発達の遅れ、食べ物をのどに詰まらせる…「食事をさせるのが恐怖でしかなかった」個人差では納得できずにいた母の不安は的中し【ゴーシェ病・体験談】

発達の遅れ、食べ物をのどに詰まらせる…「食事をさせるのが恐怖でしかなかった」個人差では納得できずにいた母の不安は的中し【ゴーシェ病・体験談】

田口暁子さん(仮名・37歳)の長男あきとくん(仮名・4歳)は、2歳3カ月のときに指定難病のゴーシェ病と診断されました。ゴーシェ病とは先天代謝異常症であるライソゾーム病のひとつで、日本国内の推定患者数は150人程度しかいないといわれています。
あきとくんが生まれてから現在に至るまで、暁子さんたち家族が、あきとくんの病気とどのように向き合ってきたのかを聞きました。全3回のインタビューの1回目です。

4回目の妊娠でやっと授かった息子。母子同室直前に別の病院へ救急搬送

暁子さんは3歳年上の夫とは友人の紹介で知り合い、2年の交際をへて結婚。暁子さんの実家で結婚生活をスタートさせました。

「あきとを妊娠したのは結婚4年目、私は31歳でした。私は不育症で3回流産しています。3回とも心音を聞けなかったので、4回目の妊娠で心音を確認できたときは、本当にうれしかったです。でも3回の体験もあり、心音を聞けたといってもちゃんと育つか心配で心配で・・・。安定期に入ったときはすごくほっとしました」(暁子さん)

ところが妊娠37週の健診で、「胎児が大きくなっていない」と言われます。

「39週になっても状態は変わらず、40週を越えても陣痛が来なかったので入院に。陣痛促進剤を使い、自然分娩で出産しました。体重2162g、身長44.7㎝で小さめの赤ちゃんでしたが、無事生まれてくれた喜びをかみしめていました。あきとを出産した病院は、基本的には産後2日目から母子同室になるので、そのときを心待ちにしていました」(暁子さん)

ところが母子同室になるはず日の朝、予想もしていなかった事態に・・・。

「新生児室であきとを抱っこしていたら先生に呼ばれ、『血小板が少なく、昨日よりさらに減っているので、市内の大きな総合病院に搬送します』って言うんです。
『え?どういうこと??』って驚いている間に、あきとを迎えに来た救急車が到着。私は泣きながらあきとを見送ることしかできませんでした。
そして、あきとと一緒に過ごすはずだった病室にポツンと1人残されることに。あきとに早く会うために、予定より1日早く退院させてもらいました」(暁子さん)

退院した暁子さんは、あきとくんがいる病院のGCUに毎日通いました。

「コロナ禍でしたが、抱っこしたり、授乳したりできました。あきとに会えるのはうれしかったですが、いつ退院できるのかわからず、帰るときは毎日寂しくてたまりませんでした」(暁子さん)

そんな日々が10日ほど続いたあと、暁子さんは病院からの電話を受けます。

「『血小板の数値が急に上がってきて、酸素濃度も安定してきたから、今日にでも退院できますよ』って。予期せぬうれしいお知らせに、電話を持ったまま泣きました。

退院時の説明では、血小板が少なかったこと、その後急に上がったことについて、くわしい原因はわからなかったけれど、新生児にはたまにあることだというものでした。退院できることがうれしすぎて、原因がわからなかったことについて、そのときは深く考えませんでした」(暁子さん)

1歳過ぎから気になることが増えていく。「個性」では納得できないことも

あきとくんはすくすくと育ちましたが、低出生体重児だったので、乳幼児健診は総合病院で受けていました。

「1カ月健診、3カ月健診、6カ月健診、いずれも問題なし。心配なことは何もなく、育児が楽しくてしかたがありませんでした」(暁子さん)

そんな日々に影が差したのは、あきとくんが1歳になる少し前のことでした。

「つかまり立ちまでは早かったのに、いつまでも立っちをしないんです。斜視っぽい目つきも気になりました。また、1歳になったころから急に食べたものを詰まらせるようになり、ヒヤッとすることが増えました」(暁子さん)

1歳児健診はなかったので、1歳半健診のとき、暁子さんは気になっていることを聞いてみました。
・1人でまだ立たないし、歩かない
・下を向かないで下に置いてあるものを取る
・横を向くとき首を小きざみに揺らしながら見る
・食べ物がよくのどに詰まる
・体重が全然増えない
など

「先生から言われたのは、『成長のしかたは1人1人違って個性がある。でも念のために、次回は血液検査と脳のMRIを撮りましょう』というものでした。
心配なことがこんなにたくさんあるのに、それも個性なの?と不安な気持ちもありましたが、取りあえずは検査を待つことにしました」(暁子さん)

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