「子どもから目を離してはいけない」
それは乳幼児を育てるにあたってきっとどこのお家のママもパパも肝に銘じていることで、特につかまり立ちを会得してぐんと世界が広がった子どもは、突然目の前に広けた世界に興味深々、目に付くものを何でも触りたがるし、掴んだものは躊躇なく口に入れるし、歩けるようになれば更にどんな場所にだってどんどん行こうとする。
それは大体「ちょっと今、遠慮してもらっていいかな」という場所に。
お風呂とか、キッチンとか、ベランダとか、親の入っているトイレとか。
そして、かつてウチにもそんな場所に分け入って行こうとする通称『1秒も止まっていられない男』がいた。
その名は長男。
生まれる前から驚異のキック力、胎動のはっきりと分かる時期から胎内で人のみぞおちをそれこそ肋骨が折れるかと思うほど蹴り倒し、これは嫌な予感がすると思っていた私の予想通り、長男はとにかく脚力が強くて、ずり這いも高這いも全部すっ飛ばしてつかまり立ちをし、1歳丁度で歩み始めた。
長男はそれ以後、特に幼児期、碌なことをしていない。
雨上がりの公園でみつけた大きな水たまりに迷いなく飛び込んで水遊びをするとか。
風呂場に入り込んでシャワーで水浴びとか、以後しばらく風呂場はラックで封鎖された。
ベランダで育てていたローズマリーや紫蘇なんかの鉢を、お砂場がわりにひとつ残らず掘り返してくれたこともある。
私だってちゃんと気をつけてはいたのだ、気をつけてはいたのだけれど、この長男の妹である長女のオムツを替えている時とか、授乳中とか、あと屋外で長女を抱っこしていたりするとどうしても目が届かない。
そしてテキはそういう時を狙いすまして色々やらかすものだ。
そんな長男を
「これを一日中ひとりで見るのか、ひとりでこの小さい人の命を守るのか」
など思いながら1日中長男の背中を追い回し、そんな緊張の日々にいちばん疲労感を感じていたのは長男が3歳前後の頃で、それは丁度長女が生まれて1歳になるまでの頃だ。
お陰で私は長女の乳児期を今、10歳になった長女に
「あたしが赤ちゃんだった頃可愛かった?」
なんて聞かれても
「あー…えーっと、どうやったかな、ウン、すごくおとなしい赤ちゃんでね…」
としか答えられなくて結構困る。
その頃の長女のことで一番記憶に残っているのは、公園の暴れ馬と呼ばれた長男を追い回すのに両手がふさがっているともうどうしようも無いからと、常に長女をおんぶしていたせいで普段公園で顔を合わせていてたママに、ある時
「わたし、長女ちゃんの顔、ちゃんと見た事無いかも…」
と言われたことで、長女はまさに『生きた荷物』という案配で常に私の背中で毎日を暮していたのだった。
そんなことを思い出すと、少し長女に謝りたくなる。
今、我が家には末っ子の4歳次女がいる。
4歳は流石に「それはちょっと…」という行動は減りましたと言いたいところだけれど、ここ数日、世の中の不穏な状況のために次女は幼稚園をお休みしていて、折り紙で遊ぶと言うので束で折り紙を渡したらそれをものの10分で細かく粉砕して部屋中に撒いてくれていた。
やっぱりまだちょっと目が離せない。
この子は兄の長男に面差しがよく似ている分、性格もよく似ていて、気がもの凄く強い。
ただ少し体が弱くて、長男の幼児期の時のように公園を敷地一杯に駆け回るようなことは少なく、動きに長男程の俊敏さがないので私もそこまで
「3秒、この子から目を離したら何がおこるかわからない」
という類の緊張感を持ってはいなかった。
2歳位ですこし会話が成立するようになってきた頃からキッチンのボウルだとか泡立て器なんかを「ハイどうぞ」と渡しておくと、それだけで台所の私の真似をして遊んだりできる子で、それで時間も結構持ったもので、私はきっと油断をしていたのだと思う。
それに3番目の末っ子なので、その点、やっぱり親は甘くなるものなのかもしれない。
ちょっと部屋にある子ども用の色々、オムツだとかお尻拭きだとかそういうものをぎゅうぎゅうに詰めているラックの中身を引っ張り出して散らかしていても
「えっ、もうそんな事できるようになったん?すごーい」
と言ってちっとも怒る気になれないのは、3番目だからなのか、それとも私も歳を取って人間が丸くなったということなのか。
とにかく次女のマークは長男が幼児期だった頃よりもかなり甘かった。それは、認めます。
だからまさか、あんなことが起こるなんて考えてもいなかった。
あの日、長男は友達と外に遊びに、長女はそろばん教室に行っていて、家には私と次女が2人だけ。
少し肌寒くなってきて、新しく買った厚手のトレーナーを次女に着せていたので秋の終わりの頃だったと思う。
次女は2歳の後半だった。
平日の夕方というのは、育児も家事もコアタイムというか、とにかく忙しい時間で、洗濯物を取り込んで畳まなくてはいけないし、夕飯の支度もあるし、あとはお風呂にお湯を張り、上の子ども達が学校から持ち帰って来たお手紙のチェックに、夕方にかぎって宅配のお兄さんが来たりと慌ただしい。
それで私はいつものボウルとかミルクパンとかその手の物をハイと次女に手渡して
「ちょっとこれで遊んでてな」
そう言って、自分はキッチンに入っていた。
我が家のキッチンはマンションなんかによくあるカウンター対面式のもので、そこからは私に背を向けている次女の姿がちゃんと見えていたし、それで安心だと思っていた。
だから、次女の近くにある、ポリプロピレンの小さな引き出しを開けているところを見ても、そこにしまってあるハンカチを出しているのだろうなと思って看過していたのだった。
それで、次女がハンカチなんかの多少散らかしても実害の無いものを出して遊んでいる隙に、ちょっと流し台の下の収納から小さなお鍋を取り出してそれからボウルを出して、さっき洗ったフライパンをしまって、それがほんの数分の事だったと思う。
「次女ちゃん、ハンカチあんまり出したらあかんで」
そう声をかけてこちらを振り返った次女の顔が真っ赤に染まっていたのだ。
それからその日着ていたベージュのトレーナーも真っ赤で、両手も真赤。
「なにそれ!血?」
私が叫んだ拍子に次女は泣き出し、私は余計に慌てた。
人間というものは大きな怪我をした時、瞬時にはその状況を把握できなくて脳が一旦停止した状態で痛みを体感できないものだというハナシを聞いたことがあるけれど、そういう状況だったのか、どうしよう、こういう時はええと、まずは止血して、そうだ、それから救急車だ。
私は手に持っていたお玉を放り投げて次女に駆け寄り、次女の右手を見たらそこには
口紅。
そう、そのハンカチを入れていた小さな引き出しには、普段あまり使っていない小さなポーチがひとつ入っていて、そこに殆ど使っていない口紅が一本入っていたのだった。
忘れてた。
しかもご丁寧に、それは落ち着いたスモーキーピンクであるとか、控えめで渋めの赤とかそういうものではなくて、物凄くはっきりとした赤というか紅。
数年前にイトコだとか友人の結婚式が続いた時期に和装用に買っていたしっかりした発色の「口紅だったもの」で、それを開けてそこかしこに塗りたくった幼児は、もうそれはそれは
「大怪我です!」
という見た目になっていたのだった。
とりあえずそれが口紅であるという事が赤い幼児を見た数秒後に理解できたので、救急車を呼ぶような事態ではないということには安堵したのだけれど、その真っ赤の正体が口紅であるということは
「エッそれ口に入れてないよね?」
「ナイヨー」
「お洋服脱がないと」
「イヤヨー」
「イヤヨーじゃなくて、これ今日出したばっかりなんやで…」
とにかくそれを食べたりしていないかを確認し、真赤になっているトレーナーを脱がせ、そっと抱えて赤い幼児とその元々はベージュだった服を洗面所に運んで、とりあえず次女を元の色に戻すのに小一時間を要した。
そして新品のトレーナーはついぞ元の色に戻ることは無かったのだった。
本当に驚いた。
ゆめゆめ「子どもから目を離してはいけない」のだ。