東京都で編集の仕事をしている島田渚さん(仮名・39歳)。2024年12月に第1子を出産予定で、その後、シングルマザーとして子育てをしていくと言います。1人で産み育てると決めた島田さんは、サポートシステムや戸籍制度の手続きの煩雑さに直面したそうです。今は周囲の応援に支えられ、出産、その後の子育てへの準備を進めています。
全2回のインタビューの後編です。
母が支えてくれたからこそ、出産を決意できた
――島田さんがシングルマザーとして出産するという決意を、家族にはどう伝えましたか?
島田さん(以下敬称略) 子どもの父親となる人と交際しているときに妊娠がわかったのですが、彼とは価値観があまりに異なっていました。この先一緒に子育てできるのかな?という不安な気持ちと、仕事の忙しさで、正直なところ産むかどうか迷いもありました。なので、まず母に相談しました。
母に相談すると「結婚するかは別にして、授かった命をなしにすることは絶対にありませんし、その選択はしてほしくありません。『産む』という選択肢以外にはないと思います。苦労しても、育てられるかわからない状況でも、子どもは確実に成長します。あなたが後悔することは絶対ありません。応援するから安心して産んでください」と伝えられました。その言葉が支えになり、出産することを決められました。
その後、価値観が合わないことが増え始めていた彼と2人で育てるか、1人で育てるかを悩みました。そのときも支えてくれたのは母でした。
「あなたの性格を考えると、今結婚してもいずれ離婚すると思う。子どもに父親が必要だから、というような考えだけで結婚するくらいなら、最初からしなくてもいいのでは?わが家の小さな末っ子として、みんなで育てればいい」と言ってもらえました。
その言葉に背中を押され、実家に帰って1人で産み育てるという選択をすることができました。実家のサポートが受けられる、しかも全面的に協力を言ってくれている母の存在がある私は恵まれている、とも思いました。
――お母さまの決断も早かったのですね。
島田 現在70代の母は、少し天然ではあるものの、昔からポジティブで独特な考え方をもっている人でした。たとえば私が中学生のとき、母は「島田家シェアハウス宣言」というのをしました。「家にあるものはなんでも使っていいけれど、家事は各自ですること」とルールを決めたんです。おかげで私は家事ができるようになったし、自立心もめばえたと思います。
2歳上に姉がいますが、私にも姉にも小さいころから子どもと同じ目線に立って、寄り添ってくれる母でした。一緒に散歩をしていると「あの雲の形はソフトクリームみたいだね。あっちはクマさんみたいだね」と、ずっと空を眺めていたことが心に残っています。
そして、花の名前もよく知っていて、私の感性や情緒をはぐくんでくれました。「私も母みたいになりたい」という思いが、子どもを産む決意をした大きな動機でもあります。
家族や周囲の人のありがたみを感じる毎日
――島田さんが、お母さんに支えられているのを感じます。
島田 母以外の家族の存在もありがたいです。わが家は両親、姉、私の4人家族で、とても仲がいいんです。今でも一緒に出かけることもあります。姉にも妊娠したことを伝えると、ごく普通に受け入れてくれました。私は今年の7月中旬から実家に戻っています。とはいえ、父にはやっぱり言いにくくて・・・。正面から話してはいません。
――周囲の人にはどう伝えましたか?
島田 12月に出産予定であること、結婚はしないと伝えました。私が仕事に夢中だったことを知っている人ばかりなので、とても驚かれました。みんな応援してくれているので、いい仲間に囲まれていると安心しています。
ある友人から聞いた話で、その子の友人が同じように1人で妊娠・育児をしていて、出生時の届け出について面倒なことが多かったとのことでした。その話を聞き、早めに戸籍やサポートシステムについて調べることができました。わかりにくい部分が多かったので、早めに対応できてよかったです。
配信: たまひよONLINE