私の祖母は優しくも凛とした笑顔の綺麗な人だ。
共働きの両親に代わり、幼い頃から祖父母に面倒をみてもらっていた私は、祖母のその綺麗な笑顔が大好きで、幼心に女性として憧れを抱いてさえいた。
でもたった1度だけ、その笑顔が崩れた日があり、ひどく印象に残っている。
それは祖父の認知症が進行した時だった。
祖父に認知症の症状が現れたのは、私が10歳を過ぎた頃だ。
最初はちょっとした物忘れ程度だったが、あれよあれよと言う間に孫である私のことも分からなくなった。
祖父のことも大好きな私は、ひどくショックを受けた。
しかし祖父の症状はとどまらず、しばらくするとついに祖母のことまで分からなくなってしまったのだ。
「おばあちゃん空気になってしまったみたい」落ち込む祖母に孫からの贈り物
557 View認知症の祖父を介護していた祖母。「おじいちゃんにとって自分は空気になってしまったみたい」と語った彼女に、孫がプレゼントしたものとは…。『心に残った贈り物』をテーマに開催された、<Conobie×ネスレ日本 投稿コンテスト>。特別作品賞、ちょるりさんの作品です。
祖父の症状の進行を母から聞いてすぐ、心配して様子を見に行った。
すると出迎えてくれた祖母は胸には、祖母の名前が大きく書かれたお手製の名札を貼られていた。
その名札を見たら、祖父がやはり祖母を忘れてしまったのだと痛感した。
また祖母は一体どんな気持ちでその名札を作ったのかと想像すると、胸がひどく締め付けられた。
そしてショックな顔をしていたであろう私に、祖母は笑顔でこう言った。
「おじいちゃんにとっておばあちゃんは空気になってしまったみたいやわ」
その時の笑顔は今でも脳裏に焼き付いている。
いつもの綺麗な笑顔とは違い、寂しいような悲しいような…泣いているようにもみえる笑顔だった。
私は祖母を励ましたかったのだが、上手く気持ちをまとめるにはまだ幼く、ただ下を向いて押し黙ることしか出来なかった。
いつもお世話になってばかりで、こんな大事な時に何の役にも立てない無力な自分が心底悔しかった。
祖父母の家から帰宅後、私は急いで机に向かった。
ちょうど学校の宿題で『私の家族』をテーマに作文を書かなければならなかったのだ。
私は祖父母のことを書いた。
祖父の認知症が進行していること、そしてその日聞いた祖母の台詞についても書き、最後はこういう風に締めくくった。
『おばあちゃんは空気になってしまったと言うけれど、人は空気がないと生きられません。おばあちゃんは今までもこれからも、おじいちゃんにとってかけがえのない大事な人だよ』
拙く、まとまりの無い文章だったが、祖父母を想いながら真剣に綴った。
その作文は後日、学校を通してコンクールに出され、受賞し、他の受賞作品と共に冊子になり手元へ届いた。
その冊子を受け取ってすぐ、祖父母の家へと向かった。
そして祖母へそれを手渡し、真っ直ぐ目を見て伝えた。
「あの時は何も言えなくてごめん‼︎ 気持ちを整理して作文にしてん。良かったら読んで」
祖母はまず受賞したことを大層褒めてくれ、そして「ありがとう」と嬉しそうに受け取ってくれた。
その数年後、祖父は眠るように亡くなった。
そこから10数年の時が経ち、私は結婚が決まり祖母へ報告に向かった。
するとお祝いと共に、祖母はどこか古びた大判の封筒を差し出してくれた。
中をみてみると、かつて私が渡した作文の冊子が顔を覗かせた。
祖母は言った。
「あの頃、この作文に沢山助けてもらったんよ。本当にありがとうね。おばあちゃんはもう平気やし、ほんま良く書けてるから、いつか子どもが生まれたら読ませてあげて?」
冊子を手に取ってみると、恐らく繰り返し何度も読んでくれたのだろう、端はうっすら擦り切れ、開き癖がしっかりとついていた。
どうやら自分は無力だと嘆きながらも祖父母を想って紡いだ私の言葉達は、大好きな祖母の力になれたようだ。
それが心の底から嬉しくて…その証である古びた冊子は私の宝物になった。
それから幸いにも私は3人の子宝に恵まれ、日々その慌ただしさに忙殺されている。
ただそんなせわしない日々の中でも、子ども達に対していつも意識していることがある。
それはどんな時でも『気持ちをしっかり伝える』こと。
嬉しい気持ち、悲しい気持ち、楽しい気持ち、寂しい気持ち…そして何より大好きだという気持ち。
その時々でどんな気持ちでいるか、どう思ったかなど、出来る限り言葉にして伝えるようにしている。
子ども達を真剣に想って伝えた言葉は、かつて作文が祖母の助けになれたように、いつか彼らの助けや心の糧になってくれるのではないかと信じている。
まだまだ子ども達は幼いが、いつか例の冊子を彼らと読みつつ、その想いについて話す日が来るのが今から楽しみだ。
最後に祖母は御年90を越えてもまだまだ健在だ。
たまに様子を見に行くと、いつも満面の笑顔で出迎えてくれる。
昔から変わらない優しくも凛とした綺麗な笑顔でーー。
(ライター:ちょるり)
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