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公開 2020年06月16日  

「夫は頼りない」と思っていた。分娩台で気づいた、大切なこと。<第四回投稿コンテストNO.85>

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夫の立ち合い出産は無理だろう…と思っていた松山マミさんでしたが、「いざ出産!」という時に夫のナイスアシストがあったそうです。



うちのダンナは鈍くさい。

そのうえヘタレである。

だから、出産に立ち会うなんて無理に違いない。


そう思っていました。


両親教室では居眠りをするし、起きていたとしても習ったことはすぐ忘れる。

そのくせ出産に立ち会いたいという希望だけは強い。


困ったなぁ、と思っていたんです。

あ、わかってますよ?

この文章のお題が「パートナーのナイス育児」だってことは。


さて、続けましょう。

ここからは出産当日のお話です。


「夫は頼りない」と思っていた。分娩台で気づいた、大切なこと。<第四回投稿コンテストNO.85>の画像1
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あの日、本格的な陣痛が来たのは夜になってからでした。

夫の運転で病院に行き、入院したのが夜中の0時。

私が陣痛室で痛みの波をやり過ごしているとき、夫はというと、廊下の長椅子に横になって高いびき……。

助産師さんが廊下を通るたびに、心配そうな顔で、「ダンナさん、起こそうか?」と声をかけてくれたものです。

私はそのたびに「……たぶん、起こしてもまたすぐ寝ちゃうんで、寝かせておいてください」と答えていました。


もう、帰って寝ればいいのにね……。


そして夜が明け、分娩室へ移ったのが午前8時。

すっきりした表情で起きてきた夫は、「立ち会いますか?」と助産師さんに聞かれて、神妙な面持ちで「はいっ!」と。

気合は十分でしたが、どうしたらよいのかわからないようで(そりゃそうだ。この人、両親教室で爆睡してたもの)、分娩台の横に置かれた椅子に、ちんまりと座っていました。


いざ分娩となったら、助産師さんに言って追い出してもらおうか……。


私がそんな考えを巡らせているとも知らず、夫は私の横でニコニコしながら、何の面白みもない話を、ぽつりぽつりとし続けていたのでした。


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そうこうしているうちに子宮口が開いてきて、いよいよ産まれるというとき、助産師さんが言いました。

「ダンナさん、お母さんの頭を持って、いきむタイミングで持ち上げて!」

「はいっ!」

待ってましたとばかりに夫は立ち上がり、私の頭の下に手を置きました。


タイミング外さないかな。

あ、来る。

来るよ。

大きな波が。

来る、来る、来たっ、キターっ!!!


そのときです。

私の呼吸に合わせて、夫は私の頭をスッと持ち上げました。

厚くて大きなてのひらで、ほどよい角度に、最適のタイミングで。


あ、私、支えられている、と思いました。

ほんの少しの間の、あまりにさりげない手助けだったけれど。

今、まさに外の世界に飛び出そうとしている娘と、その娘の背中を押している私と、その私を支えている夫。

その3人がつながったと思いました。


妊娠期間中、私はずっと自分ひとりで走ってきたつもりでした。

でも、違った。

ずっと支えられていたんです。


「夫は頼りない」と思っていた。分娩台で気づいた、大切なこと。<第四回投稿コンテストNO.85>の画像3
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石橋を叩く前にダッシュで渡ろうとする私を、石橋を叩いて叩いて叩いてから、ソロリソロリと渡る夫が。


石にかじりついても目的を遂げようとする私を、拘泥しない夫が。


認めるのは悔しいけど、言うのは恥ずかしいけど、ナイスだよ。

なかなかナイスなアシストだったよ。


一説によると、ダンナの語源はサンスクリット語の「贈る」なのだとか。

私はなかなかよい贈り物をもらったようです。


あの日からもうすぐ4年が経ちます。


うちのダンナは相変わらず鈍くさいし、ヘタレだし、加えて最近は涙もろい。

人様に誇れるような、「ナイス育児」なエピソードなんて、正直ひとつも思い浮かばない。

でも、私の100倍くらい向こう見ずな3歳児が無事に育っているのは、マイペースで、慎重で、情に厚い夫の、さりげない手助けによる「ナイス育児」の賜物なのです。


たぶん、ね。



(ライター:松山マミ)


※ この記事は2024年11月12日に再公開された記事です。

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