光陰矢の如しという諺がありますけれど、子どもがいて、ありがたくも時折在宅での仕事のようなものが頂けて、その2つのことを取りこぼさないようにして上手く生活をくるくると回して行こうと思うと、1日が仮に私だけ30時間あってもちょっと時間が足らない。
ちょっと気を抜くと、すぐにキッチンのシンクは洗い物で一杯になるし、洗濯物は洗って干して取り込んだところで自動的に畳まれる訳もなくリビングの真ん中にはぱりぱりに乾いた洗濯物の小山が出来上がり、さらには背後に4歳児が作り上げた ブロックとパズルとそれから各種絵本その他をまぜまぜした、驚愕のおもちゃ王国があったりするしそれが夕方6時だったりすると。
「もう泣きたい」
という気持ちになる、というかマジで泣く。
ウチの3人の子どもは、一番下の子がちょっと病院に行ったり時折検査入院をしたりとフツウより少し手のかかる子どもであるにはあるのだけど、私は前述の通り時折メールをいただいてちょっとした文章を書くという仕事を時々しているだけで別に平日週5日お勤めをしているとかそんなことはひとつもない、なのに毎日がどうしてこんなに負け続き。
たまに美容院なんかでさあどうぞと渡される雑誌を開くと、同じように子どもがいても美しく片付いたハイセンスな自宅に暮らし、ナチュラルメイクと言う名の超絶技巧のお化粧をしてオフィスカジュアルな素敵なお洋服に身を包み都心のオフィスに日々通勤しているなどと言うママが私に向って微笑んでいたりする。
それなのに私ときたら眉毛も描かずに幾年月、一体この写真の人はどうやってこの生活と美貌を維持しているのとフラフラ帰宅して4歳の次女を寝かしつけながら10秒考えてそして即寝する。
だって毎日朝が早いのだもの、物凄く。
私の朝は妙に早い。
毎日朝の3時とか4時に起きる、と言うと「私、こんなに頑張ってます」それってマウントというのですか、なにがしかの山の頂を目指して人と競い合うアレになってしまいそうだし健康に悪いと思われてしまいそうだけれど、そこは毎日夜9時に4歳児と寝ているので大丈夫。
とにかく私は毎朝、修行僧か漁師かという時間に起き出し、まだ夜の明けやらぬうちに洗濯物を干してそれからがお仕事、もしくはメールのチエック、あとは静かなうちに読みたい本だとか、読まないといけない本だとかそういうモノに目を通す。
どんなに瞼が重くてもこの時間を絶対に確保しないと、いざ子ども達が起きてしまえば
「ママーおなかすいた」
「おかーさん俺の靴下知らへん?」
「ピアノのお月謝頂戴」
三方からの要望を聖徳太子のようにして聞かねばならず仕事にならない。
昔々まだ私が会社と言う場所に勤めていた時に「君は事務職ではないけど、電話も取ってね」と言われて、電話くらいは別に誰でも取るものだしねと「わかりました!」と元気に返事をしたらその職場は恐ろしい程電話が鳴るところで、私はその時色々と文書を作ったり企画をしたりそれから研修をしたりするのが仕事だったのだけど
「こんなジャンジャン電話の鳴る場所で一体どうやって通常業務を…」
と思ったことがある。
子どもの起きている時間に仕事をすると今ホントにそんな感じ。
業務としての電話は取るのは嫌いではなかったし脊髄反射で電話を取れるようにもなったけれど、頻繁すぎるとさすがに仕事にならない。
それだからこの朝の静寂は私にはとても大切なもので、仕事を納期までに仕上げて先方にお渡しするためにも、己の心の平安のためにも絶対必要。
淹れたてのコーヒーをゆっくりと温かいうちに飲めるのも子ども達が起きる前の、この朝しかない。
でもこの貴重な時間、実は平日は5時30分にタイムアップしてしまう。
それは何故か。
夫が起きて来て、曇りなき眼で「朝ごはん、まだかな」と待っているから。
「朝食くらい自分で作らせたら」
という声が聞こえてきそうなこの話、私も願わくばと気持はどこの誰よりも強いのだけれど夫という人は料理ができない、その上この流れで何となく次女が起きてくる。
いつも思うけれどどうして人間は未就学年齢の頃は
「その早起き必要?」
と、突っ込み必須な位に早起きするのに、それから数年を経て小中学生になると
「今日は朝練ちゃうんかったんかー!」
親に大声で怒られても布団に張り付いて出てこなくなるのだろう。
例によってうちの中学生の長男と小学生の長女は朝、こちらが言わなければ全然起きてこない、そうなると家族全員の朝食のタイミングがバラバラになる。
結局夫が出勤してから次女が朝食、その後水筒3本用意してその日の夕飯の算段をして、7時半がデッドラインの長男長女を叩き起こし朝食を食べさせて、8時前に2人が駆け出していくのを見送ってから9時過ぎまでには家の中を片付け、2回目の洗濯機をまわしつつ掃除機をかけるという流れがよどみなく続く、それが定着してしまった。
ここまで一切の休憩なし、40を過ぎた私は息切れと眩暈と動悸がする。
が、この後送り迎えがあるのですよね次女の。
次女の通う幼稚園には可愛らしい通園バスがあるものの、次女の持病なんかの色々な事情があってバスには乗らないことにしている。
それで毎日私が自転車に乗せて送迎しているのだけれど、それがまたウチの近所がどえらく起伏にとんだ地形をしていて、それが良い運動になることといったら。
私はこの子を送迎するようになって3㎏痩せた、ダイエットには有酸素運動がいいというは本当ですね。
その次女を幼稚園に送り、取って返して自宅に戻って大体10時すぎ、その後また次女を迎えに出るのがこの2時間半後なのがまたしんどい。
前述の通り次女は持病があって体力もないので同じ幼稚園のお友達よりやや保育時間を短縮しているもので通常保育を1時間はやくきりあげている。
日中の「ひとり時間」即ち「静かに仕事のできる時間」はこれでおしまいになる。
午後に次女を連れて帰るとあとはもう雪崩のようにして時間が過ぎ去っていく。
次女はなまじきょうだいが多いもので1人遊びが好きじゃない、晴れていればお外にも行きたい、そしてひとたびお外に出してしまうと、タンポポを摘んでシロツメクサをむしりなかなかお家の中に入ってくれない。
そうしているうちに向こうの道からランドセルの集団が歩いてくる、それは小学校から帰ってきた長女とその友達で、それから2時間後くらいには長男が
「俺今日塾―」
なんて言いながら帰ってくる。
となると長男だけ夕飯が早いのか、何でそれを朝言わんのよ。
例えば退勤と同時に全速力で子どもを迎えに行き18時過ぎに買い物袋と子どもと共に倒れ込むように帰宅するママに比べると、私など次女の送迎以外はほぼ在宅しているのだから夕飯の支度も片付けもお風呂ももうちょっとうまくやれそうなものなのに、なんでか冒頭の「シンクに洗い物が洗濯物の山が」という状態が夕方の風景として定着してしまっている。
理由は色々ある、あるのだけれど何よりも多分
「最後、この15分だけでも仕事を、この1行を書かせてくれ!子ども達」
と言いながら意地汚く席を立たないせい。
わかってる。絵に描いたような自業自得。
それで気が付くともう午後6時直前、アンタ達宿題は?ねえお風呂は?学校からのお便りは?塾のバスが来ちゃうんじゃないの?ひとりで大騒ぎして走り回り直ぐに1日の終わる午後8時すぎになってしまう。
この夕方から就寝までの時間の過ぎ方が毎回おかしい、早すぎる、時空の歪みか、この時間帯になると私は大体
「いや無理、もう無理、まじで無理だから」
としか言わなくなってしまう。つらい。
でも禍福は糾える縄の如し、良い事もある。
長男が最近塾の無い日に次女の寝かしつけに参戦してくれるようになったのだ。
年の差9歳、身長差60㎝の2人が布団で国旗図鑑なんかを読んでいると「これ私が産みました」とちょっと嬉しい気持ちになる。
その隣の布団にはもうすぐ150㎝になる長女がこれもまた漫画をよんでゴロゴロしている。
私が毎日駆け回って息を切らしている結果、この3人元気にがすくすく大きくなっているなら、まあそれはそれで良しと思ったりする。