毎週土曜日午後に、近くの寺の広間を借りて、算盤塾が行われていた。
生徒は同じ小学校の生徒ばかり。
ある日、早めに集合した子ばかりが、時間を持て余し、先生が来るまでの間にドッヂボールをしようということになった。
あまり乗り気ではない私……。
「あーぁ、また当てられ役かぁー」
ボールの替わりは、寺の庭にいくらでも咲いていた椿の花。
首からポタリと落ちている大きめの固めの花を選び、学年や男女を混合にして、上級生が適当に組分けし、即席ドッヂボールのはじまりとなった。
当時、小柄で細身で運動苦手の私は、走っても跳んでも回っても投げても、何をやってもダメで、体育の時間がいつも嫌でたまらなかった。
徒競走、リレー、鉄棒、跳び箱、マット運動、小学生の体育の絶対評価の対象すべてにおいて。
静かな算盤教室で、一瞬流れた2人だけの時間。椿の花を見るたび思い出す、あの男の子
228 View子どもの頃、年上の男の子にもらった椿の花。その意味を、今でもふと考える…。『心に残った贈り物』をテーマに開催された、<Conobie×ネスレ日本 投稿コンテスト>入選、パールローズさんの作品です。
ところが、この椿ボールはホンモノの硬いボールとは違い、スピードも遅く、当たっても全く痛くない。
体育の時間ではないし、勝ち負けもそんなに気にしない。
同級生ばかりでなく、同じ小学校の上級生から下級生までを均等に2組に分けての、ドッヂの組み分け。
体育の時間でもなく、運動会や球技大会の種目でもない。
みんな、いい感じに力も抜けて、和気あいあいと笑いながら始まった。
当てても、当てられても、みんな笑顔。
当てられて、枠の外へ出て、相手チームへまた攻撃。
でも笑顔。
当てて、敵組がひとり減る時の小さな快感。
これもまた笑顔。
すべてにすごくいい雰囲気だった。
いつもは当てられてばかりの的役の私だったが、このときだけは、そんな苦手なドッヂボールが本当に心底楽しく思えた。
そのメンバーも良かったのかもしれないが、何十年もたったいま、全員の顔ぶれも覚えてはいないのだが……。
そうこうしているうちに、算盤塾の始まりの時間が近づき、先生も到着し、皆が寺の広間に入って行き、各自の席に着いて塾が始まった。
先ほどまでの楽しいドッヂの歓声から一転。
誰も一言も発することなく、静かな広間に算盤の玉の音だけが響く。
自分に与えられた練習問題が出来るたび、各自静かに挙手し、先生に答えを告げる。
「ご名答!」
という先生の柔らかな声に一喜する。
ふと、後ろの席から背中をつつかれ、振り返ると、ひとつ上の学年の男子。
「何?」と黙って目で聞くと、「コレ、やるゎ」と、発声なく唇だけが動き、左手には小さな紅い椿が……。
一瞬のふたりだけの時間が流れる。
黙って受け取った私。
即座にカバンの中へ入れ、お互いに何もなかったかのようにまた玉の音の中へ戻った。
長い階段を上がった先にある寺の境内の玉砂利のなかで、椿をボールのかわりに使って、ドッヂボールをする小学生たち。
そして、少しだけ淡い気持ちを抱かせるような秘かな出来事が重なる想い。
手のひらの中に、しっとりとした小さめの紅い椿。
その軽くもある重み。
なぜ、私にだけ渡してくれたのか、何か意味があったのだろうか、他に言いたいことがあったのだろうか。
何も聞けず、何か聞けるわけでもなく、何にも起こらなかったようにも感じる出来事。
あの日、確かに、秘かに、持ち帰ったはずのカバンの中の椿の行方は思い出せない。
家族や友達の誰かに話した覚えもない。
皆のあげる歓声。
静かに響く算盤玉の音。
寺の凛とした空気感。
椿のかすかな香り。
なごやかな、ほほえましい光景だけが脳裏をかすめる。
今でも白や赤の椿を見れば思い出す遠い遠い日の私だけの記憶。
(ライター: パールローズ)
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