美容系YouTuber・関根りさ、長男が100万人に1人の皮膚の難病に。治療法や薬を必死で探した日々【表皮水疱症・体験談】

美容系YouTuber・関根りさ、長男が100万人に1人の皮膚の難病に。治療法や薬を必死で探した日々【表皮水疱症・体験談】

人気YouTuber・関根りささんと、夫で元YouTuberのジョージさんとの間に2022年に生まれた長男には「接合部型表皮水疱症」という100万~200万人に1人といわれる難病がありました。闘病の末、2年7カ月でお空へ旅立った長男との日々について、りささんに話を聞きました。全3回のインタビューの2回目です。

<全3回のインタビューの第1回と第3回は、記事下の関連記事から読めます。>

治療法や薬を求め、海外の専門家へも連絡した

――息子さんが正式に「接合部型表皮水疱症」と診断されたのはいつごろですか?

りささん(以下敬称略) 生まれてすぐくらいに水疱の中の液を検査してもらって、その結果が出たのは生後3カ月くらいだったと思います。表皮水疱症は、皮膚のタンパク遺伝子に異常があって、日常生活で皮膚にわずかな刺激や摩擦などが加わると、表皮が真皮からはがれて水疱(水ぶくれ)やびらん(ただれ)ができてしまう病気です。そのなかでも「接合部型」は粘膜にも強く影響するので、ミルクを飲むことや呼吸するのも苦しくなってしまう重症の疾患です。
根本的な治療法はなく、傷口から栄養がもれ出てしまったり、感染して敗血症になってしまったりして、ほとんどの子が2歳になる前に命を落としてしまうということでした。

私は、息子が生まれてまもなく症状に気づいたときに、きっとこの病気に違いないと思っていたので、診断を受けて「やっぱりな」と思いました。診断を受けて少しすっきりした感じはあったかもしれません。

――水疱や傷のケアのほか、どのような医療処置がありましたか?

りさ 生後7〜8カ月くらいのころ、気管切開と胃ろうの手術を同時にしました。息子の場合、泣いたりミルクを飲むときの刺激で、のどがむくんで苦しくなってしまう状態が続いていたんです。体重もなかなか増えないし、7〜8カ月になっても3時間おきに授乳しなくてはならないし、口から飲んでも吐いてしまうし・・・という状況だったので。泣くのを我慢させるもの、泣かせないようにするのも難しいかったので、気管切開と胃ろうにしてあげたほうが息子にとって楽なんじゃないか、と。気管切開をすると声が出なくなってしまうのが基本だから、すごく葛藤はありました。

気管切開と胃ろうの手術をしたら、息子の状態が比較的安定しました。そして、私とジョージの交代での付き添い入院も終わりました。息子の様子がかなり楽そうになったので、私としてはやってよかったと思います。

――病気について夫婦で調べて、海外の専門家にも問い合わせをしたそうです。

りさ 診断を受けてすぐのころから、海外の論文や文献を調べました。私は英語ができませんが、グーグル翻訳で内容はだいたい把握できるし、医療のことについては看護師のころの知識があるので、イメージしやすかったと思います。可能性がありそうな文献を見つけたら、ジョージがメールをしてくれていました。ジョージはアメリカの大学に通っていたので英語が堪能なんです。

いろいろと探す中で、スタンフォード大学の医師によるリードスルー療法という治療を見つけました。ジョージがその治療に使う薬の量や間隔などをメールで問い合わせたら医師が返信をくれて。その後、主治医が点滴投与の回数などスタンフォードの医師に問い合わせてくれ、息子に合わせて様子を見ながら治療してくれました。だけど残念ながら、その治療は息子にはまったく効果がありませんでした。それが遺伝子異常の病気の難しいところで、遺伝子のどの部分に異常があるかによって、同じ治療でも効果の出方がまったく違うんだそうです。
ものすごくたくさん調べたので、遺伝子についてかなり詳しくなったと思います。

――2023年4月に夫婦で息子さんの病気について公表しました。

りさ 息子が生まれて1年、いろいろなことを調べてトライした治療法もありました。でも成果は出ていませんでした。「世界中の誰かへ」と公表することによって情報提供を呼びかけたかったんです。

結果、いろいろな情報を提供していただきましたが、その多くはすでに調べていたものでした。また、日本では安全性を重視するために新しい薬や治療の承認にとても時間がかかり、先進医療を受けることは難しいということも痛感しました。薬の治験についても、自分の意志を言えない子どもは対象外であることも多く、早くても5歳からがほとんど。息子の病気の場合、2歳を超えて生きることはほとんどないと言われているため海外でもほとんどが緩和ケアという流れのようでした。医療の限界を感じました。

家族でできるだけ楽しく過ごせるように

――難病とともに生きる息子さんの成長で、うれしかったことはどんなことですか?

りさ 息子はミルクが飲みにくい状態で体もなかなか大きくならなかったから、ちょっとずつ体重が増えたり、ふとしたときに大きくなったな、と成長を感じたとき、うれしかったです。動いたり声を出したりできない分、表情は豊かだったと思います。

ジョージとは楽しい家族でいたいね、と話していて、病院内のどの病室より騒がしい家族だったと思います。私は息子の病室を季節ごとに飾り付けていました。テーマパークで見た藤の花がすごくきれいだったから、息子にもそれを見せてあげたくて、藤の花を飾ったのが始まりです。春は桜を飾り、秋には紅葉を飾って、ベッドに寝ている息子にも見えるような位置にデコレーションして、親子で楽しんでいました。――と言っても、息子はあんまり花には興味はなさそうでしたけどね(笑)。息子はキラキラしたモノとか、ひらひらしたモノが好きでした。

――夫婦で保因者スクリーニング検査も受けたそうです。どんな検査ですか?

りさ 息子が100万分の1くらいの確率と言われている病気がある状態でて生まれてきたから、もしかしてほかにも何か病気があるんじゃないかという不安と、もし次の子どもが欲しいとなったときのことも考えて、自分がどういう遺伝子疾患のキャリアがあるかを調べておこうと、遺伝子の血液検査をしました。そういった検査への考え方はいろいろあると思います。私はなんでもしっかり知っておきたいタイプ、自分で納得したい性格なので、調べることにしました。

日本の民間の病院でドクターのカウンセリングを受けて採血し、検体を海外に運んで787もの遺伝子を調べられる検査で、かかった費用は夫婦で約44万円でした。1カ月ほどして、結果をPDFファイルでもらいました。通常、人間はいくつか遺伝子のエラーを持っているそうですが、787を調べた中で私とジョージにそれぞれいくつかの異常があることが示されていました。そのなかでお互い1つずつの遺伝子が重篤な病気を起こすものだとわかりました。そして、第2子妊娠を考えたときに、4分の1の確率で長男と同じ病気の子どもが生まれる可能性があるとわかりました。

関連記事: