テレビ番組の特集で知った「チャイルド・ライフ・スペシャリスト」に感銘。病気と闘っている日本の子どもたちを支えたい・・・【体験談】

テレビ番組の特集で知った「チャイルド・ライフ・スペシャリスト」に感銘。病気と闘っている日本の子どもたちを支えたい・・・【体験談】

チャイルド・ライフ・スペシャリスト(以下、CLS)という仕事を知っていますか。病気の治療で入院・通院する子どもとその家族に寄り添い、精神的に支える専門職です。1児の母でもある石塚愛さんは、神奈川県内の大学病院では初で、横浜市小児がん連携病院でも初のCLSとして、横浜市立大学附属病院で勤務しています。石塚さんがCLSをめざした理由や、病院に入院する子どもたちとのエピソードなどについて聞きました。
全2回のインタビューの前編です。

CLSになって病気と闘う子どもを支えたい。その一心でアメリカに留学

――石塚さんがCLSのことを初めて知ったのは高校生のときだったとか。

石塚さん(以下敬称略) 中学生のころから子どもにかかわる仕事につきたいと考えていて、保育士さんがいいかなと思っていたんです。当時は、CLSという職種があることはまったく知りませんでした。

実は、CLSのことを私に教えてくれたのは父なんです。父がテレビの番組で、日本で最初にCLSになった人を取り上げていたものを見たそうで、「この仕事がいいんじゃないか」って教えてくれました。私も再放送でその番組を見ることができ、医師や看護師とは違う方法で病気の子どもに寄り添う姿にすごく感銘を受け、「CLSになりたい!」って強く思ったんです。高校1年生のときのことです。

――石塚さんは高校3年生のとき、1年間アメリカ留学をしたそうです。語学力のためでしょうか。

石塚 そうです。CLSになる方法を調べたところ、日本にはCLSの専門課程がある教育機関がなく、CLS認定試験の受験資格を得るには、北米の大学・大学院で学ばなければいけないことがわかりました。英語での授業についていくには、かなりの英語力が必要。まずは英語力を高めようと考え、高校生のときに留学しました。

帰国後、日本の大学に進学。CLSの受験資格の条件に心理学の履修が含まれていたので、大学では心理学を専攻しました。
そして大学卒業後に再度アメリカへ。大学院でCLSの資格認定に必要な指定科目を学んだあと、600時間のインターシップを経験しました。その中でCLSに求められる知識、スキル、コミュニケーション力を、医療現場で通用するレベルにまで高め、やっとCLSの資格を取得できました。
ようやく病気と闘う日本の子どもたちを支える仕事ができる・・・と、ものすごくうれしかったです。

――アメリカ人の夫さんとは、アメリカ滞在中に知り合ったそうですね。

石塚 そうです。とても安心できる存在で、ゆくゆくは結婚したいと感じていました。でもつき合う段階で夫には、「日本の子どもたちを支援するためにアメリカに来たのだから、大学院卒業後は日本の病院で働きたい」と伝えました。夫は私の気持ちに歩み寄り、「それなら将来は僕が日本に行くしかないね」と言ってくれたんです。
アメリカで結婚したあと、夫とともに日本に来て、日本で籍を入れました。そして、その翌年に息子が生まれました。

2カ月程度の試行期間ののち、正式に病院のスタッフとして雇用される

――帰国後、横浜市立大学附属病院で、CLSとして働き始めました。

石塚 当時、横浜市医療局が「チャイルド・ライフ・スペシャリスト試行派遣事業」を行っていたんです。その事業に参加していた施設の1つ、横浜市立大学附属病院に応募し、採用されました。神奈川県内の大学病院では初、横浜市小児がん連携病院でも初のことでした。

CLSが多職種と連携して子どもを支援しているのはアメリカも日本も同じなのですが、アメリカの場合は日本と違って、CLS独自の部署があったり、CLSの介入の必要性を判断するアセスメントツールを導入している病院があったりします。そのあたりに違いを感じました。

また、私がアメリカでインターンシップを経験した病院の病室は、バス・トイレつきの個室がスタンダードで、大部屋はありませんでした。個室だから家族の面会は自由で、入院中の子どもがいつでも家族に会えるのはいいなと思いました。
でも、子どもたちがお互いにピアサポートになり、励まし合い、共感しあえるのは、同じような境遇の子どもたちが一緒に過ごす大部屋だからできること。
個室にも大部屋にも、それぞれにいいところがあるということも学びました。

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