男女のバッドエンドは“離婚”じゃない。離婚よりつらいものの正体。
この記事は「アリシー」から提供を受けて掲載しています

男女のバッドエンドは“離婚”じゃない。離婚よりつらいものの正体。

第5回 20代の離婚白書
10年連れ添った彼と離婚してから、初めて迎える春。私は再び恋をしていた。

好きな人とお花見に行く約束をしていたけれど、ひどい仲違いをして傷つけてしまったから、ピンクがよく映える夜空をひとりで見上げている。ほろ苦い春の幕開け。去年の春は離婚直前で、よく思い出せない。けど、やっぱりこんな感じでほろ苦かったように思う。

早起きして仕込んだお弁当を広げる。久しぶりの自炊は楽しかった。好きな人が喜ぶ顔が見たかったから。公園をぐるっと取り巻くように咲いたパノラマの桜を前にして、「ああ、地球は丸いのだな」なんて思いながら、食べてもらえなかったお弁当をひとりでつまむ。揚げ出し豆腐にチキンのレモンバター炒め、クレソンとツナの和え物。渾身の出来。

食べて欲しかった人には一度も中身を見られることなく、それは私の胃袋に消えていく。あーあ。どうしよう。こんな時に限って、とてもおいしく作れている。そして、多分、おいしいと思えたら人は生きていける。まだ、私は大丈夫なんだろうか。
実際、離婚した時より今のこの状態の方が苦くてもどかしいと思うほどに、離婚の傷は癒えてきている。時間は何も解決してくれないけど、時間があらゆる痛みを解消することは知っている。それは離婚の苦しみですら。だから今も、じっと、時を待つ。

桜は風に揺られ、どんどん散っていってしまう。自分の心の中でざらりとした感情が揺れ動く。私はなんだかもう見ていられなくて、食べきれないお弁当に蓋をし、公園を後にした。

この連載は、私が20代で経験した結婚・離婚を糧にするための備忘録です。まだ結婚の予定はないけど、いつか結婚したいと思っている同世代の女性にも読んでもらえたら、と思い筆をとっています。

連載5回目となる今回は、「男女のバッドエンドは“離婚”じゃない。離婚よりつらいものの正体」について話したいと思います。

■離婚で学んだことが次の恋愛でいかせるとは限らない。

私の20代の全て、約10年間を、同じ人と歩み、そして離婚した私が今思うのは、「離婚で学んだことが次の恋愛でいかせるとは限らない」ということです。

仕事でも同じだと思うのですが、自分が今までやってきたやり方や、培ってきたセオリーみたいなものは、いくらその時正しいと思っていても、環境が変われば通用しないことはおおいにしてあります。郷に入ったら郷に従うしかない。

恋愛もそうで、「これで失敗したから、次からは気をつけよう」「今まではこれでうまくいってたから大丈夫」と思っていても、対峙する人が変わるたび、今までの学びから得た知識は通用しないし、また違う問題に直面します。

相手のことを慮るとか、愛情を伝えるとか、それは恋愛経験を積んで培ったものですが、そういった誰と恋愛しても必要なベースは、あまり関係ありません。

離婚も同じです。

つまり、結婚や離婚で学び取ったあれやこれやは、人が変われば対処療法でしかないし、対処療法にすらならないことだってある。

私からしたら、離婚という大きな代償を払っても、次の恋愛で報われるとは限らない、それくらいに離婚は取るに足らない経験値でしかないということが結構ショックでした。

だから、恋愛するたび、自分の経験値におごっていないで、また一からやり直す気概でいないと、結局はまた違う原因で失敗することになるのかもしれません。

恋愛にマニュアルはない。いくら経験を積んだって恋愛での苦しみからは逃れられないし、違った形でずっと続いていく。

私は離婚の原因を踏まえて、今度こそ失敗しない、幸せになるって思っていても、また失敗するかもしれない恐怖に付きまとわれて、与えてもらった愛情を何度もいろんな角度から疑って見て、私の内側に納品しても大丈夫なのか、何度も検品してしまう。それは離婚自体よりずっとつらい。

でも、恋愛における希望をひとつ言うならば、予定調和じゃきっと人生はつまらないということ。不安は自分でコントロールできないことに関して抱くものだけど、それがかえって人生のスパイスになることだってある。何が起きるかわからない恋愛だからこそ、不安に飼い殺されるのではなく、不安をも引き連れて楽しまないと。今度こそは。

■恋愛や結婚でうまくいかない時にするべきこと。

離婚よりつらいことはまだあります。

離婚が決まった時、10年分の言い知れぬ喪失感はありましたが、どこかホッとした面もあったんです。どうにも交わることができない人のそばで思い悩むことは、もうしなくて済むんだ、と。

それより、一緒にいるのにお互いの気持ちがチグハグで、交わる点を消失した瞬間の方が、離婚が決まった瞬間より、よっぽどつらかった。どこを探しても、2人の交点がない。「うん」とか「ああ」しか言わなくなった背中からは、どうやったって希望は見出せなかったから。こっちを向いてくれたら、あとでこれを話そう、なんて溜めていた思いが、ぽろぽろ指の間からすり抜けていく。話さずに終わった、私の思いは、もう私ですら思い出せない。

不安に押しつぶされそうになると、極端に視野が狭まります。世界で自分が一番不幸という思い込みを無自覚でしてしまう。

だから、幸福を数えよう。

不幸ばかり目に付きやすいのは、実際に不幸が多いからではなくて、不幸の印象が強いだけ。たとえば、いつも時計を見るとゾロ目になっている、という経験がある人は少なくないと思いますが、それは単に印象論です。ゾロ目ばかり見るっていうのは、実は何度も時計を見ているうちの数回の出来事にしか過ぎなくて、ただゾロ目のインパクトに引っ張られて、いつもゾロ目しか見ないと勘違いしているのかもしれません。

だから、幸福を数えよう。恋愛や結婚でうまくいかない時にするべきことは、幸福をしっかり実感する作業を怠らないことです。不幸にイニシアチブを持ってかれないよう、幸福だったことを何かに書き留めたり、誰かに聞いてもらったり、なんでもいいから。

私の場合ですが、最近幸福を数えたことがあります。
いつも笑顔で、どんな時も場を盛り上げてくれるMさんが、先日、Facebookで命に関わる重病にかかっていたことを知りました。そんなこと微塵も思わせないほど笑っている印象しかなくて、とてもショックでした。最近移植手術をしたそうなのですが、ドナーになってくれたのはMさんの旦那様。そして、Mさんのこのコメント。

「よく考えたら痛いのかもしれないけど、あまりに満たされていて感じないの。愛は鎮痛剤になります」

素敵な夫婦の投稿を見て、なぜか私まで目一杯の愛に満たされて涙が止まらなかった。その時、私は図書館にいたのですが、私は鼻をすする音を止めることができませんでした。決して幸福な夫婦、って一概に言ってはいけない、でも確かにそこには愛が溢れていて、その幸福の欠片に触れさせてもらったことに、感謝の気持ちを送りたいです。恋愛で不安な気持ちが大きかった私に、人を愛することの美しさをまた、よみがえさせてくれたから。私も幸福を数えよう。

もっときれいな気持ちでいたい。ひとりのひとをずっと穏やかな気持ちで見つめていたい。私にそんなことできるのかな。まだわからない。でもそれが私の希望となって、夢となった。好きな人を傷つけることでしか愛情を確かめられないなんて、もうやめよう。

幸せを築きたい。ここにきてようやく結婚がいいものに思えてきました。
これは私の中で大きな進展です。私にも幸せな家庭の形が見えてきた気がします。

離婚はバッドエンドではない。不安に飲まれて幸福を数えられなくなっていることの方がよっぽど不健全でつらい。

それに離婚したから素敵な人と出会えたし、きっとこれからだっていいことはある。

恋愛では、人が変われば悩みの内容も質もレベルも何もかも変わる。結局離婚して学んだことは次の恋愛に生かそうと思っても生かせるわけではない。新しい恋が始まるたび、向き合って、ぶつかって、また学びなおす。つまり、人生ずっと勉強なんだ。幸福のインパクトを数えながら、私は好きな人に会いに行くつもりです。今日も勉強。

(藤田佳奈美)
藤田佳奈美
藤田佳奈美
創作ダンスや女子ひとり飲み、七号食ダイエットなど、興味はあるけど苦手なことに果敢に立ち向かうスタンスで頑張るのがモットー。 ジャンル問わない雑食系編集ライターでもあるが、最近は若者の離婚や恋愛離れなどの男女問題や、オカメインコ愛について語らせると暑苦しくなる。 だいたいマガジンハウスにいる。だいたい隅田川沿いで飲んでる。
創作ダンスや女子ひとり飲み、七号食ダイエットなど、興味はあるけど苦手なことに果敢に立ち向かうスタンスで頑張るのがモットー。 ジャンル問わない雑食系編集ライターでもあるが、最近は若者の離婚や恋愛離れなどの男女問題や、オカメインコ愛について語らせると暑苦しくなる。 だいたいマガジンハウスにいる。だいたい隅田川沿いで飲んでる。
女性向けに情報を発信するWebメディア「アリシー」は、2019年6月13日をもってサービスを終了しました。グルメやファッション、マンガ・エッセイなどアリシーの一部コンテンツは、姉妹サイト「ママテナ」に移管しております。引き続きお楽しみください。
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