ここ3年ほど、世界を席巻しているウイルスから、我が家の3人きょうだいは何とか運よく逃げおおせてはいるものの、これまでインフルエンザとノロウイルス、それからマイコプラズマ肺炎のきょうだいドミノという憂き目に何度かあいまして、とにかくこの件に関して、私は他のご家庭の親御さん同様、鋭意戦って参った所存です。
感染症の拡大を防ぐには何をおいてもまずは、ソーシャルディスタンス、密をさけること。
それをこの数年しっかり学んで知ってはいるのだけれど、何しろ我が家は一般的なマンションタイプの、5人家族が暮らすにはやや手狭な3LDKで、その家の中でいつも3人きょうだいがひと串のお団子みたいにぺたりとくっついて過ごしていては、もう感染やむなし、致し方なし。
顔を合わせればケンカばかりするくせにどうしてくっつきたがるのでしょうね、我が家の3人きょうだいは。
例えば胃腸風邪の筆頭、ノロウイルスは長男が幼稚園児だった頃、年に一度はどこかから貰ってきてしまって、そのたびに我が家は大騒ぎでした。
ノロウイルスの症状といえばまず嘔吐。
大人でもあれに罹患すると、ちょっと我慢できないひどい吐き気に見舞われて1日トイレとお友達、そういう状況になってしまうもので、私はあの吐き気を言葉にするとき
「あれは悪阻といい勝負」
と表現します、すると夫は
「わかるかそんなん」
と言います、まあそうでしょうね。
ともかくも、経産婦がつらい過去すら思い起こす程の吐き気を、まだ年端もゆかない子どもが我慢することなんかできる訳もなし。
当然自主的にトイレに駆け込むなどしないし、ビニール袋をかぶせた洗面器を用意しておいてもまず間に合わない。
大体の場合は不審な水音を耳にしてふと振り返ると
「ウワ―!」
という事態に陥っているものです。
そもそも幼稚園児くらいの子どもは吐き気とか、気分の悪さとか腹痛、それから倦怠感を上手く言葉にして伝えることができないもの。
我が家で一番ノロウイルスにやられた経験のある長男も、小学生の中学年くらいになるまでそういう体調不良を全て「ねむい」のひとことで表現していました。
わかりにくい。
そんなことなので、家庭内で発生した感染症の対応の、特に初動は親の私の勘が命。
感染症の季節には常に感覚を研ぎ澄ませて、子の一挙手一投足をつぶさに確認し
「なんかいつもと違うな…」
という第六感のようなものを何よりも大切にしないといけません。
私は子どもを産んでから随分と動物的に勘が鋭くなった気がします。
「イヤな予感」が大体当たるというか、生来のネガティブシンキングに磨きがかかったというか。
しかし現実は、ネイティブ・ネガティブシンキングの私の予想を遥かに超えてやってくるもの。
これは数年前のこと、我が家にインフルエンザが猛威をふるったことがありました。
あれは忘れもしない1月の上旬、やっと冬休みが終って学校が始まり、玄関にちょこんと置かれた鏡餅を片付けて、やれやれこれでまた普段の生活が戻って来るのだなあと一息ついた日の夕方、学校から帰宅してきた長女に
「おやつにシュークリームがあるよ」
さあお食べと言ったら、ホットカーペットに猫みたいにころりと寝転がった長女に
「いらない…」
と返されてしまったのです。
仮にこのやりとりをしたのが長男であれば、長男は偏食に超がつく子なもので
「あれ?カスタードクリーム嫌いやったっけ?そっかー」
ですむし終わるのですけれど、相手が何を買って来ても何を作っても
「ウワーイ、おいしそう!」
笑顔でパクッと食べてしまうところが大変かわいい長女だったものだから、これはただ事ではないと親の勘が即、働いたのでした。
「熱あるでしょ!」
そう言って体温計を脇に突っ込んで計測したら案の定、体温は38℃を越えていて、私は即インフルエンザを疑いました。
当時、長女と長男の通っていた小学校でちらほらと
「出ています!」
という報告は既にうけていたもので。
その頃ははまだコロナウイルスの感染拡大が遠い外国の物語だった時代、冬の感染症の代名詞と言えばインフルエンザでした。と書くと大変に隔年の感がありますね、まるですごく昔のことのよう、ほんの数年前のことなのに。
実は私はその日、次女を大学病院の小児科の定期健診に連れて行って帰って来たところでした。
当時2歳だった次女を連れて半日病院で過ごし、もうクタクタだったところに今度は夕方、近所の小児科医院に長女と、まだひとりではお留守番なんかとてもできない次女も抱えて飛び込むはめになったのです。
長男は習い事に行っていて留守でした。
1日小児科2往復。
子どもがいれば割と起きることですが長女は高熱でフラフラだし、帯同した次女は当時ひとりで歩くことこそできるけれどよちよち歩き。
大寒を控えた1月の夕暮れ、多分我が家と同じような理由で来院した親子が詰め込まれた小児科の待合室で、次女はつまんない、帰りたいとグズグズ言うし、長女は茹でタコみたいな顔をしてぐったりしているし、たすけてくれ…と呟こうにも、周りは同じ状況の親子ばかりだし。
「いやもう大変ですよね…」
しかたなく隣の知らないママさんと、互いに笑い合ったりしたものでした。
そうして小児科の先生が、長女の鼻に綿棒をえいと突っ込んで
「はい、インフルエンザA型!」
と、懸念が確定に変わってしまった長女と
(何故日に2度も病院にいかねばならんのか…)
と思っているかはわからないけど、これ以上ないほど仏頂面をしている次女を抱えて這う這うの体で自宅に戻った私がまず頭を抱えたのは、狭い我が家で長女を一体どう隔離したら良いのかということでした。
長女は当時小学2年生、少し頑固なところはあるけれど、母親のお願いをちゃんと聞き分けてくれる長女を
「ここにいてね、ほしいものはなんでも運んできてあげるからね、アニメとか見ててね」
そう言って子ども部屋に静かに寝かせておくことは難しいことではありませんでしたが、問題は次女、やっと少し会話のできるようになっていた2歳児は長女こと「ねぇね」が大好きすぎて、普段から四六時中ねぇねの姿を追い回し、学校に行く時なんかはもう永遠の別れかと思うほどの哀しみっぷり、その次女を長女と引き離すことは凄く大変でした。
次女は隙あらば部屋のドアをトントンというかガンゴン叩き
「ねぇね~!」
と言い続け、その姿が涙を誘う…どころの騒ぎでは無く、当時の次女は今よりさらに小さくてその分抵抗力も弱いし何しろ循環器系の持病があるもので、次女を普段診てくれている専門医の先生からは
「風邪、ひかせんといてな」
という無茶ぶりもいいところの厳命を受けていました。
それでインフルエンザが家庭内に持ち込まれてしまったこの時、私の精神状態は崖っぷち、それはもう戦々恐々としていました。
長男に協力してもらってひたすら次女をリビングにひきつけ、カッサカサになる程毎度毎度手を洗い、長女の使ったトイレは即消毒、長女の使った食器は別洗い、何なら衣類も別洗い、長女はひとりきりで寂しいだろうにしんとした子ども部屋でアニメをお友達にして過ごし
「欲しいものがあるから来てー」
私に用のある時は長女の手元のキッズケータイを使って。
家族一丸、インフルエンザの猛威を乗り越えようと必死でした。
まだ夜泣きをするような年頃だった次女と、熱を出してふうふう言いながら布団にくるまっている長女、その2人の間を行ったり来たりしたふた晩、そして出来上がった私の目の下の酷いクマ。
そうやって迎えた2日目の朝、長女の熱は38℃から上がることなく解熱して、それでさあ次女はと言えばあえなく発熱。
一昨日の長女同様、茹でタコみたいな顔をしていたのでした。
私たちのあの苦労は一体どこに消えたのですか、かみさま。
その上
「あ、これ、ダメだわ、感染した」
それに気が付いた時、それが日曜日だったというオマケつき。
町の小児科医院はみんなお休みで、次女は大学病院の救急外来送りになりました。
かかりつけの大学病院に電話したら「いますぐ来い」と言われて受診した救急外来。
次女本人は病気こそあっても元がなり丈夫なもので大事には至りませんでしたが、親の方は青い顔をして「これは入院やむなしか」と思って駆け込んだものの
「インフルエンザやねー、かかっちゃったねー、お薬出すからねー」
なんて軽く言われて帰されまして、そしてひと晩ののちに快癒。
しかしそのひと晩が追加されたことで私は3日3晩、碌に眠れなかったことになります。これ、なかなかつらいことでした。
きっと、何度か次女を抑えきれず長女の療養部屋に侵入を許したことが敗因だと思います、あの時の次女は本当にホラー映画『シャイニング』のようでした。
今もそうなのですが、なんでそんなに長女に執着するのかなあ次女は。
さて、また冬がやってくる。冷たい風と乾燥した空気の中、風邪の季節がやってくる。
今年は、負けない(つもり)。