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公開 2023年02月14日  

夫よ、あなたはなぜ残り1㎝のコーヒーを飲みきらないのか。

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我が家には謎がある、それはコーヒーカップの底1㎝分のコーヒーが残っているカップがダイニングテーブルにいつも放置されていること、誰が何のためにそれをするのか、探検隊はその謎を解明するべくアマゾンの奥地にはいっておりません。


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毎日そこにある

「コーヒーカップの底に指関節ひとつ分、約1㎝ほどのコーヒーを残す」

ということをうちの夫は毎回必ずやるのですが、これは「ウーン、このコーヒーはちょっと俺の好みやなかったな」とか「飲みすぎちゃっておなかタプタプになった」とかそういうサインではないらしい、それをそっとキッチンの隅やダイニングテーブルの端っこ置いてフッといなくなる。

でこれは一体どうしてなのかと、私は

「我が家に末期の水を貰えずに亡くなった先祖の霊がいてその供養」
「私には見えない妖精さんにコーヒーをおすそ分けしている」
「実はカップの底に1㎝コーヒーを残すのが国際プロトコール、正しいマナーである」

このようにいろいろと理由を考えてはみたものの、それは全て正解ではなく(当たり前だ)ただの癖で、ついで言うと旨いとか不味いとかそういったことに左右されないものらしい。

私は普段の生活が、夜も明けやらぬ早朝からなんだかよくわからない文章をこつこつ書いて、家人が起き出せば立ち上がり家事をして、長男長女を家から送り出して末っ子の次女を幼稚園に自転車で送り、買い物をして帰宅してまた何か書いてそこからものの1~2時間程でまた次女を迎えに行き、帰り着いた自宅で次女を追いかけまわす。

書いてしまえばそれほど対したことをしている訳ではないけれど、滑車で回るハムスターのようにせわしない細切れスケジュールの生活を送っているもので、間に家で飲むコーヒーを家でぽこぽこと沸かして飲むことが息抜きというか、すごく大切な時間になっている。

それだからコーヒーの豆は「ちょっと分不相応かな、でもコーヒーくらいは、ね」という気持ちで少し良いものをちゃんとコーヒー屋さんで買って使っている。

それを毎日1㎝残して出社する男、それは3日で3㎝になり、1ヶ月で30㎝になる、勿体ない、ちゃんと飲みなはれ、そして飲んだカップは自分で洗いなはれ。

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え、何?やんの?

もしこれが「このコーヒー不味いなぁ、もっとマトモなの買って来いよ」と夫が私に向って言い放つとか、テーブルにひとつ、ぽつんと置いて残されたコーヒーカップを夫が指さして「ちょっと、これ下げて洗っといて」と言ったなどいうことであるのなら

『え、何?やんの?』

というハナシになって私も上段の構え位は取るのだろうけれど、前述のようこれはにコーヒーが不味い訳でも何かのおまじないでもない、実際に夫は

「わー、豆から淹れたらやっぱり美味しいねえ」

なんて無邪気に言っているし、そもそもこの人は誰かが作って出した料理にいちいち細かい文句を垂れる人ではないし、ピーマンが食べられないことを除けば(一生食えないらしい)、何を出しても箸をとってからいただきます、そして箸を揃えてご馳走様を言う人だったりするのでよくわからない。

いつもいつも残り1㎝を残されたマグカップはテーブルの端に。

(なんでや)

そう思う時、私は夫をそのままコピーしたと13年前から、つまりは産まれたその日から大変に評判の我が家の長男のことを思い起こす。

この長男というのがまた、本当に、冗談ぬきで、ホントに全く

『片付けない男』

なのだ。

でもこれはもう特性というかそういう性格、傾向であるので私もそこまで殊更咎めずに平日はやれ学校のプリントだとか教科書、それから塾のテキストにこれもまた塾のプリント類とあとはお菓子の小袋なんかが、あちこちに散乱した部屋を見ても「何なんこれ、なんでもいいから片付けなさい」と本当は3分に1回言いところをぐっとこらえて

「掃除機かける時に吸い込んじゃうとまずいものは机に上げといてね」

と言うにとどめている。

というのも、この長男のことで長くお世話になっている小児科の先生に一度

「うちの息子はひとつも片付けない、というかこちらが何も言わないとなんか教科書とかプリントとかその他の雑多なものに埋もれて床がすっかり見えなくなるんです。
あれでどうして提出物とか、毎日の時間割とか忘れずにやれているのか、ホントに謎です」

と、そういうことを相談したことがあるのだけれど、その時の先生の言葉というのが

「そりゃあお母さん、お母さんと彼は違う人間ですから、お母さんの片付いているという概念と、長男君の片付いているという概念だってそれぞれに違いますよ」

ということで、その証拠に長男君は学校や塾に必要なものはその中から的確に掘り出しているんでしょうと言われた時には、なるほど、あの私から見ると「ほぼゴミの山」の部屋にもある一定の規則性が存在していて、あの状態でも別に長男的には「散らかってる」というと判断するには至らないのだなあと、感心しつつ「あれは長男の基準では散らかってへんということなのか」と思い至った。

思い至ったけれど、床にカントリーマアムの袋を捨てる件については何の必要性も感じないので毎回オラつきながら怒っている、あとミカンの皮と。

私が産んで育てた長男ですら、この居室の汚さに代表されるように

「おまえ…一体どうして…」

ということが数限りなくあるのだから、私の義母であるところのお母さんが産んで育てた完膚なきまでの赤の他人である夫の行動が謎なのは、まあ当然と言えば当然で、思えばこの夫については床にゴミをぽいと捨てたりしたら妻の私が秒で怒るので流石にそういうことは一切やらないけれど、急な雨の降った晩に使った折り畳み傘をなんだか知らないけど濡れたまま玄関の三和土の上に次の日まで放置したり、生命保険の人から貰ったカレンダーをもう使えなくなる次の年まで自分のパソコンデスクの上に開きもせずに放置したりと、お片付けの概念に「のんびり」という要素が付加されているんだなあと思われる点が多々、存在している。

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そんな私はといえば

対する私は反対に、とてもせっかちな人間で、特にキッチンシンクに汚れたカップや皿小鉢が放置されているなんて状況は想像しただけで「イーッ!」となるタイプ。

我が家のそう広くはないキッチンで今日も

「ビルトインの食洗器を手に入れたい人生だった…」

とため息とともに呟いてはせっせと洗い物をする毎日。

更には床にゴミが落ちているとか、くしゃっと丸められた靴下が落ちているとか、廊下に埃の轍ができているとか、そんなモンはもう秒で片付けまっせという類の人間で、そういう意味ではあんまり3人も子どものいる親には向いていない、何というか、おおらかさが足りない。

であるので夫の

「コーヒーご馳走様、これはあとで片付けよう、先にトイレに行ってこようっと」

というこの、すこしの間にコーヒーカップを音速で洗ってしまっているのだと思う。

でも夫の「後で洗おう」は場合によっては会社に行って帰って来てからだったりするのだから、私は絶対に待てない、呑気にも程がある。

なにしろ私は、買い物とか次女の幼稚園の送迎以外は、ほとんど家の中でずっと家事と仕事をして暮らしている人間なのでずっと目の前にあるコーヒーアップを我慢できない、流石にそれは待てないのだ、なんでパソコンでぽちぽち仕事をしている横にいつまでも夫のあと1㎝分飲み残したコーヒーの入っているカップを置いてそれを眺めて暮らさないとあかんねん。

そんな訳で、コーヒーカップを洗うつもりで置いて行く件については、即洗したいのが常の私なので、すぐに洗わないのならちゃんとシンクの中において欲しいと毎度伝えるようになった。

私は別に強硬に夫のコーヒーカップを洗いたくない訳ではないし、夫は夕飯の後の皿洗いなどはやってくれる。

というのも私は夜は9時までに全ての皿小鉢を片づけて寝るということに執念を燃やしている人間なもので。

というより朝が早いもので夜の9時に5歳の次女と布団に入らないと流石に体がつらいのですよ。

だからそこは持ちつ持たれつだからと、カップは私が常に洗うのでそれをシンクまで持ってきてというハナシになった。

そうしてさて、ではどうしていつも1㎝飲み残しを作ってしまうのよと聞いたところ、それは

「ウーンなんやろなあ、俺、知らん間に妖精さんにあげてんのかなあ」

ということで、あんたそれは私が言うたんやろ。

※ この記事は2024年10月14日に再公開された記事です。

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