私の実家は季節のイベントや行事をしっかりやるタイプの家でした。
・お正月には、餅つきをしておせちは手作り
・元旦の朝は家族の年齢が低い人から、前日にお酒に薬味をひたして準備していたお屠蘇を飲む
・冬至の日は柚子風呂に入り、かぼちゃと小豆のいとこ煮を食べる
・端午の節句は菖蒲湯に入り、ちまきと柏餅を食べる
子どもの頃には、それが当たり前だと思っていました。
ですが今、自分が子育てをするなかで、こういった季節のイベントを生活に取り入れるのはとても大変だということにも気付きました。
共働きで小さな子どもたちを育てていると、毎日があっという間。
お正月や節句はともかく、夏至や冬至は毎年日付が変わるので、意識していないといつの間にか過ぎてしまいます。
また、行事ならではの特別な食材をその日に合わせて買い物し、献立に取り入れるというのはなかなかに大変です。
今になって、子どもの頃に当たり前だと思っていた行事は、親が祖父母から受け継ぎ、それを私のためにと時間をかけてやってくれていた得難いものだったと気づきました。
夫の実家は私の実家とは逆で、盆正月以外のイベントはほぼやらない、という家でした。
結婚してからはお互いの誕生日もスルーという感じです。
なので、まだ私たち夫婦に子どもがいない頃、私が色々な行事に合わせて食事や飾りを準備すると新鮮だったようで、とても喜んでくれました。
義理実家とのお付き合いを通じ、家によってこんなに違うのかとビックリしたと同時に、気付いたことがあります。
自分が当たり前だと思っていたものは、決して当たり前ではなかったということに。
甘くて大好きだった栗きんとんや、チクチクするけど特別感があって楽しかった菖蒲湯。
「風邪をひかないようにしようね」と冬至の前日にいとこ煮を作る、母親の後ろ姿。
「悪いことが起きませんように」と願いながら、良い香りがする柚子湯に家族で入った思い出。
行事ごとに意味があり、そこには様々な願いが込められていました。
私自身が経験してきた行事は、両親がさらにその上の世代から脈々と引き継いできたもの。
ちょっと大げさな言い方かもしれませんが、私の実家で続いてきた行事は、そんな祖父母からの「バトン」とも言えます。
私は、自分をたくさん可愛がってくれた祖父母のことが大好きでした。
特に祖母からは、今でも時々思い出す大切な言葉があるくらい、人生に大きな影響を与えてもらいました。
私がやらなければ、子どもたちはその行事を知らずに育つことになる。
「バトン」を子どもたちに渡しそびれることは、祖父母から受け継いだ思いまでも断ち切ってしまうように感じました。
それは哀しいし、もったいないなあと思ったのです。
そうは言っても、共働きで幼い年子たちを育てながらすべての行事を行うのはなかなかに難しいのが現状です。
餅つきやおせちの手作りなど、今の自分にはかなりハードルが高いものも…。
1人目の息子を出産した後は、両親と同じようにできなくて落ち込んだこともありましたが、家族構成や環境の違いもあります。
子どもが小さいうちは、市販品などを活用しつつ、できる範囲で家族で楽しんでいけたらいいなと思っています。
また、親の私が行事に思い入れがあったとしても、子どもたちの方はどう受け止めるかはわかりません。
今でこそありがたく思うものの、正直、私も思春期の頃は家族のイベントが億劫だったこともありました。
子どもたちに良い思い出を残すためにどうしたらいいか?を考えながら、無理強いにならないラインを手探りしつつ、この長きにわたるバトンリレーに私も挑みたいと思っています。