はっ、と目を覚ますと時計は9時15分を過ぎていた。
「やばい! 遅刻だ!」と、飛び起きかけて、隣で眠る奏太に気づき、俺はすべてを思い出した。
満 「…そうだ、キリが入院したんだ」
昨夜24時近くまで泣いていた奏太は爆睡している。
俺は布団の上に転がっているスマホを手に取り、奏太の寝ている間に、市役所について検索してみる。
(子どもを預けるのは…どこに相談すりゃいいんだ?)
考えてみると、市役所の場所すらぼんやりとしか分からない。
満 「保育運営課…ってのは、市役所第二庁舎の3階か。なんだかんだ手続きはあるかもしれないし、サクッと行って来ないとな」
俺は起き上がると、自分の身支度をさっさと済ませ、「まだねんねする!」と愚図る奏太をどうにか抱え、部屋を出た。
そしてマンションの駐輪場に停めてある子ども乗せ自転車に奏太を座らせる。
奏太は昨日の服のまま。アンパンマンが描かれたグレーのトレーナーに、イエローのストレッチパンツ。
考えてみたら顔も拭いていないから、目やにがついているし、歯も磨いてあげていない。朝ごはんも食べさせてない。
(…これはある種の虐待か。って、大袈裟か?)
1日くらいこんな日があったって大したことない、とふっと笑って俺は自転車をこぎ始める。
まずは市役所に行って、奏太の預かり先を探さねば。
飯はそのあと、ファミレスにでも行こう。
「俺の公園デビュー」圧倒的アウェー感を救ってくれた三人の女性たち/連続小説 第11話
86,452 View妻キリコの急な入院によって、いわゆる「ワンオペ育児」状態になった満は一時保育先を見つけるために区役所へ向かうが、なかなかうまく事は運ばない。そして帰りに立ち寄った公園では、思いがけず、妻・キリコのこれまでの努力を感じさせられる出来事が待っていた。
俺は春の陽気に包まれた川口市を自転車で走らせる。
(…春の陽気、よりも暑くないか?今日)
やや汗ばみつつ、市役所第二庁舎に到着した。
不機嫌な様子でチャイルドシートに座っている奏太の顔が赤い。
満 「トレーナーじゃ暑かったか…。脱がせたら下着だもんなぁ」
奏太 「暑い、ないよ」
満 「そう? じゃあ、いいか」
奏太 「パパ、だっこ」
満 「はいはい」
俺は奏太を抱き上げ、「保育運営課」がある3階へ向かった。
ザ・市役所という雰囲気の窓口には子連れのお母さんが数人いて、少し待つことになった。
奏太 「お外いく」
満 「ダメ。待ってって」
奏太 「やだー!」
奏太は何度もその場を脱走しようとし、俺は初めて来たこの場所の、階段までのルートを暗記できるほど何往復もする羽目になった。
女性職員「円田さーん」
満 「…はいっ! はいっ!」
奏太 「やだー!」
足をバタバタさせている奏太を横抱きで抱え、俺は席に着く。
すでに疲れとイライラが募り、目の前にいる穏やかな雰囲気の職員に早口で現状を伝えた。
きっとこの人がすべての解決策を教えてくれる。
俺のモヤモヤを消し去ってくれる。
と思っていたら、甘かった。
女性職員「そうですねー。認可保育園はどこも空きがない状態です。一時保育の予約も取りづらい状況になってますね」
満 「あの、…ほかに何かないんでしょうか」
女性職員「認可外の保育園もありますが、そちらは円田さん自身で問い合わせをしていただくようになりますね」
職員は穏やかに微笑みながら、認可外保育園の一覧が載った用紙を引き出しから取り出す。ずらっと並んだ保育園名を見ても、何がなんだかわからない。
満 「あの…一日でも早く入れるところを探していて…どこが空いてますか」
女性職員「あ、ですから、それはご自身でご確認ください」
満 「来年の四月から入園する幼稚園は妻が決めていて、プレも申し込んでるみたいだから、たぶんそろそろ始まると思うんですよね。だから…保育園を選り好みする気はないんです。妻が退院するまでの間なので、一日でも早く入れる保育園なら…」
女性職員「ご家族で検討してくださいね」
(ずっと優しく笑ってるけど、返答はドライ…)
満 「あー……はい」
俺はこれ以上のやり取りを諦め、ずっとごにょごにょ暴れていた奏太を連れて席を立つ。
(キリに電話してみるか。何か知ってるかもしれないし)
奏太 「パパ、これなーに?」
満 「ん?」
奏太を見ると、手に茶色い固まりを持っている。
男性職員「それはきゅぽらんだよ」
満 「?」
男性職員「川口市のゆるキャラです」
満 「あー…」
奏太 「かわいいねぇ」
満 「……そうか?」
奏太がぬいぐるみに気を取られている間に、キリコに電話するも、出ない。
(仕方ない。とりあえず、認可外保育園の一覧の頭から順に電話してみるか…)
「ウィズミー保育園」とやらに電話してみる。状況を話すと、一時保育は可能だが、事前に面接が必要だと言われた。
保育士 「面接はいつにしましょうか。こちらで可能な日は1週間後の…」
満 「1週間後、ですか?」
保育士 「はい。最短でそうなりますね」
満 「…あー、また電話します」
(そんなに休めないし、仕事の都合もあるし、日程をまず考えないといけないのか)
予想より面倒なことになったと面食らっていると…。
満 「…あれ、奏太?」
俺の隣にいたはずの奏太の姿が見えない。慌てて辺りを見回すと奏太が一人で階段を降りようとしている。
そして次の瞬間――。足を滑らせそうになった。
満 「うわぁぁ! 危ない!」
俺は全速力で走り、間一髪で奏太を抱きかかえた。
(こんなに走ったのいつぶりだ…)
奏太 「こうえん、いく?」
満 「…あー、うん」
ケロッとしている奏太を連れて、俺は出口に向かった。
絶対お腹が減っているくせに、公園に行くと言って聞かない奏太を連れて、俺は帰り道の途中にあった公園に寄る事にした。
広々とした公園に未就園児を連れたママたちがたくさん来ている。
(パパはゼロ。平日の公園は男にとってはアウェイ感満載だな)
奏太 「お砂やるー」
奏太が砂場に向かい、見知らぬ子どもたちと遊び始めたので、俺は近くのベンチに座り、スマホに入っているスケジュール表を見始める。
(面接が出来そうな日は…)
ふと、俺の視界の隅でイエローパンツが駆け抜けて行った気がする。親水施設の方に。
おそるおそる顔を上げると、奏太は他の子どもたちと共に人口的な小川に入って遊び始めていた。
満 「あ! こら、奏太!」
(俺のバカ! 何で同じ日に同じミスを二回も…! 目を離すんじゃなかった)
慌てて小川から出すも奏太の服は上下ともにびしょ濡れで、俺自身の服も濡れてしまった。
――ドボン。
その上、鈍い音を立てて、スマホまで小川に飛び込んでしまった。
満 「うわあ!!」
思わず絶叫しスマホをすばやく取り上げると、放たれた奏太は喜んで再び小川に入ってしまう。その上、滑って尻もちをつき、もう全身水浸しになった。
(ど、どうすんだよ。着替え持ってないぞ。俺も濡れてるし。天気がいいとはいえ、家まであと1キロくらいあるし、ファミレスも寄れないじゃないかよ)
満 「奏太! 奏太! 戻って来いって! おい!」
大声を出してテンパっている自分を、周りのママたちが見ていることに気づく。
(……うわー、見るなって。なんだよ、もう)
女性 「奏ちゃーん! 飴たべる?」
奏太 「うん!」
頭が真っ白になっていると、子どもを連れた見知らぬ女性が奏太に声を掛けてきた。
この女性は一体、誰だろう…。
奏太は何の抵抗もなく女性に駆け寄り、飴を受け取った。ふくよかな女性でその丸みが内面の優しさを表しているような人だ。
満 「あの…」
俺は戸惑いながら声を出す。
女性1 「あ、ごめんなさい! 初めまして。キリちゃんのママ友の青田文乃です。こっちは娘のカノンです。いつも奏ちゃんと遊んでるんですよ」
満 「あー…そうなんですね」
そういうことか、とうなずいていると、公園内にいたママたちがわらわらと近寄って来た。
(…な、なんだ?)
女性2 「こんにちは~。私もキリちゃんのママ友の野原歩です。あそこで水浸しになってる子が息子のリョウです」
文乃 「あの、キリちゃん、大丈夫ですか? さっきメッセもらってビックリしちゃって」
満 「あー、そうなんですね」
(もう知ってるのか、すごいな)
歩 「みんなでお見舞いに行こうって話してたんですけど、今日行っても大丈夫な感じですか?」
満 「あー、はい。仰向けになってれば痛みがそんなにないみたいなんで、大丈夫だと思います」
歩 「そうなんだー!」
文乃 「そういうもんなんだね」
まるで前から知っていたかのように、何の壁もなく話しかけて来るママたちに戸惑いつつ、ふと奏太を見ると、また別の女性が奏太を着替えさせていた。
満 「あ! すみません!」
女性3 「あー、いいんですよ。これ、うちの子の着替えなんですけど、着せちゃっていいですか? 今日お天気がいいとはいえ、こんなびしょびしょじゃ、奏ちゃん風邪ひいちゃうといけないし。いいですか? この服ダサいからイヤかな」
明るく笑う女性は細身で、年齢はおそらくキリコより上に見える。
満 「すみません…。ありがとうございます」
その女性は奏太の濡れた服を持っていたビニール袋に入れ、自分の娘のTシャツとスパッツを奏太に着せてくれた。
満 「あの…服をお返ししないといけないし、お名前を聞いてもいいですか?」
女性3 「あー、娘のハル子です」
満 「あー…」
女性3 「あ、私の名前!? ごめんなさい、佐藤恵美です」
満 「ありがとうございます」
俺は恵美さんに頭を下げ、ビニール袋を受け取る。
文乃 「パパもズボンがびしょ濡れですね。良かったら使ってください」
そして文乃さんは持っていたタオルを俺に渡してくれた。
満 「…本当すみません」
歩 「困った時はお互い様ですよ。私たちだっていつもキリちゃんに助けてもらってるんだから」
恵美 「そうそう」
歩 「そうちゃん、お水は止めて滑り台シューッしようよ」
奏太 「うん!」
奏太はお友達たちと一緒に滑り台へと走っていき、ママたちも一緒に滑り台に向かった。
みんながみんなで子どもたちを見守っている。
(いつの間にこんなに友達が出来てたんだろう、奏太もキリも。知らなかった)
俺はベンチに座って、タオルでズボンを拭きながら再度、公園内を見回す。
奏太が色んなママに話しかけ、それを誰もイヤな顔なんてしないで、笑顔を返している。
みんな奏太のことを知っている、ということなのか。
(…なんだろう、このホッとした感じ。今はアウェイに感じないぞ。でも、あのまま一人だったらどうだっただろう。こうやって手を貸してくれるありがたさ。…キリも、同じような気持ちになっていたのだろうか)
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