2024年に行われたパリ五輪、レスリング男子グレコローマンスタイル60キロ級で金メダルを獲得した文田健一郎(ミキハウス)さん。2025年4月に第2子の女の子が生まれたと公表しました。2歳4カ月になる長女と2人の女の子のパパであり、現役の選手として練習やトレーニングに励みながら、家では子育てに奮闘しています。2021年の東京五輪で惜しくも金メダルを逃した後、結婚、長女の誕生と人生の節目を迎え、文田さんが再びマットに立つことを決めたその思いや、家族の支えについて聞きました。
全2回インタビューの前編です。
家族の前で金メダルを取れたことがうれしかった
――パリ五輪で金メダルを取ったとき、娘さんは1歳半だったそうです。
文田さん(以下敬称略) はい。妻と、当時1歳半だった娘がパリまで応援に来てくれました。今思い出しても、なんだか不思議な感覚でしたね。「あれ?今、一緒にフランスにいるんだよね?」という感じで。試合前はもちろん会えなくて、やり取りはスマホのメッセージだけでしたが、妻からフランスにいる娘の写真が送られてきて、それもまた不思議でした。
競技会場では、1試合目に入場したときに、久しぶりに家族の顔を見ることができました。妻と娘、父と母、2人の妹が来てくれて、僕の応援団が会場の中でいちばんうるさかったんです(笑)。妻の顔からは緊張感が伝わりましたし、娘も僕に気づいて手を振ってくれて。まずは、この会場に家族を連れて来られてよかったなと、最初の試合で思っていました。
――決勝戦で中国の選手に勝利し金メダルを獲得して、どんな思いでしたか?
文田 金メダルを取れたことはもちろんうれしかったのですが、家族が大変な思いをして、僕の応援のためだけに、日本からはるばるパリまで来てくれたことにあらためて感謝して、その人たちの前で金メダルを取れたことが何よりうれしかったんです。みんながすごく喜んでくれて、その気持ちのまま日本に帰ってもらえると思ったら、ホッとしたという気持ちのほうが強かったです。
とくに妻は、僕よりも大変なことをしてくれているんだなと感じていました。妻はヨーロッパに行くのが初めてでしたし、1歳半の娘との長距離フライトはとても大変だったと思います。
実はパリから帰国して3日後、妻がやっと落ち着けたなと「ふ〜っ」としたときに、急に気持ち悪さを感じたそうなんです。それで、検査薬を使ったら、妊娠の陽性が出たんです。パリ滞在中も、少し疲れているなとか、だるいなと感じていたそうなんですが、海外に来ていることもあるし、長女の面倒も見ているからかなと思っていたようです。
だから、二女もおなかの中にいながら、パリに来てくれていたんですよ!それって、すごいことだなと感じています。まさに、サプライズという感じでした。
――娘さんは、パリへ応援に行った当時の記憶はあるようですか?
文田 1歳半でしたけど、そのときのことはよく覚えているみたいです。たとえば、家で洗濯物をしていて、フラッグのようなタオルを娘が見つけると、それを手で振って、「ふ〜み〜たっ、ふ〜み〜たっ!」と言い始めるんですよ。あとは、テレビで五輪の映像が流れると、「あっ!」と言って反応することもあるし、そのときの記憶を教えてくれることもあります。たぶん、娘にとっては強烈な記憶で、当時のことが心に刻まれているんだなと感じます。
だから、子どもたちが自分にとってのモチベーションになっています。ただ勝ちたいとか、ただ娘にいいところを見せたいというだけじゃなくて、娘にとっていい影響があったことを実際に感じることができたので、より具体性のあるモチベーションになっていますね。
東京五輪で金メダルを逃したとき、今までやってきたことはすべて間違いだったと思った
――東京五輪で惜しくも銀メダルという結果に終わり、一時は競技をやめたいと思ったこともあったそうですね。
文田 東京五輪で銀メダルに終わったときは、今までやってきたことがすべて間違いだったんだと思うぐらいにショックを受けました。自分の中では100%やりきって、準備も万全にしてマットに立ったつもりだったので。だから、この先レスリングをやっていても、金メダルを取ることはないだろうし、五輪以外で優勝しようが、東京五輪で負けた悔しさは変わらないし癒えない・・・。自分が満足することはないんだろうなと思っていました。だから、もうやらなくていいんじゃないかと思ったんです。
――そこから、気持ちがどう変わっていったのですか?
文田 気持ちが沈んで家にこもることもありましたが、少しずつ、レスリングにもう一度向き合ってみようと思うようになっていきました。それで目標をとくに立てずに、レスリングに復帰して競技をやっていたんです。そのなかで、妻との結婚と長女の誕生という、自分にとって大きな転機が2つあったんです。
妻とは、東京五輪のときにはすでにおつき合いはしていましたが、あのときは無観客だったので、画面越しにしか僕の闘う姿を見ていませんでした。僕は、リオ五輪では練習パートナーとして、ロンドン五輪では観客として会場にいたので、ものすごい声援の五輪独特の雰囲気を知っていたんです。だから、妻と結婚したときに、あの雰囲気の中で自分が闘う姿を見てもらいたいと思ったんです。そして長女が生まれたときも、長女に見せてあげたいという気持ちがより強くなりました。そこから本気で、照準を五輪の金メダルに合わせて取り組むようになっていきました。
――その間に、奥さまから何か声かけのようなものはあったんですか?
文田 そういう言葉かけは、妻からはいっさいないんです。でもそれが逆によかったと思うんです。「お疲れさま」と言ってくれるぐらい。僕が「悔しい」と言葉にすると、「そうだね」と同意してくれるんです。もし妻から、「次こそ頑張って」などといった言葉をかけられていたら、僕がちょっとひねくれているので、「何も知らないくせに」と思ってしまうかもしれなくて(笑)。妻はそっと寄り添ってくれて、同じペースで歩いてくれたのがうれしかったです。
人生でいちばん沈んでいるときなのに、妻とは一緒にいたいと思えたんです。だから、これからずっと一緒にいて大丈夫な人だなと思って、結婚を決意しました。
配信: たまひよONLINE