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公開 2018年10月21日  

「おなかすいたなあ…」と思った直後、2時間のスピード出産!<投稿コンテストNo.19>

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切迫早産で入院していたというりらりらさん。
妊娠中の入院生活は肉体的にも、精神的にも大変だと思います。
無事に産声を聞いた時は一気に力が抜けたという体験談をご覧ください!


>【第一話】から読む


切迫流産から始まった妊婦生活・・・安定期と呼べる期間もなく、あと1週間で産休という時に今度は切迫早産で入院になり、点滴生活が始まりました。

幸い冬だったので、3週間お風呂ダメ生活もなんとか乗り越え、入院した日に生まれるかもといわれていたお腹の子は37週の生産期までもちこたえ、いったん退院。

1週間後、出血したため病院に行き、そのまま再入院となりました。

予定日は、4/9。

あと3日もてば学年1つ下になる!なんとかもつかな…?無理かな…?と言っていた年度末最終日の3/30…。


夜中にものすごい腰の痛みに襲われ、スマホアプリを使って時間感覚を調べるもなかなか10分切らない…。

こんなに痛いのにもしかして前駆陣痛ってやつか!?と睡魔と痛みとの闘いに夢でうなされ、そのまま朝に。

毎朝6時過ぎにモニターをつけていたので、なんかあれば看護師さんが言ってくれるだろうと思いましたが、何も言われなかったので、不定期にくる痛みもベッドの端をつかみながら一人耐え、「誰か腰をさすってほしいくらい痛いのにまだ前駆陣痛なんかな…というか本陣痛ってなんだ?そろそろおなかすいたな…。」

と思考回路もわけが分からなくなった7時半、朝ご飯到着。

さぁ食べようとした途端、また痛みに襲われ、そのまままさかの破水!

ナースコールするけど、なかなか看護師さんが来てくれず、何回も押してやっと来てくれたときには子宮口は7㎝あいた状態で、看護師さんが慌てて私をお産用の病院着に着替えさせてくれました。

私は朦朧とした中、母に電話し、旦那に連絡するよう伝えたところでそのまま分娩台へ…。

この日は、すでに陣痛組が2組いて、あと少しで分娩に入るかもというタイミングでまったくノーマークだった私が緊急で入ってきたため、看護師さんも先生もてんやわんやしている中の分娩でした。

もともとの体力のなさに加え、入院でさらに落ち、本人はもちろん看護師さんや先生もいきめるのか不安でしたが、いざ始まるとそんなの関係なしにいきみざるを得ず、酸素吸入されながら定期的に来るいきみのタイミングで死にそうな声を出しながら頑張りました。

その間、母が到着し、旦那も仕事場に着いた途端の電話でトンボ帰りし、分娩室へ来てくれましたが、立ち会い出産を希望していたにも関わらず、お腹の子の心音が弱くなってきたとのことでこのまま一気に出すと言われ、旦那も外で待つよう言われたみたいでした。



旦那が到着するのを待っていたかのようにその後、一気にお産が進み、最終的に会陰切開後に先生がお腹に乗って一気に引っ張り出され、8時56分ついに誕生!!

へその緒が二重で首に巻き付いていたのと、羊水を大量に飲んでいたようで、泣き声があがるまでの時間が不安で仕方がなかったけど、分娩室に響き渡る大きな声で泣いてくれ、その声を聞いた途端一気に力が抜けました。

そのあとは、会陰切開の縫合…切開したうえにさらに裂けたらしく、麻酔なしで何針も縫合されたため、お産よりもこの痛みに耐えるのがつらかったです。


生まれた我が子を抱かせてもらったとき、自然と涙が出てきました。

最終的に、初産にして分娩時間2時間という超スピード出産でしたが、あの痛みに耐えられる体力もなかったであろう私にはとてもありがたく、親孝行な娘です。

後から先生に言われたのが、へその緒が巻き付いていたおかげで38週までもったとのこと。

もし巻き付いていなかったら入院した日に出てきていたかもしれないと言われ、巻き付くことでいいこともあるんだなと少し複雑だけども関心しました。


無事に生まれた我が子は、2500gには足りず保育器に入ることになり、新生児黄疸が強く出たため入院が延びましたが、生後6ヶ月を迎えた今はミルクのおかげですくすくと育ち、成長曲線ギリギリに入れるくらい大きくなりました。

思い描いてたお産とは少し違ったけど、結果的に一番自分らしいなと思えたそんなお産でした。

ライター:りらりら

※ この記事は2024年11月01日に再公開された記事です。

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連載「第一回 記事投稿コンテスト 『出産』」 #19
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