありました。そして、より多くの子どもたちとの触れ合いを願い、2018年に『おすわりカーネル』を製作しました。設置場所は、ファミリー層が多く利用するショッピングモールやスペースに余裕のある店舗を選んでいます」
以下、「おすわりカーネル」が設置されている店舗だ。
※2024年4月末時点
・宮の森店(北海道)
・サンロード青森店(青森)
・イオンモール盛岡インター店(岩手)
・イオンモール盛岡南店(岩手)
・仙台駅前店(宮城)
・ザ・モール仙台長町店(宮城)
・イオンタウン郡山店(福島)
・東川口店(埼玉)
・ららぽーと新三郷店(埼玉)
・ららぽーとTOKYO-BAY店(千葉)
・大崎ニューシティ店(東京)
・ホームズ新山下店(神奈川)
・福井ベル店(福井)
・デリスクエア今池店(愛知)
・イオンモール京都桂川店(京都)
・セブンパーク天美店(大阪)
・ららぽーとEXPOCITY店(大阪)
・ららぽーと門真店(大阪)
・カジル岩国店(山口)
・フジグラン松山店(愛媛)
・イオンモール高知店(高知)
・小倉足立インター店(福岡)
■かつて大阪の道頓堀川に投げ入れられたカーネル立像の今
1985年、プロ野球ファンたちの熱狂のなか、大阪の道頓堀店(現在は閉店)のカーネル立像が道頓堀川へと投げ込まれたことを覚えている人はいるだろうか。それから24年後の2009年3月10日、奇跡的に引き上げられたカーネル立像は「おかえり!カーネル」の愛称で親しまれたが、現在はどうなっているのか。
「奇跡の復活を遂げた『おかえり!カーネル』は、当時の東京本社や大阪のオフィスを始め、いろいろな場所で展示され、多くの方に愛されてきました。ですが老朽化により保管が難しくなったため、2024年3月8日に大阪の住吉大社で人形納めを行いました」
続けて青木さんは、「2023年のプロ野球球団の優勝時には『おかえり!カーネル』にご注目いただいたことで、ブランドの認知向上につながりました」と語る。
■2025年で日本上陸55周年!KFC国内1号店が「名古屋」だったワケ
そんな日本KFCの歴史は、名古屋から始まったのをご存知だろうか。当時の日本KFCの親会社が鶏肉を使った新たな事業展開を模索するなか、当時ささみの消費量が日本一だった名古屋に目をつけ、1970年11月21日に国内1号店「名西店」をオープンした。
「当時の日本において、フライドチキンはまだまだなじみのない食べ物であり、自家用車を持つ家庭も少なかったのです。そのため、郊外型店舗でテイクアウト中心という、米国式のビジネスモデルは日本人の生活スタイルに合致せず、国内1号店は開業からほどなくで閉店を余儀なくされました」
だが、東京・青山での成功を足掛かりに、日本全国へと急速に店舗数を拡大し、1973年には100店舗を達成した。その後も勢いは衰えることなく、2025年11月21日には日本上陸55周年を迎える日本KFC。最後に、同社の今後の展望について話を聞いた。
「これまでは、誕生日やクリスマスといった特別な日の食事として親しまれてきたKFCですが、今後は日常的にもご利用いただける『エブリデイブランド』を目指し、さまざまな取り組みを実施していきます」
創業から半世紀以上愛されてきたKFC。これからも変わらないおいしさで、多くの人々にしあわせな時間を提供しつづけてほしい。
取材・文=西脇章太(にげば企画)
配信: Walkerplus
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