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公開 2022年12月13日  

サンタがこない家だった。70代になった実母へ、恨みと寂しさと…本音をもう1つ。

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子どもの頃のクリスマス、楽しい思い出も、温かな思い出も、お持ちの方は沢山いらっしゃるでしょうけれど、私の思い出はやや、苦いようなしょっぱいもので、それの意味というか理由は40年近くたってからわかりました。という話です。


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私のクリスマス

子どもの頃、私には一度もサンタクロースが来なかった。

なんてことを人に言うと「ご実家って、お寺とか神社なんですか?」と聞かれることがある。

でも別にそういうワケではないもので「あ、ちがいます」と答えると、相手はなんとなく「あっ」という顔をして話題をかえてしまう。

思えば寺が実家の友人は毎年クリスマスに寺の本堂にクリスマスツリーを飾って家族でパーティーをしていたと言っていたし当然サンタも来たと言っていた。

だからクリスマスにサンタが来ない家というものにほんのり「事情のあるお家」だと思われてしまうフシがあるのかもしれない。

でも、特に事情はなかったと思う。

私の実家はフツー、オブ、フツーな家庭だった。

父は勤め人、母はパートタイムで後々会社員、子どもは私を入れて3人、犬1匹。

特別裕福ではないけれど、その日食べるものにこと欠くようなこともなく、なにせ田舎なもので広い菜園付きの持ち家に中古のセダン、一族が農家でお米なら家に売るほどあった。

それなのに、サンタクロースは来なかった。


あんまり大きな声で言いたくないけれど私は昭和53年、西暦で言うと1978年生まれだ。

その頃には日本にサンタクロースは勿論上陸していたし、スーパーやデパートには大きなツリーが飾られたりして、クリスマスというものは冬の風物詩として世間に定着していた。

クリスマスやサンタクロースのお話しは通っていた保育園で年少クラスの頃から聞いていたし、12月の半ば、保育園の工作の時間に赤い画用紙を靴下の形に切ったものに白い真綿をくっつけ、あとは色とりどりの折り紙を思い思いの形に切って飾ったものを制作し、先生から

「クリスマスに靴下を枕元においておくと、いい子はサンタさんからプレゼントがもらえます」

そんなことを言われて、家に持ち帰っていた。

当時たしか5歳だった私は保育園の先生に教えて貰った通り、クリスマスイブの晩に枕元にその赤い靴下を置いて「きっと何かいいものがもらえる筈」とわくわくしながら眠ったものだった。

それなのに。

朝起きるとそこには何も入っていない、空だった。

当時の私は「自分はいい子とは違うんか…」と打ちひしがれた。

サンタの正体を知っている今となれば、みかんのひとつくらい入れておく親心はなかったんかいと思ったり。

お陰様であれから約40年後、クリスマスの頃になると必ず、44歳になった娘は73歳の母に文句を垂れる。

「今考えてもあれ、ひどくない?」

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サンタはいなかった

お陰様で私はクリスマスというものを認識した最初の年から、トナカイのひくソリに乗ってクリスマスの夜空を賭けるサンタクロースとは、存在しない、フィクションなんだと公言する可愛くない子どもになってしまい、そして今日に至る。

母の名誉のために言っておくと、母は別に冷淡な人ではではないし、子どもが好きで飼い犬を溺愛し、災害地や歳末助け合いには必ず募金をする、どちらかというと情のある方の人だと思う。

でも一方でメルヘンやファンタジーの分野には冷静というかえらくクールな人で、お化けなんかこの世に存在しないと主張し、私が子どもだった当時は『宇宙人特集!』みたいな番組がよくテレビで放映されていて、私はそれにものすごく怯えていたものだけれど、母は

「そんなのいる訳ないでしょ」

と言って鼻で笑っていた。

母はとにかく現実主義者だった。

だから、サンタなんかいないし、そもそも外国の行事であるクリスマスは、別にウチではやらなくていいでしょと思っていたんだろうなあと私は思っていた。

私が3人の子持ちになるまでは。

あの当時、私が5歳だったということは、私より3歳上の姉は8歳で、私より4つ下の弟にいたってはまだ1歳、全員まだまだ手のかかるお年ごろの3姉弟。

それからひとたび散歩に出ると1時間でも2時間でも田んぼ道を歩き続ける可愛いけどあんまり賢くない犬が1匹。

こいつもまた手のかかるヤツだった。

父は戦後すぐの生まれの昭和産で、その時代の父親勢というものは、令和の現在を生きるパパ勢に比べると恐ろしいほど、育児も家事もしない生き物だった。

もしかしたらすごく育児も家事もできるパパもいたのかもしれないけれど、父は全くそういうタイプではなかった。
そして母は勤め人だ。

巷にまだネット通販も、デリバリーサービスも殆ど無かった時代。

母は朝起きて、夜寝るまで毎日戦場の最前線で立ち働いていて

「ハァ?クリスマス?それどころじゃないんやわ」

そんな暇はない、今日を生きるだけで手一杯だったのだと思う。

大体ウチの実家は今でこそ大人ばかりの静かな場所で、柴犬が座敷犬として鎮座する整然と片付いた家になっているけれど、私が子どもの頃はキッチンのシンクに汚れた皿とコップが積み上げられ、床には子ども達が散らかした色々、取り込んだ洗濯物の小山は室内のあちこちに点在、そんな家だった。

その状況で非日常的なイベントを仕切るのは結構な力技だ。

それは同じ3人の子持ちになった今ならわかる、超わかる。

私もまさに今、地味にクリスマスの準備が面倒だ。

子どもは皆それぞれに可愛いけれど、3人分のプレゼントを

「サンタさんになに頼むの?」

と家中子どもの後ろを追いかけて聞いて回るのも、それを手配するのも、ほぼ家事育児仕事の合間にほぼ私がやるのだから。

もしこの令和の世にネット通販がなかったら絶対に「サンタ?うちには来いひんで」と言って切り捨てるに違いない。ウン、多分。

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うちの子の、クリスマス

さて、今年のクリスマス。

長男はすでに中学2年生なので『もうサンタさんにプレゼントを貰えてウレシイ!』という感じではないのだろうし、どちらかというとアンタはそろそろ運営側の方ではないの、という話を持ち掛けてみた。

大体子どもにクリスマスプレゼントっていつまであげるものなのだろうというのは、長男が中学生になった頃からの私の密やかな悩みだ。

しかし長男ときたら

「エッ!サンタっているやろ?」

俺は純真な少年やさかいとすっとぼけて、ちゃんとゲームのソフトを『サンタさんに』頼んだ。

長女は、サンタがいるのかいないのかという問題に「世界サンタ協会」という団体が実際に存在しているということをタテにして「ぜったいにおる」と言い続けている。現在小学5年生、プレゼントは未だに迷い中、早く決めてくれないとお母さん、じゃなくてサンタが発注できなくなるというのにこの子は迷い屋さんで本当に困る。

そして現在5歳の次女は、夏ごろからずーっと『ドレスを貰うの』と言い続けている。

ただ色が決まらない、レモン色かスミレ色かそれともピンクか、これもまたお母さん…じゃなくてサンタが困るので早く決めてほしい。

そして、ここに毎年私の母が参戦する。

うちには本職のサンタと(というか親)、ばぁばがこの時期だけサンタになるというテイで2つのルートからプレゼントが来ることになっている。

母は娘の私に、そして私の姉と弟にクリスマスプレゼントを用意することは結局一度もないまま、子どもたちはそれぞれ成人し、今は全員いい歳のおばさんとおじさんになった。

でも母は、その娘と息子の子である孫には、クリスマスプレゼントを毎年用意する。

とは言っても、母には孫が5人もいるので、それはちょっとした手袋とかセーターとか、絵本とか文房具とかうんとささやかなもの。

でもクリスマスの朝、サンタからのプレゼントに追加される形で『ばぁばサンタ』からの小さな包みがちょこんと枕元に置かれていると子ども達はとても喜ぶ。

贈り物は多い方がやはり子どもは嬉しいものらしい。

そしてその朝の様子を毎年動画に撮って私は母に送っている。

母は40年前、日々の忙しさに取りに紛れて触れることすらできなかったクリスマスを今やっと楽しんでいる模様。

それで私は、あの時靴下に何も入ってなかったあの衝撃の朝ことを

「まあ許す」

と思うことにしている。

お母さんも、ホントはクリスマスやりたかったんだよね。



※ この記事は2024年09月19日に再公開された記事です。

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