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公開 2021年02月24日   更新 2022年03月15日

小1になると、急にあれこれ大変になる。どうか生きて帰宅して。

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もうすぐ真ん中長男が1年生になる。

長女のときも小1の1年間は大変が渋滞していたから、覚悟はしているんだけれど、知っているからこそ緊張が高まるこの頃。

とりあえず、安全に道を歩いてくれるかどうかが心底不安。


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2年前の春、小1の壁なんて私には関係ないと思っていた。


その年は、末っ子が幼稚園の未満児クラスに入園が決まっていたし、真ん中長男は頼もしい年中さん。

下のふたりは慣れた園にお任せできるのだし、小1長女くらいなんとでもなるだろう、とそれはそれはゆったり構えていた。

なんと言っても私は在宅ワーカーだから、時間の融通も効くし、下校時刻には自宅にいるし。

そう、ずいぶん呑気だったと思う。



とは言え、長女の小1が大変だったと気がついたのも、ごく最近のこと。

穏やかな小2を経て、あれ、と思ったのだ。

去年はそういえば、ただただあらゆることに必死で、毎日がふらふらで、そういうものと思って走ってはいたけれど、小2はこんなにも楽なのか、と思い知った。

もう通り過ぎてしまったけれど、あれはいわゆる小1の壁というものだったのかもしれない。


さて、次の4月、いよいよ真ん中長男が小1になる。

覚悟を決めて、次年度の扉を開きたいと思う。



まず、なにがそんなに大変だったのか、と解体してみる。

たぶん、ひとつひとつはなんてことないことばかりなのだ。

だけれど、それが1年間で怒涛の勢いで押し寄せるものだから、息継ぎをする暇がない。

常にくる球を打ち返しているような、そんな心地だった。

細々した小さな「困った」たちを拾い上げて、一番重みがあったのは、やはりお友達関係かもしれない。

そもそも、小学生のお友達事情というのが、完全に未知の世界だった。

そんなこと、今までやったこともないのに、小学生になったとたん、どこで覚えてくるんだろう、急に「お約束」をしてくるようになった。


最初に度肝を抜かれたのは「公園で一緒に遊ぶ」という、お約束。

今まで、公園に子どもだけで行かせたことなんてないのにまず驚いてしまうし、しかもあろうことかその「公園」はどこの公園かすら分からなかった。

さらに、待ち合わせの時刻はいったい何時なのかも不明。

そしてそして、時計も読めないのにどうやって待ち合わせて、どうやって解散するのかも不明だった。不明がいっぱい。


その他にも、誰それちゃんのお家に遊びに行く約束をした、というのもあった。

私としてはそのご家庭の事情も知らなければ、お母さんがどういった方かも存じ上げないのに、やすやすと行かせるのがとても不安で気が重かった。

そういう約束をしてこないでと、言っていいものかどうなのか、いちいち頭を悩ませていた。

子どもたちは、学校で親睦をうんと深めているけれど、親同士はそういうわけにはいかない、という点が難しかった。



そして、やはり登下校。

先月まで登園には親が送迎していたのに、突然それなりの距離を子どもだけで歩かせるというのが、頭では理解しているのにどうにも気持ちが追いつかなかった。

我が家は校区の一番端にあって、学校までも遠く、1.5km以上。

朝は集団登校でなんとかなるのだけれど、問題は下校だった。

上級生の下校が遅い日は、1年生だけで帰る日が当然ある。

こちらは車社会なので、車も通る道を歩くということに対して経験が少ないかった。

今までひとりで横断歩道も渡ったことがなければ、今までひとりで道を歩いたことなんてなかった。

もしも変な人に声をかけられでもしたら、もしも横断歩道で転んだりでもしたら、悪い想像はいくらでもできてしまう。

また、幼稚園のお迎えはこちらから出向くので時間の采配がしやすいのだけど、待つというのはこんなにもしんどいものかと驚いた。

花を摘んだり石を拾ったりする1年生の下校は、とても時間がかかる。

そして、それは日によって大きく変わる。

30分で帰宅したかと思えば、1時間もかかって帰宅したりもする。

下の子たちのお迎えや、お買い物などの雑用もある中で、帰宅が読めない長女をじっと待つのは、慣れないうちは薄い緊張が張り詰める時間だった。

ちょっとした余談を挟むのだけれど、長女は4月時に、一度だけ道に迷って帰宅できなかったことがあった。

近所の方が保護してくださって、どうにか事なきを得たのだけれど、そんなことがあったことも、心配に拍車をかけることになっていた。



最後にもうひとつあげるなら、新1年生のお疲れ問題。

慣れない新生活によるものだと思うのだけど、長女の場合は夜7時には睡魔が襲ってきていて、それまでにごはんやお風呂や宿題をすませないといけないのが大変だった。

当時、長男が15時、末っ子が17時にそれぞれお迎えがあり、夕方は長女を連れて送迎に追われていた。

全員を回収して自宅に戻るころには、17時半という状態だったから、19時まで1.5時間しかない。

駆け足で、どうにか日々を乗りこなしている状態だった。


他にも連絡帳だとか、服装だとか、提出物だとか、慣れきった幼稚園では阿吽の呼吸で済んでいたあれこれが一転して、なにもかもがこれはいったいどういう意図のなに目的のそれなのか、と頭をひねらなければならなかった。

さて、ようやく長女の入学から2年が経って、長女もうんとしっかりして、私も少しくらいではいちいち動揺しなくなったし、仲がいいお友達のこともすっかりよく知っている。

体力もついて、夜も20時半頃お布団に入ればじゅうぶんだ。

そして、やれやれ、少し楽になったと思ったと感じたところで、我が家の真ん中っこがいよいよこの4月、小学校へ入学するというわけ。

とにかく段取りよく早く寝かしてやらなければ、と思うし、お友達と急なお約束をしてこないように、釘を刺さないといけないとも思う。


そして、やっぱり登下校。

あの危なっかしい歩き方も、前を見ない不注意さも、テンションが上がって急に走り出す癖も、よく知っているからこそなによりも不安。

どうか、生きて帰ってきてほしい。

ほとんど、戦地に送り出す母親の気持ちでいる。



間もなく訪れる新生活。

親もこんな風に翻弄されているなんて、自分が小学生の頃には想像もしなかった。

慣れるまではお互い忍耐が必要になるけれど、これもまた通過儀礼だと思って、強い心で乗り越えていくしかない。

1年も経てば、また、きっと「ああ大変だったな」と笑うんだろう。


と分かってはいるんだけど、やはり不安。

そう、少年よ生きて、できれば無傷で帰ってきてほしい。

つまり、つらつらと長女期の大変だったあれこれを書き連ねたけれど、私が彼に見る「小1の壁」の主要成分っていうのは、はっきり言って、生きて帰ってくるかどうかという点。


交通安全のお守りを買って安心を得ることと、彼にこんこんと安全な歩き方を伝えることの、二本足で新年度をお迎えするという気持ち。

どうか生きて帰ってきますように。

本音を言えばもうそれしか出ない。


※ この記事は2024年09月11日に再公開された記事です。

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