ふと、夫に聞いてみた。
「子育てで驚いたことって何?」
「あぁ、おっぱいかなぁ」
普段は私からの質問に「う~ん」と考え込んでしまう夫が即答。
そして、私もその答えにうんうん、と同意。
もうすぐ1歳6ヶ月になる我が家の息子は、朝も昼も夜もおっぱいが欠かせない。
おっぱいの「とりこ」だ。
こんなにおっぱい大好きな子になるなんて知らなかった!予想してなかった!というのが私たち夫婦の総意なのです。
赤ちゃんが生まれたら母乳で育てたい、と考えていた私は、臨月になったら母乳の出を良くするというマッサージを始めようと計画していた。
ところが、臨月を前に切迫早産で入院。
破水したこともあり、臨月まではもたないだろうと先生から告げられた。
入院中、先生や助産師さん達からいろんなことを言われた。
「赤ちゃんはNICUのある別の病院に行くことになるかもしれない」
「体温調節や呼吸が上手くできなくて、保育器に入る可能性が高い」
「母子同室は難しいだろう」
元気に生んであげられなかったらどうしよう。母親失格だ。
絶対安静のベッドの中でそう自分を責め続けた。
毎晩、ひとり涙で枕を濡らした。これほどまでに一晩を長く感じたのは初めてだった。
助産師さん達はこうも言った。
「生まれてくる赤ちゃんは、おっぱいを吸う力が弱いかもしれない」
本来ならば、胎盤を通して栄養が運ばれてくるはずの時期に生まれてしまったとしたら、赤ちゃんはまだ自分でおっぱいを吸う力がないというのだ。
母子同室で授乳デビューする。
自分で思い描いていた近い未来は、思い通りにはならないのだと悟った。
少しでも自分の望んでいた未来に近づけたい。そのためには、一日でも長くお腹の中で育てることが大事だという。
お腹の中の我が子には、「とっても会いたいけど、もう少しお腹の中にいてね」と語りかけ続けた。
ひたすらベッドで横になり、なるべく動かないよう過ごした。
しかし、いよいよ前駆陣痛も始まり、感染症の可能性もあるため、どうにもこうにも出産はこれ以上先延ばしすることはできないことが確定。
分娩は、それまでの入院生活と比べるとあっという間に感じた。
やっと我が子に会える!
まだお腹の中で育ってほしいと思っていたはずなのに、いざ我が子との対面を迎えると、そんな気もちで胸がいっぱいになった。
生まれた息子はNICUにも行かず、保育器にも入らず、なんと母子同室だった。
ただ、自分でおっぱいを吸う力はまだなかった。
私は、搾乳に励んだ。早産だったので、母体の準備ができていない状態での搾乳は決して簡単ではなかった。
最初は、しぼってもしぼっても、母乳は出なかった。
それでも諦めたくなかった。早く生んでしまったことが息子に申し訳なくて、とにかく自分にできることに必死だったのだろう。
ひたすらしぼっているうちに、だんだんにじむようになり、ポタポタ、と1滴ずつ出るようになった。
たいていの産婦さんは、ここで手が筋肉痛になって、搾乳が辛くなるのだそう。
ところが私は違った。手が痛くならない。このときほど握力40越えの怪力で良かったと思ったことはない。
入院中、先生は毎日様子を見に来て、何か心配なことはないかと親身になってくれた。
「授乳は、お母さんと赤ちゃんの初めての共同作業です。ふたりで協力して、自分たちのスタイルを築いていってくださいね」
そうか。初めての共同作業か。良い響きだ。がんばりたい、そう思った。
退院するころには、息子は自分の力でおっぱいを少し吸えるようになった。
私の母乳の出も良くなり、搾乳生活は3週間ほどで終わった。
次第に、息子の吸引力もアップ。
「ゴク、ゴク、ゴク」
おっぱいを飲みまくる。1ヶ月検診の身体計測で、1日当たり60グラム体重を増やしたことがわかった。
先生たちも息子の成長ぶりに驚いていた。
予定よりも早く生まれたため、生まれたときは手足がほっそりとしていた息子だったが、検診時にはふっくらとした赤ちゃんらしい体形になっていた。
息子がおっぱいをよく飲むからだろうか。母乳の量も右肩上がりだった。
そのおかげが、お風呂では噴水のように母乳がわき出ることもしばしば。
私とお風呂に入っていた息子は、噴水状態の母乳をじ~っと見て、あろうことか口を開けたのだ。
息子の口の中に母乳が入っていった。
この授乳スタイルは「マーライオン飲み」と名付けた。
その後も息子は、何度か「マーライオン飲み」を披露してくれた。
離乳食を始める時期になっても、息子は食べ物に興味を示さず、おっぱいばかりを欲しがった。
そうして、いつからか、ベビーサインの「おっぱい」ということばに目をキラキラさせるように。
「フヘヘ」「オッホッホ」「うきゃきゃ」自分で自由に動けるようになってからは、喜びの声と共に近づいてきて、自分で飲むようになった。
笑いすぎてうまく飲めないときさえあった。
私は、そんな息子をほほ笑ましく見守っていた。
そうすると、1歳を迎えるころには、授乳の回数は自然と減るだろうという予想は見事に裏切られた。
私の洋服のチャックを開けるのも上手になった。
好きなときに好きなだけ飲む。
完全にセルフサービスのドリンクバー状態になっていった。
私と夫が心配になるくらいにおっぱいのとりこになった息子。
「そろそろ、授乳の回数を減らした方が良いのだろうか」
胸をまさぐる息子に「さっき飲んだばっかりだからね」と胸をしまおうとする私。
すると「うぉーー!!!」と、まるでこの世の終わりのように激しく雄たけびを上げるのでついつい根負けしてしまう。
そんなある日。
いつも行っている子育て支援センターで話していたママ友の一言に一瞬、止まった。
「昨日の夜は、久々にだんなと晩酌しちゃった」
その言葉に「あ、このママもおっぱいやめたんだ」と知った。
「おっぱいやめたら楽だよ」「1歳になったらおっぱいやめちゃったよ」そういった言葉をよく耳にした。
周りと比べてはいけないと思いつつも、どうしても気になってしまう。
「いつまでこの状態は続くんだろう」「このままで大丈夫なんだろうか」
ふつふつといろんな思いが込み上げてきた。
そんなある日、検診で病院に行った際、分娩時から見守ってくれている小児科の先生にこの状況を相談してみた。
すると、先生はこう話してくれた。
「今までもこれからも、育児に関していろいろな人からいろいろなことを言われると思います。でも、お母さんがお子さんに本当にしてあげたい、と思うことだけをしてください」
私はどうしたいんだろう?
自分に問いかけた。
私は、この子が必要とするなら、受け入れたい。
そうだ。これが私とこの子のスタイルだ。
他の人と比べなくて良い。このままでいいじゃないか。そう思うと、心がすっと楽になった。
おっぱいのとりこになった息子。
彼のおっぱいに対する執着心には日々戸惑いと驚きを隠せないが、母として、ありのままの我が子を見守っていきたい。
これから先、育児には、予想外の驚くことがたくさんあるだろう。その度に迷ったり、ときには立ち止まったりするかもしれない。
そんなときは、今回のように自分が我が子とどう向き合いたいのか、じっくりと考えて進んでいきたい。
そして、今日も目をキラキラさせて近づいてくる息子がただただ、愛しい。
ライター:なないろ