「このままだと、お母さんも赤ちゃんも2人とも死ぬよ」
そう言われたとき、私はよく理解できず他人ごとのように茫然としていました。
おそらく、隣にいた主人も同じだったと思います。
現在2児(年子)の母の私は、妊娠9ヵ月で「早期胎盤剥離」という診断を受け、緊急帝王切開で長男を出産しました。
その経験談と、それでももう1人産みたいと思えた気持ちの変化について書いていきます。
出産予定日1ヵ月前。
午前中のみ職場に出勤し、来月に迫った出産に向けて色々な雑用を済ましていた土曜の夕方、下腹部に鈍い痛みを感じました。
よくある妊娠中のマイナートラブルだと思った私は、深刻にとらえていませんでした。
というのも、前日に妊婦健診で「順調です」と言われたばかりだったからです。
それまでの妊娠経過も特に問題はなく、私はタカをくくっていたのだと思います。
しかし、だんだんと痛みが増していき「これはおかしい」と、通っていたクリニックに連絡したときには初めの痛みを感じてから3時間も経っていました。
不運なことにクリニックの医師が出張で不在のため、市内の総合病院から当番医に来てもらうまでさらに1時間を要し、冒頭のシーンに至ります。
「このままだと、2人とも死ぬよ」などと信じられないことを言う医師に対して、私はオロオロしながら「で、でもまだ予定日まで1ヵ月もあって、普通分娩で産むつもりで…」と若干ピントがずれたような返答をしました。
すると医師は「早期胎盤剥離ってわかりますか?赤ちゃんに酸素や栄養を送るための胎盤が剥がれかかってるんです。赤ちゃんが苦しくて死んでしまうかもしれないし、お母さんもこのままだと出血多量の可能性があって命が危険なんですよ。」と冷静に、わかりやすく説明してくれました。
主人は顔面蒼白で言葉もありませんでした。
とりあえず、少しでも早く産むしかない状況だということはよくわかりました。
しかしそこですぐに病院に緊急搬送…とはなりませんでした。
市内で唯一対応できる総合病院のベッドに、空きが無かったのです。
産科医不足問題がこんなところで自分の身に降りかかるとは思ってもみませんでした。
結局、隣の市まで探しても受け入れ先は見つからず、当番医が自分の所属する総合病院に掛け合ってくれたおかげで満床のところになんとか手術と入院を無理矢理ねじ込んでもらえました。
ここでさらに1時間が経過していました。
心の準備もできないまま緊急手術は目まぐるしく進み、日付が変わる直前、初めの痛みを感じてから約6時間後に長男は無事この世に誕生しました。
部分麻酔だったので産声を聞くことができましたが、その瞬間は喜びというよりは安堵の気持ちが大きかったのを覚えています。
病院スタッフの皆さんには今でも感謝しかないです。
産後の傷の痛みや後陣痛に苦しみながら、なんとか車いすで息子に会いに行くことができたのは出産2日後。
長男は早産で体重が足りなかったのでNICU(新生児集中治療室)にいると主人から聞いていました。
やっと会えるんだ!と思ってワクワクしながらNICUに面会に行くと、息子はたくさんの管に繋がれ、カプセルの中でうつぶせに寝かされていました。
その姿に衝撃を受けたまま、医師から現在の状況と早期胎盤剥離で産まれた場合のリスクを説明されました。
息子は呼吸がうまく出来ていないため酸素マスクをしていること。
また、酸素が脳に届かない時間が長かった場合は、脳性まひなどの症状が出てこの先障害が残る可能性があることもその説明の中にありました。
主人は先にその内容を聞いていたはずですが、産後の私を気遣い、伝えていなかったようです。
私はその夜ずっとベッドの中で泣いていました。
「もっと早く病院に連絡していれば」
「あの日、動きまわらずゆっくり休んでいれば」
「妊婦健診で順調と言われたのにどうして」
色々と考えてもキリがありませんでした。
早期胎盤剥離の原因はハッキリとはわかっていません。
よくタバコが原因と言われますが、私も主人も喫煙者ではありませんでした。
今さら考えても仕方のないことばかり。
それでもたくさんの管に繋がれて眠る息子の姿と医師の説明は、産後で不安定な私の精神状態を直撃しました。
私は病院のベッドの中で検索魔と化し、スマホで早期胎盤剥離で産まれた子供のその後を延々と探し回っていました。
無事に退院した後も不安と罪悪感は付いてまわり、母親としてしっかりしなくては、と毎日必死で初めての育児に奮闘していました。
寝返りや首すわりが平均より遅かった息子に対してものすごく神経質になりました。
鬼気迫る形相で色々と調べたり相談したりする私を見て、夫や両親は私のことを「産後うつ」ではないかと心配していたそうです。(自覚はありませんでした)
「育児がこんなに大変だなんて…」と私は毎日疲れ切っていました。
そんな日々を経て、現在息子は2歳になり、元気にすくすく育っています。
よくおしゃべりをする、いたずら好きな、だけどすごく優しい子です。
最近では4ヵ月になる長女が家族に仲間入りして、幼いながらも「お兄ちゃん」として妹を可愛がってくれています。
つい先日、母親から、「あなたはもう子供は産まないのかと思っていた」と言われました。
「あんなに怖くて大変な思いをしているのを見ていたから、もう子供は欲しくないと言っても当然だと思っていた」と。
確かに、早期胎盤剥離は怖い体験だったし、ツラくて悲しい気持ちも味わいました。
「もう育児はイヤだ」と今でも何度も思います。
でも、それでもそれを上回る豊かさを、息子が私の人生にもたらしてくれました。
子供がいると、1人の時間は激減し、睡眠時間も満足に確保できず、
自分のペースで何かをするということが非常に難しくなるのでストレスが溜まることが多々あります。
子供のワガママに振り回されたり、子供が風邪をひいて病院に何度も通ったり、それが自分にうつって苦しんだりと、育児はハプニングの連続です。
でも、それでも、子供のちょっとした成長を家族で喜ぶことや、自分に向けて100%の信頼を寄せた笑顔を見せてくれた時の幸せな気持ちを味わうことは、何にも代えられないほど素晴らしいものでした。
また、2人目を考えるにあたっては、主人の変化も大きかったです。
仕事が不規則なうえにとても忙しい主人でしたが、産後の私を気遣って少し早く帰宅してくれるようになり、共働き中の家事はほぼ100%私が担当だったのを少しずつ手伝ってくれるようになりました。
もともと優しい人だったのですが、産後はよりいっそう優しくなりました!
緊急手術の日、「私が死んでしまうかもしれない」と思ったのかもしれません。
産後1年経つ頃には、「もう1人子供が欲しい」と自然に思うようになっていました。
ちなみに2人目妊娠中は切迫早産になってしまう等、妊娠中のトラブルに関するエピソードは尽きません。
それでも子供が産まれるたびに、夫婦の絆が強くなったように感じます。
これも、子供たちからの贈り物ですね。
これから先、様々な困難が待ち受けているのだろうと思います。
それでも、きっと乗り越えられると信じています。
ライター:あめの