プルルルル…。
夜の8時ころ、家の中に電話の呼び鈴が鳴り響く。
バスガイドの仕事をしていた母は、家を空けることが多く、そんなときは決まって毎晩、電話を寄越す。
それは、幼かった私の唯一の楽しみだった。
「変わりはないかい?」
いつも、決まってこのセリフ。
そこで、今日あった出来事を報告する。
「佐久間さんが、おかずを持ってきてくれたよ。あと、村下さんから電話があった!」
当時は、携帯電話がない時代、報告漏れがあったら、また次の日まで待たなければならない。
「つぎ、姉ちゃんの番。」私は、姉に電話を替わる。幼い私たちは、用事がなくても貴重な母からの電話には、必ず出る。
姉は、「いつ帰ってくるの?」などと、2、3話したあと、母に父の様子を聞かれたのか、「おとーさん!なんかあるー?」父に問いかける。父は、無言で手を振り、「ない。」の合図を送る。
最後に、もう一度私に「もう、いいかい?」確認してから、電話を置く。
これが、母が仕事に行っている間のルーティーンだった。
お土産と一緒に帰ってきた母。今でも宝箱に大切にしまってあるもの
297 Viewバスガイドをしていた母。いつもたくさんのお土産を持って、帰ってきてくれました。『心に残った贈り物』をテーマに開催された、<Conobie×ネスレ日本 投稿コンテスト>。入選、Booさんの作品です。
そんな母が、仕事を終えて帰ってくるのは、早くて1週間、長ければ、3週間程度のこともあった。
年の離れた兄や姉がどう思っていたのかはわからないが、私は、3人兄妹の末っ子で、いつもそばに父と兄と姉が居たので、寂しいと思ったことがなかった。
ほんとの本音で。
今、思うと仕事で家を空けるのが母、ということが自然と体に染みついていたし、困ったことがあっても、姉がいつも助けてくれていたから、不安がなかった。
お気楽な末っ子で申し訳なかったと、今、姉には感謝してもしきれない。
そして、毎晩かかってくる電話と同じくらい楽しみだったのは、長い留守番のあとの母の帰り。
ただ、その動機が不純。
帰宅した母は、荷物が多いので、玄関のピンポンを鳴らす。
玄関にすっ飛んで行って、出迎える私は、
「お母さん、おかえり!お土産なーに?」
第一声が、これである。
もっと労えよと思うが、幼い私にこの声は届かない…。
母は、自分の荷物を置く間もなく、私にせがまれる。
「はい、はい、お土産ね。たくさんあるよ、ケンカしないで分けなさいよ。」
そう、母は、いつもたくさんのお土産を携えて帰ってきてくれるのだ。
キタキツネのキーホルダーやクリップ、小袋に入ったバター飴、などなど。
単純な私は、それが純粋に楽しみであり、嬉しかった。
そうして、幼い私たち姉妹の宝箱の中身は、どんどん増えていった。
母は、お金に厳しく真面目な人だった。
家では、新聞からガイドに使えそうな記事を見付けると、スクラップにしておくという勉強家でもあった。
家を空ける前には、必ず、冷凍できるおかずを作ってから出ていたし、学校の行事があるときは、絶対に仕事を入れなかった。
自分のやりたいことをやるからには、自分のできることはきちんとやる人なのだ。
だから、家計を助けるために仕事に出ることが前提にあったとしても、家のことをおろそかにはしない。
恐らく職場でもそうだったのだろう。
ツアー会社を退職したあと、フリーのバスガイドになっても、仕事の依頼をちょくちょくもらっていたのが、その証だと言える。
それって、実は、相当すごいことなのではないかという気がしてならない。
でも今、私が母になり、子どもを残して、働きに出る気持ちを考えるとちょっと複雑な気持ちになる。
姉が、今の私の娘と同じ年代のころに、家を何日も空けてそのカバーをしていたかと思うと、無茶としか言えない。
今、自分の娘にそれができるかと思うと、情けないけど、否だから。
私の記憶の中では、父よりも姉との時間が長い分、姉の世話になっている。
仕事から戻ると「留守番ありがとうね。」といつも言っていた母。
いつも、どんな気持ちで私たちへのお土産を選んでくれていたのだろう。
あのたくさんのお土産は、せめてもの罪滅ぼしだったのだろうか。
今はもう、直接母に聞くことは出来ないけれど、お母さんからのお土産たちは、今も宝箱に眠っている。
(ライター:Boo)
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