●専門家のリーガル・マインドを活用してほしい
憲法草案をつくる行為は、世間一般の常識だけで判断可能な範囲を超えているという意味で「難しい」問題を含んでおり、そこには専門的な知見が要求されます。
東京タワーやスカイツリーといった高い建物を建てるのも、大型の発電所を設計して実際に動かすのも、世間一般の常識だけではどうにもならず、関係する専門家の知見が必要です。
これらの行為と同じように、憲法草案をつくるのには、専門家の知見や、あるいはその核心部分ともいえるリーガル・マインドが必要になります。
リーガル・マインドは、「法的な考え方」【12】だとか「法律家にはある程度共有されている感覚のようなもの」【13】「物事の正義や公平の感覚」【14】 などと説明されます【15】。
リーガル・マインドが取り入れられていない憲法あるいは憲法草案だと、以上に述べたような人権侵害が生じないようにするために本来明記されていなければならないような基本的人権の規定が明記されていなかったりするわけです。
近代の立憲的憲法の草案といえるためには、リーガル・マインドを有する専門家の知見を聞いたうえで、それを取り入れることが不可欠です。
専門家の話を鵜呑みにせよとか、言いなりになれということではありません。

とはいえ、憲法草案をつくる際には、最低限、憲法などの法の専門家の意見を広く聞き、近代憲法の要素といえる規定については「当たり前」の規定であっても、しっかりと明記する内容のものをつくることが重要だといえます。
専門的な知見を無視、軽視し、あるいは専門的な知見を有しない人だけで建物や発電所を設計し作ってしまえば、たとえば震度5程度の地震でも、高い建物が傾いて使えなくなったり、発電所が故障したり、あるいは重大な事故を起こしたりするということになってしまうでしょう。
これは憲法草案を作る場合も同じです。
憲法や法学の領域でも、専門的な知見は現代社会の国民生活に不可欠だからです【16】。
現在、リーガル・マインドを有する憲法学者や弁護士を中心に、多くの法律家が参政党案の問題点を多数指摘しています。
この記事はそのごく一部を述べたにすぎません。今後も多くの専門家が意見や記事を公表することが予想されます。
ぜひ専門家の声にも耳を傾けてください。
【1】2012年に公表された自民党の憲法改正草案も、法律家らから、前文を含め、条文ごとに多くの問題点があると批判されています(読みやすい文献として、伊藤真『赤ペンチェック 自民党憲法改正答案』(大月書店、2013年)があります)が、このたびの参政党案は、この自民党の改正草案や、あるいは大日本帝国憲法と同程度に、あるいはそれ以上に、実に多くの問題を含むものと考えられることから、その問題点は10や20では到底利かないものと考えられます。
【2】判例(最大判昭和62年4月22日民集41巻3号408頁)は、現行憲法第29条が「私有財産制度を保障している」と理解しています。なお、憲法学説も、現行憲法29条1項は財産権を保障するとともに私有財産制の保障をするという2つの面を有すると理解しています(芦部信喜著、高橋和之補訂『憲法 第八版』(岩波書店、2023年)255頁)。
【3】木村草太東京都立大学教授も、参政党案第5条について特に警鐘を鳴らしており、「『日本を大切にしていない』という理由で、一方的に国民から国籍を剝奪し得ることになります」と指摘しています(週刊文春67巻28号(2025年7月24日号)20頁)。
【4】伊藤・前掲『赤ペンチェック 自民党憲法改正答案』37頁参照。なお、基本的人権は、「人間であることにより当然に有するとされる権利」であること(芦部・前掲『憲法 第八版』82頁)から、そもそも、それを行使するときに、何らかの義務を果たす必要はありません。例えば、たとえ納税の義務を果たしていない人であっても、選挙権や表現の自由を行使することはできます。むしろ、義務を負っているのは国家の方であって、国民が権利を行使するときに、国家はそれを保障する義務を負います。これが憲法上の権利と義務の本来的な構造であり、憲法上の権利を行使する国民の側に当然に義務が生じるというわけではありません。ところが、自民党案第12条後段も参政党案第8条第3項前段も、この構造を誤解させるような表現になっています。権利(基本的人権の行使)には義務が伴うなどという表現は、国民の基本的人権を今以上に制限し、権力者によって国民の義務を拡大させたりする根拠に悪用されるおそれがあります(伊藤真『憲法問題』(PHP研究所、2013年)90~91頁参照)。
【5】「拷問」(現行憲法第36条)とは、その実行者が対象者に身体的・精神的に激しい苦痛を与え、対象者を抑圧して、実行者の意のままに動く(典型的には、刑事事件の「自白」をさせる)ようにすることといえます(戸松秀典=今井功編著『論点体系 判例憲法 2』(第一法規、2013年)390頁〔喜田村洋一〕参照)。
【6】「残虐な刑罰」(現行憲法第36条)とは、「不必要な精神的、肉体的苦痛を内容とする人道上残酷と認められる刑罰」(最大判昭和23年6月23日刑集2巻7号777頁)をいい、例えば、火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでによる死刑執行などが「残虐な刑罰に当たります(長谷部恭男編『注釈日本国憲法(3)』(有斐閣、2020年)379頁〔長谷部恭男〕参照)。
【7】https://proof-of-humanity.jp
【8】https://innocenceprojectjapan.org/hostage-justice
【9】このような閣議決定の方法により憲法の規定の解釈を変更することは、「憲法を解釈する権力(憲法解釈権力)」(蟻川恒正『憲法解釈権力』(勁草書房、2020年)3頁)の行使だと考えられます。憲法解釈権力は、「新憲法の制定と実質的には同等の効果をもたらしうる力」を有するものと解説されます(同書5頁)。
【10】週刊文春67巻28号(2025年7月24日号)21頁参照。
【11】包括的な自由権ということが明文で書いていない理由は、明文で書けなかったからだろうと考えられます。「日本を大切にする心」を国民の要件に据えること自体が、例えば、現行憲法第19条が保障する思想良心の自由(内心の自由)を侵害する、あるいはその危険性の高いものといえることから、あえて本文ではなく「注」で書いたものと分析できるでしょう。
【12】大谷實編著『エッセンシャル法学 第8版』(成文堂、2025年)8頁〔大谷實〕。
【13】宍戸常寿=石川博康編著『法学入門』(有斐閣、2021年)14頁〔内海博俊〕。
【14】川﨑政司『新・法律学の基礎技法Ⅰ』(弘文堂、2025年)38頁。
【15】「リーガル・マインド」を詳しく解説した文献として田中成明『法学入門 第3版』(有斐閣、2023年)189〜191頁。
【16】長谷部恭男『法律学の始発駅』(有斐閣、2021年)194~195頁は、「人々の慣行を通じて徐々に実定法が成立していた前近代と違い、近代社会では、何が自分たちの行動を規律する実定法か人々が感覚的に把握できる余地は狭まります。専門的な法律家集団に、何が法かをコストをかけて教えてもらう必要があります。(中略)市民に向けて法の現状を説明し、法の立案・制定とその解釈・適用に与る法律家集団の責務は、それだけ増すことになります。」とします。
【取材協力弁護士】
平 裕介(たいら・ゆうすけ)弁護士
2008年弁護士登録(東京弁護士会)。主な業務は行政訴訟、憲法訴訟。行政法研究者でもあり、多数の論文等を公表。大学やロースクール(法科大学院)で行政法等の授業を担当(非常勤)。審査会の委員や顧問など、自治体の業務も担当する。
事務所名:AND綜合法律事務所
事務所URL:https://and-lawoffice.com/

