いよいよ冬が深まってきてからこっち、3歳の末っ子が、ずっと気にしていることがある。
カレンダーはいよいよ1月も下旬、迎えるは2月。
そう、節分。あの、節分。
彼女の通う園で使う出席ノートは、見開きのカレンダー仕様になっており、年度初めに配られた時点ですでに、あらゆる行事のシールが貼られてある。
入園式だとか、お誕生日だとか、夏休みだとか、クリスマスだとか、もちろん節分だって。
寒さが深まった12月のある日だった。
あれはまだ冬休み。
自宅で末っ子がなにを思ったのか、出席ノートを出してきて、眺めて遊んでいた。
その時食卓では、夫が仕事を終えて、みんなより少し遅い夕食をとっていた。
「ねえ、パパ」
末っ子の表情が、どことなく硬い。
「この日って……鬼がくるの?」
仕事で疲れた夫は、騒がしい真ん中長男に返事をしながら、食事を口に運んでいるところで、末っ子の出席ノートを一瞥して、あろうことか、よく考えずにお返事をしてしまったんだった。
「うんうん、そうだね」
そう言って、夫はまたひと口、食事を口にした。
耳を疑った。
なんてことを宣告するんだろう、この四十路は。
瞬く間に、全身から絶望を噴き出させる末っ子。
黙々と食事を続ける夫。
なんだか賑やかな長男。
万事休す、とうなだれる私。
うつむく私に夫がどうしたのと訊ねるのだけど、もう手遅れだ。
隣では末っ子が「もう幼稚園にはいかない」と言って、この世の終わりみたいに泣いていた。
末っ子が、2歳児さんクラスのときのこと、やはり2月には恒例の豆まきがあって、どうやら彼女はその日の出来事が忘れられないらしい。
彼らの園の節分は、本気度が高いのだ。
鬼はバスの運転手さんたちが、演じてくださる。
普段は笑顔が素敵なやさしい方たちなのだけど、この日だけは違う。
緑または赤または青のタイツらしきもので全身を包み、肌色は一切隠しておられる。
顔はあれ、どうなっているんだろう、精巧なお面かなにかなんだろうか、顔面ももちろん緻密に鬼。
ぬかりない彼らは、上腕や胸のあたりも隆々と膨らませており、その姿はどう見ても人間とは思えず、やはり360度、全方位的に鬼なのだった。
中には「あれはバスの先生なんだよ」と吹聴する、利発なお子さんもいらっしゃるのだけど、実際に鬼を目の前にすると、いくらバスの先生だと言われたって、にわかには信じがたいと思う。
私だって、バスの先生の面影がどこにもない鬼を目の前にしたら、きっと信じられない。
しかもあろうことか、この鬼、中身は子どもたちのことが大好きなバスの先生だから、ついやりすぎてしまうところがあって厄介だ。
ちらっと姿を現して、園児に豆をまかれたら退散してくれればいいものを、適当に数人を捕まえたりもする。
去年は、末っ子も長男も鬼に捕まったらしく、後日注文した園生活の写真では各々、泣き叫んでいる表情がそこにあった。
楽しい園生活の写真を拝見する機会が設けられているけれど、こと節分に関しては、ほぼ全員が阿鼻叫喚の様相で、毎年それらを見ては何とも言えない気持ちになる。
行事って、ときに残酷でもある。
以来、末っ子は鬼と名のつくものすべてを怖がるようになり、鬼が写っている節分の写真を見ることはもちろん、どんな小さな鬼のイラストにも怖がるようになってしまった。
よくある「早く寝ないと鬼がくるよ!」なんて、とても言えない。
さて、1月も下旬に差し掛かった。
出席ノートはひとマス、またひとマスと埋まっていく。
もはや、彼女は2月を確認することすら恐ろしいらしく、毎日「ママ、シールのノート見て」と言いに来る。
つまり、今日という日が、節分ではないかを気にしているらしい。
朝起きてから登園まで「今日は鬼来ない?」と、何回聞かれるだろう。
毎日、毎日、「今日は来ないよ。まだ1月だよ」と安心させては送り出しているのだけれど、それも当然いつかは終わるのだ。
だって、節分はそこまで来ている。
私はどこかで、「今日は鬼がくるよ」と告知しなければならない。
この憂鬱どうしたらいいの。
末っ子には、「鬼が来る日になってもね、豆をまけばやっつけられるんだよ」と、努めて明るく言ってはみるのだけど、「その日は、ようちえんお休みするって言ってるでしょ!」の一点張りで参っている。
あまりに鬼の影響が大きいので、担任の先生にも末っ子が非常に不安な旨、お伝えはしてあるのだけれど、1年間のカリキュラムは決まっているし、節分に向けて例年通りやるべきことがすでに用意されている。
教室には少しずつ、鬼関連のお飾りが増え、制作の時間もやはり鬼絡み。
昨日は、柊とイワシのぬりえをしたと言っていた。
節分が静かに忍び寄っている。
ますます不安定な末っ子。
この件に関しては、今のところ答えが出ず、毎日両手をピースサインにして「2と!2に!なったら!鬼がくるの!!」と言って目に涙を浮かべる末っ子をひたすら慰めている(今年の節分が暦の都合で2月2日)。
鬼に豆を撒くといういうことの意義って、いったいなんなんだろう。
勇気が出るとか、弱い自分に勝つ、とか、そういうことなんだろうか。
毎日の押し問答に辟易している今日、心から節分を避けて通りたい。
私の中の寛容なお母さん部は、「いいじゃない1日くらいお休みさせたって、そんなにストレスなら行く必要ないわ」と言うのだけれど、私の中の世間体を気にするお母さん部が、「ズル休み癖をつけさせる甘やかし親だと思われたら、どうしよう」と狼狽する。
もういっそ、鬼がこわいお友達はお休みしてもいいですよ、って園からお便りが配られてほしい。
それなら、世間体を気にするお母さん部も安心できるので。
どうかひとつ。