我が家の子どもたちは、揃いも揃って胎内記憶らしきものを持っている。
お腹の中のことは私には確かめようのないことなので、どこまで本当に彼らが見たものなのかは分かりかねるんだけど。
長女が3歳前後の頃だった。
自宅で、長女と遊んでいるときにふと、訊いてみたくなったのだ。
その日はお天気のいい日で、カーテンを開けた窓のそばに私たちは座っていて、少し離れた場所にまだ赤ちゃんだった息子がごろごろしていた。
「ねえねえ、パパとママのところに来る前はどこにいたの?」
すると長女は遊びの手をぴたりと止めて、見たこともない真剣な表情になったかと思ったら、急に空を見上げて「おそら」と言った。
「そっかあ。お空にいたのか。お空には誰かいた?」と訊ねると、また空をじっと見つめて
「かみさま」と、長女は言った。
おや?と思った。
我が家では常々、お空の上にはかみなり様がいると言っていて、お天気を司ったり地上を見守っていると話していた。
私は昭和っ子。
お空にいるのはかみなり様に決まっている。
お空では三色のかみなり様がすったもんだ暮らしていて、どすんとひっくり返ったりウクレレを弾いたりしている。
だから”神様”に関して、これといって言及した記憶はなかった。
「へえ、かみさまがいたんだねー。どうやってママのお腹に来たの?」
つい調子に乗って訊ねると、長女は握った両手をすっと前に突き出して
「〇〇マンみたいにビューーンって来たんだよ!」
と大好きなキャラクターの真似をして、やっぱり、真剣な表情で言った。
「へえ、すごいねえ。お腹の中ではなにしてたの?」
好奇心が加速してさらに訊いてみた。
するとまた長女は、はっとしたような表情をして「……へび持ってた……」と言った。
自分でも、へび?と不思議に思っているような、考え込んでいるような顔をしていた。
そして、「おへそが、びゅーんって伸びてて、へびが首にこうなってた」と、首になにかを引っ掛けるような素振りを見せた。
ちょうど、お風呂上りにお父さんがタオルを首にかけるような風に。
「おへそが伸びてたのねえ。そうかー。そしてへびを持ってたのねえ」
相槌を打ちながら、それはまさにへその緒であるね?????と、ここでいよいよ「覚えてるの?」と驚いた。
2、3歳の子どもがへその緒に関する知識をお持ちとは思えなくて、これはもしかして長女の「記憶」なんだろうか、と不思議な気持ちになった。
そして、つい先日のこと、末っ子もなにやらそれらしきことを話したのだ。
その日は幼稚園にお迎えへ行った後、帰宅しているはずの長男がいなかったので、末っ子とお散歩がてら迎えに行くことにした。
家から5分ほどのところで長男とばったり会うことができ、3人で自宅まで歩いた。
お天気がよくて、風が心地よい日で、2人そろってご機嫌だった。
ご機嫌な末っ子がなにやら家族に対して陸まじいことを言ってくれて、それに対して私が
「じゃあ、なんでなかなか生まれてきてくれなかったのー?末っ子ちゃんはなかなか生まれてこなかったじゃん?」
と言った。
末っ子は41週を過ぎても生まれてこず、バルーンという陣痛を誘発するアイテムを投下してようやく産まれてきたのんびり屋さん。
でも、それを聞いたことに特に深い意味はなかった。
なんとなく口をついて出たのだ。
末っ子は当たり前のような顔をして
「だって、すぽってはまるところがずっと開かなかったんだもん!」
と即答した。
「え?えっと。その『すぽってはまる』っていうのは……何がはまるの?」
と訊ねると「あたま」と返ってきた。
さも当然というふうに。
隣にいた長男も「そうだよ。知らないの?すぽってはまるところが小さいままだとママが痛いんだよ」と言った。
それはつまり、骨の盤、骨盤?????
お産が近くなると、骨盤に赤ちゃんの頭部が入るというのは聞いたことがあるけれど、そんなことお母さんは産婦になるまで知らんかったですよ。
実は末っ子を妊娠中の、しかも正産期に入って以降、私は骨盤がゆるみ過ぎないようにきっちりと締めていたのだった。
当時、家には4歳と2歳がいて、バタバタと目まぐるしく動かないと日々がままならなかった。
それまでの経験上、妊娠後期に骨盤がゆるんでくると自分自身の動きが鈍くなるように感じていた。
動き回る2歳の息子を追いかけまわし、姉弟2人を風呂に入れ、買物だって日々それなりの量がある。
よちよち歩きをしたり、ゆっくり立ったり座ったりしてはいられなかった。
俊敏に動くため、骨盤をきっちり締めておいたのだ。
一応、40週を過ぎた頃、産婦人科の先生に「骨盤締めてるからなかなか産まれないんですかね」と聞いてはみたんだけど「えー。関係ないんじゃなーい」と言われたので、そうだよね、と思うことにした。
どんな骨盤コンディションであれ、出るものは出るだろう、と思っていた。
ところが、予定日を10日過ぎても生まれてこないということでバルーンを入れることになり、入れたらたった3時間ほどで末っ子は産まれてきたというわけ。
本陣痛なんて15分ほどだった。
「ちょっと穴が開いたからいけるかなーと思って、やってみたらすぐ出てこれたんだよ」
と末っ子はさらに言った。
まさに、そのように君は産まれたんだよ、と言うほかない説得力だった。
そして、それを聞いていた長男が
「最初はたくさんお友達がいたんだよ。だけどみんな途中でいなくなっちゃった」
とも言っていた。
確かに君たちは何億匹もの中のたった1匹の生き残りなんだけれど、どこでそれを知ったのかな??
それはやはり記憶なのだろうか。
それとも、なんとなく親元以外のところは、学校やら幼稚園やら子どもがたくさんいるものいう先入観なんだろうか。
そのうち、じゃんけんで産まれる順番が決まっただの、最初に勝ったのが長女だっただの、好き勝手いろんなことを言っていた。
これがほんとうに彼らが覚えている「記憶」なのか、彼らの豊かな想像力で生み出した「想像」なのかはわからない。
ただ、初産のときなんて腹に赤ん坊がいるという実感がそれはそれは乏しくて、内臓が大きく膨らんだ!くらいの気持ちだった。
お腹をさすって「ああ愛おしい命のかたまり……私の子……」なんて思うことができなかったし、産まれてきて「まじで人間が入ってた……」と驚いたりもした。
だから、それが「記憶」だろうと「想像」だろうと、そんな話を聞くと
「ああ、あの日もその日も、君たちは確かにお腹にいてくれたんだねえ」
と、遅ればせながら思いを馳せたりしてしまう。
おそらく彼ら自身、いつかはそんな話をしたことだって忘れてしまうのだけど、こちらとしてはどこか眉唾だと思いながらもたぶんずっと忘れない。
新しいことはことごとく零れ落ちていく脳みそなのに、そんな気がする。
みんな命のかたまりだったときが確かにあって、へびを持ったり、出るタイミングをはかったりしていたらしい。
お腹の中の紆余曲折を知る由はないけれど、なにはともあれ、今ここにいてくれてとってもうれしい、ということだけは確か。