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公開 2022年09月13日  

「お母さんが子どもの頃は…」不思議と忘れられない親の思い出話、ありますか?

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最近の小学校にはあまり生き物がいないねえという話をしてから始まった私の思い出話、昔お母さんの学校にはヤギがいたんだよという話を11歳の長女が「ウソ―?」と言って信じてくれなくて、お母さんは一生懸命考えました。


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お母さんの学校にはヤギがいた

私がまだ小学生だったうんと昔、私が通っていた学校というのが、校舎も校庭も学校菜園もとにかく色々な設備に敷地を潤沢に使うことのできる広い田舎の小学校だったということもあるのでしょうが、結構色々な種類の動物を飼っていました。

それはうさぎとか、亀とか、ニワトリとか。

とにかく、そういう小さな動物や鳥がいたのだよというと、今、都会の小学校に通う長女は「へ―っ」とちょっと驚いたような、そして羨ましいような声をあげるのですよ。

そもそも動物のお世話というのは手がかかるし、学校には春夏冬に長期のお休みがあるし、その期間の動物たちのお世話を子ども達のお当番制にして任せておいたとしても、何せ子どものすることだからうっかりそれを忘れていて…という時のフォローは多分先生方がしなくてはいけない。大変なことだ。

加えて長女の小学校は都会の、校舎も校庭もそう広くない小学校だということもあって、今長女の小学校で飼育している生き物はせいぜい前庭の小さな池を泳ぐ鯉くらい、あとは時折クラスの生き物好きのお友達が校庭で捕まえて来るヤモリだとかダンゴムシ程度で、うさぎだとか鳥だとかそういうものはひとつもいないし見たことがない。

それで小さくてふわふわとした生き物が大変好きな長女は

「いいなあ…」

と羨望のため息を漏らすのですけれど、そうなるとお母さんである私はつい調子にのってもうひとつとっておきのお話しをするのです、それは

「お母さんの小学校ではヤギを飼ってたんやで、黒ヤギさんと白ヤギさん」

というもの。

それを聞くと長女はちょっと『解せぬ』と言う顔して

「ヤギ?なんでヤギ?」

そう聞くのですけれど、何しろそれはもう遥か昔の話なので、どんな理由でヤギが小学校で飼育されることになったのかの経緯まではちょっと私の記憶になくて

「さあ…よく覚えてないけど、ある日突然校長先生がヤギを飼いますて言わはったんよ」

こんな感じになんだか歯切れの悪い返答しかできなくて、結局長女から(お母さんは私を羨ましがらせようとしてホラを吹いているのでは…)という視線を貰うこととなる、そうして私はかなしく呟くのです。

「ほんとだもん、ヤギいたんだもん、嘘じゃないもん…」

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ほんとにいたんだってば

「幼稚園にはうさぎと亀しかおらへんよ」

そんな広い牧場でのびのび駆けていそうなものが小学校にいる訳がないじゃないと4歳の次女までもが言うもので、じゃああれは私の幼少期の夢かなにかだったのかと心配になり、私は実家にいる3つ上の物覚えの大変に良い姉に聞いてみた。

「ねえ、昔小学校でヤギ飼ってたよね?」

そうすると

「あー…おったね、なんか凶暴な黒いのと白いのが」

ほら見てごらん、お母さんは嘘なんかついてない。

そうだよヤギはいたんだ、なんだか凶暴なヤツが、いや凶暴というのか、多分校長先生が知り合いの農家の人から貰ってきたんだよと言っていたヤギ2匹が、まだ若いやんちゃざかりの若い子達だったということなのだと思う。

当時私は飼育係だったのでよく覚えているのだけれど、ヒロ君(黒)とシロ君(白)は結構な広さのお庭つきの飼育小屋で悠々暮らしていた。

しかしちょっとした大型犬くらいのヤギ達だし毎日ちゃんと運動をさせるのが良いのらしく、高学年の子ども達が首輪とリードを付けて広い校庭をぽこぽことお散歩することは放課後の飼育係の大事な仕事になっていた。

雪国の小学校の校庭には、スキーの授業をするための小高い人工の丘のようなものが設えられていた。

と言うと、この件でもまた校庭を真っ白に覆うほど雪のふんわりと降り積もった光景なんか見たことがないし、それだから体育の授業にスキーがあったという事実も「うそー」とほんのり疑う長女は

「またまた~」

なんて言う、だから嘘じゃないんだってば。

動物が大好きであるがゆえに飼育係だった私は、同じ飼育係の友達と放課後、ヒロ君(黒ヤギ)とシロ君(白ヤギ)をリードで繋いで、校庭の隅の小さな山に登り、黙々とヤギが草を食むのを眺め、北陸の短い秋の空に沢山飛び交う赤とんぼを眺めた…という話だけなら『ヤギと私の素敵な思い出』なのだけれど、前述のようにまだ若くてヤンチャだったヤギ達は、自分とそう変わらない大きさの低学年の子ども達に

(オッ!ちいさいヤツ、あそぼうぜ!)

とばかりにちょっかいをかけに行くし、低学年の子ども達は子ども達で、童謡の歌詞の通りにヤギとはお手紙を食べるものと信じ切っていて、ランドセルからノートの切れ端などを与えようとする

「紙は食べさせたらダメなの!」

そうなのだ。

黒ヤギさんが食べちゃったお手紙というのはあくまでお歌の歌詞なのであって、担任の先生からは

「みんなが普段使っているノートやプリントは手すきの和紙とかじゃなくて、化学薬品やインクが使われているやつだからね、ヤギが食べるとお腹を壊すの、お散歩中にちょっと草を食べる程度のことはいいけど、ちゃんとした餌以外はあげないで、注意してね」

そう言われていたので、私はヒロ君とシロ君をボディーガードのようにして紙の餌付けから守り、そしてヤギ達が低学年の子達に飛びついたりしないように気を配った。

そうしたら、ヒロ君とシロ君は、ほんならこの大きい子どもとは遊んでいいのかなという認識になったらしい、私や同じ飼育係の仲間達は2匹からしょっちゅう頭突きをされて、これがまた結構痛かった。

しかし大人になった今、ちょっと調べるとそれは

『ヤギが頭突きをしあうのは、個体同士のコミュニケーション、挨拶です』

ということらしい。

そうか、うちらは同じヤギ族と思われていたのか。

ともかくヒロ君とシロ君のお世話は、まだ牧歌的な時代、学校の施錠や管理のことも極めてのんびりとしていてグラウンドの隅の飼育小屋には日曜日も自由に立ち寄ることができたもので、子ども達は当番を決め、夏の暑い昼下がり、冬の雪降りつむ中、ちゃんと彼らのお世話をしに行ったもの。

月並みだけれど、生き物を飼うのって大変やなあ、戯れに飼うものじゃないなあ。

うちでも猫を飼いたい犬を飼えと言って「うちで動物は飼えません」と母にはねつけられてきた意味を少し理解できたのはこの頃だと思う。

そしてその後私は小学6年生の春休みに、初めて犬を飼うことを許された。

学校のヤギをちゃんとお世話できたからね、というのが理由で、この件に関してはありがとう凶暴な…ではなくてやんちゃなヤギ達よ。

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令和、子ども達は何を育てるのか

さてそうして令和の今、うちの子ども達は、夏休みにヤギのお世話に学校に行ったりはしないのだけれど、その代わり、理科の教材としてこの夏、長女には

『ペットボトル稲を育てる』

という課題が渡されて、穀倉地帯であった実家を遠く離れて幾年月、私は長女と一緒にお米を育てることになった。

1学期の終業式の日に、長女がえいほえいほと自宅に持ち帰った、2リットルのペットボトルを切って作ったプランターに植えられた稲は、夏中ずっと我が家のベランダで、私が丹精しているサボテンと青じそと一緒にひと夏を過ごした。

うちはペット禁止の集合住宅なので、生き物を飼って子ども達と一緒に育てることはできないし、それだから当然ヤギを飼って一緒にお散歩をしたり、雑草をヤギが食んでくれることが除草剤の代わりになり結果農業の一助になるのだよとかそういう自然のことを学ばせることもできないのだけれど、お米を育てるのはなかなか良い。

お米は毎日食べるものだし、食べるものを作るということの大変さを理解して、植物も動物も、お世話をすることは大変だなあ…そういうことを学んでくれるだろうと、私は思っていたのですよ。

思っていたのだけれど

暑すぎた今年の夏が悪いのか、うちのベランダの熱のこもりやすく風の通らない立地がいけなかったのか、それとも長女が毎日張り切って水をあげすぎたせいなのか、理科の教材であるはずの稲は一部の緑色を残してあとはすっかり枯れ、稲穂はぜんぜん実ってくれなかったのだった。

夏の終わり「なんか枯れちゃったね…」と娘達のちょっとがっかりする顔。

何て言うのかねえ…生き物を育てるのって、難しいねえ。



※ この記事は2024年11月10日に再公開された記事です。

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