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公開 2020年05月11日  

保育園に行きたくない息子へ。実母からの「古い連絡ノート」が教えてくれたこと

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双子が保育園に入園したばかりの頃のこと。毎朝泣きじゃくる息子に、すっかり心が折れそうになっていたのですが、そんな時に実母から思いがけない贈り物が届いて……。


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毎朝泣きじゃくる息子。波乱の保育園生活スタート


現在小学校2年生の双子たちが、3歳だった頃のこと。私の復職が決まり、2人は保育園に通うことになりました。

入園当初、息子は毎朝「行きたくない」と泣いて、それはそれは大変でした。

保育園に向かう自転車に乗せるのも一苦労。どうにか保育園に着いたかと思うと、自転車から降ろすのにまた一苦労。

泣きじゃくる息子を抱えて連れて行き、先生に預けてお別れをする。

息子は靴を脱いで教室に入る……かと思いきや、先生の手をすり抜けて靴下のまま私を追いかけ、門扉を揺らして吠えるように泣いていました。


一方の娘は、お別れのあいさつをするとスッと教室に入って行ったので、「双子とは言え、こうも違うものか……」と感じながらの保育園生活スタート。

3歳の子どもに毎朝大泣きされるというのは、母親としてはなかなかつらいものがあり、「振り返ってはいけない。一度保育園に預けたら、もう振り向かない」と心に決めて駅に向かう毎日でした。

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母から送られてきたノート


そんなある日のこと。

実家の母から送られてきた荷物の中に、どこか見覚えのあるノートが入っていました。

開いてみると……それは、私が保育園に通っていた頃に使われていた、母と担任の先生との連絡ノートだったのです。


そこには、保育園入園当初の私の様子が詳しく書かれていました。

当時5歳だった私が、保育園生活に馴染めず毎日泣いていたこと。

「保育園は泣くところではないので、泣いたら厳しく接してください。」という、母から先生へのメッセージ。

母は今の私以上に、厳しいコメントをしているじゃないか……と思ってしまいましたが、読み進めるにつれてだんだん当時の記憶が蘇ってきました。

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登園時に母と別れたくなくて泣き、やっと涙がおさまっても、担任の先生がいなくなるだけで泣いていたこと。

母と園長先生が知り合いだったので、園長先生の顔を見るだけでも、また母を思い出して泣いたこと。

正直、当時の私は、息子の比じゃないくらい泣いていたと思います。

「今日も涙しました。」

「今日は泣かないと約束しています。」

「今日も泣いてしまいました。」

そんなやりとりがしばらく続きましたが、数ヶ月が過ぎた頃には、私もすっかり保育園に馴染むことができていた様子。

そう考えると、先生から「お母さんの姿が見えなくなると、お友達と遊んでいますよ」と言われている3歳の息子は、当時5歳だった私と比べてなんて立派なんだろう……と思えたのです。

保育園生活の“道しるべ”に


毎朝あんなに泣いていた息子も、やがて保育園生活に馴染んでいきました。

私が“その時”が来るまで頑張れたのは、あの時母から送られてきた保育園ノートのおかげ。これがなければ、毎朝涙する息子を見て、早々に心が折れてしまっていたかもしれません。


保育園ノートはその後も、私と双子の保育園生活における“道しるべ”になってくれました。

例えば、お友達との集団生活のこと。

双子たちは家の中でも常に“同級生”と一緒だったことに加えて、ワンオペ育児で双子を連れての外出が難しかったため、同年齢の他の子と交流する機会があまりありませんでした。

保育園への入園にあたり、「同年齢のお友達と一緒に過ごすことができるだろうか」と心配していたのですが、そんな時に私の保育園ノートを読んでみると……?

当時5歳だった私も、お友達の輪に入ってけるようになるまで随分と苦労していたようなのです。

不思議なもので、自分も通ってきた道なのだと分かったことで、「きっとどうにかなる」と気長に見守ることができました。


また、双子たちが「給食で苦手なものが出てたので、量を減らしてもらった」と話していた時は、「好き嫌いを克服できるのか?」「ちゃんと給食を食べられているのか?」と心配しました。

でも、この時も保育園ノートを見てみると、当時の私もしいたけやピーマンが食べられず、随分と時間をかけて給食を食べたことが分かったのです。

自分に好き嫌いがあったことは覚えていませんでしたが、「なんだ、あの頃の自分と同じじゃないか」と思うと、「いずれ食べれるようになる日が来るだろう」と前向きに捉えることができ、寛容な気持ちで接することができました。


3歳と5歳では、年齢による違いもあったかもしれません。

それでも、「ノートを開くと、5歳の頃の自分がいる」という経験は私にとってかげがえのないもので、双子の保育園生活に何か不安が生じても、幼少期の自分や当時の母、そして先生の言葉に、随分と背中を押してもらったのです。

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双子たちにも「幼い自分に出会える機会」を


母からの保育園ノートに随分と助けられた私は、「双子たちの保育園ノートも、いつか2人にプレゼントできるようにしっかりと書こう」と心に決めました。

どんな出来事があり、どんなことをして、どんな話をしたのか。

それを毎日2人分、2冊のノートに書き綴るということは、正直とても大変だと思うこともありました。

それでも、母からの保育園ノートが私に与えてくれたように、双子たちが大きくなった時に、幼い自分に出会える機会をプレゼントできるかもしれない。

そう思って3年間を書き綴りました。


今、双子たちは小学校2年生。

今年は生活科で、これまでの思い出を振り返る授業があると聞いているので、もうすぐ1回目の役に立つ時がくるかもしれません。


余裕のない生活の中で、ふと自分の幼い頃に立ち戻らせてくれるノートを贈ってくれた母に、とても感謝しています。

※ この記事は2024年09月20日に再公開された記事です。

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