ほっしゃん。から本名に戻して活動中の星田英利。「初執筆した本の題字は娘が書いてくれた」2児の父の素顔も

ほっしゃん。から本名に戻して活動中の星田英利。「初執筆した本の題字は娘が書いてくれた」2児の父の素顔も

2014年に芸名を「ほっしゃん。」から本名に戻し、現在は俳優として活躍している星田英利さん。コロナ禍に精神的に落ち込み、経済的にも不安な中で自分自身を保つために物語をつむぐ作業に没頭したといいます。初の小説「くちを失くした蝶」(KADOKAWA)は、貧困やいじめ、ネグレクトなどに直面し「死」を意識する女子高生が主人公。星田さんの幼いころの記憶をたどりながら、どんな思いで書くことに向き合い、生きる意味を見い出したのか聞きました。
全2回インタビューの前編です。

コロナ禍、「完成しないように」という思いで書いた初めての小説

――リアルな描写やストーリー展開に一気に引き込まれました。小説は自身の育った環境と重なる部分があったのでしょうか?

星田さん(以下敬称略) 自分の経験を書いたというよりも、今の社会問題をヒントにしました。出版が決まってからは10代の子どもたちが抱えている問題を文章化したものとして間違っていないか、ということをまわりに確認しながら書き進めました。

――主人公は女子高生の「ミコト」。女子高生にした理由はあるのでしょうか?

星田 最初は僕と同じような年代の男の人の話を書いていたんですが、『ちょっと違うな』と思ってやめて、次は男の子を主人公で書き出したもののしっくりこないな・・・というふうに、書いてはやめてを繰り返していくうちに「ミコト」という女子高生が誕生しました。

――とくに携帯のアプリ「LINE」によって心が疲弊していく描写がリアルでした。

星田 僕の子どものころとは違い、今の子どもたちは生まれたときから携帯が存在していてSNSのアプリで気楽に連絡がとれる時代です。だからこそストーリーの中にLINEのやりとりがないのはリアリティーに欠けると思い、その部分は慎重に書きました。
コロナ禍で仕事もない状態のときにこの小説を書き始めたわけですが、完成してしまったら自分も目的を失い、終わってしまうという感覚があり「完成しないように」という思いで書き続けていました。

――「完成しないように」という感覚だったのですね。出版を目的として書き始めたわけではないのでしょうか?

星田 僕は基本、単身赴任の形で俳優の仕事をしていて、そんな中でのコロナ禍は家族にも会えない、仕事もない、経済的にも苦しいという状況でした。生きる気力さえ奪われかけているときにその感情から逃げるために、もがきながら書きました。その時点で世に出すなんて、これっぽっちも考えておらず、むしろ家族宛てに「遺書」を残すような感覚で書いていました。
書き上がったところでマネージャーに「こんなん書いたんだけど・・・」と話したことがきっかけとなり、ありがたいことに出版までつながりました。

女子高校生の主人公「ミコト」の家庭環境と、星田さんの家庭環境の違いとは?

――そもそも文章を書くことは得意だったのでしょうか?

星田 小さいころ、両親がよく本を買ってくれました。だからか、子どものころから話すよりも書くほうが好きでした。作文や読書感想文をほめてもらった記憶もあります。小学生の高学年で星新一さんのショートショートにハマってすべて読みました。

――主人公「ミコト」の家庭は両親が離婚している上にネグレクトで、愛情に飢えた描写がありますが、星田さん自身はどのような家庭環境で育ちましたか?

星田 厳しい家庭だったので本当によくしかられました。でもしかられながらものびのびと育ててくれたように感じています。
この前、8年ぶりに親に会いましたが、会って話していると深くつながっているという感覚がありました。そして、安心させたら一気に老けてしまうような気がしたので、子どものままで心配をかけ続けたろ・・・という思いもありました。「もっと会いに行きたいけれど、会えへん」というような複雑な気持ちもあるんですよね。

――星田さんの育った環境を知ると、「ミコト」の家庭環境とは違うように思いました。

星田 僕自身が育った家庭、今の自分が築いている家族とも真逆なのでそこは想像しながら書きました。でも、僕は演者なので登場人物、全員の役になりきることができます。いじめる役のとき、相手にダメージを与えるにはどうしたらいいか、母親ならばこんなときどんなことを思うのか・・・など、自分なりに考えました。だから僕の要素も入っています。

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