なにかと世知辛い世の中だけれど、ここの所なんだか毎日のように優しさに触れている。
みんながとっても優しくて、世界がきらめいている。
40歳を手前にした私の世界がこんなに眩しいなんて、16歳の不貞腐れてばかりいた私に教えてあげたい。
小学生になって最初の週末を終えた月曜日、末っ子が上靴を忘れていった。
分かるところに置いたつもりだったのだけど、なんせまだまだ上着を着てランドセルを背負って、ヘルメットを被って、靴を履いて、それだけのことにも精いっぱいだ。
ちゃんと声をかけたらよかった、と私も反省した。
真面目な性格の彼女は上靴を忘れたことに気が付いて絶望しただろう。
ああどうしよう、と焦ったに違いない。
自分の落ち度を責めたかもしれない。
まだ幼稚園に通っていた頃、習い事で忘れ物をしたことがあった。
その時に「ごめんね、あれを入れるのを忘れてたね」と言った私に「え?わたしが忘れたんだよ」と末っ子はきょとんと言った。
危ういほど甘やかして育ててしまった自覚があるのに、末っ子は何故かとても責任感が強い。
彼女の生まれ持った資質のひとつかもしれない。
「今日上靴忘れちゃったね。ママも朝言わなくてごめんね」帰宅した末っ子に言った。
「泣いちゃったよー」末っ子は大きく口をへの字に曲げた。
ああ、この小さな1年生に慣れない学校生活で不安な思いをさせてしまった。
「でね、先生に『上靴忘れちゃいました』って言ったらね、
『絶対に怒ったりしないから不安なことがあっても安心してお話していいからね』って優しく言ってくれたの。嬉しかったあ」
そう言って末っ子はにっこり笑った。
なんて優しい世界。
なんて素敵な先生。
学校を安心できる場所にしてくれて本当に嬉しい。
真心の厚みが、先生の高い徳が眩しい。
さらに、末っ子のクラスでは1週間分の予定と宿題が表になったものを予め配ってくれるのだけど、その中に「ごーるでんうぃーくのしゅくだいはすこしにします。ふだんゆっくりできないおうちのひとと、たくさんおはなししたりのんびりしてほしいからです」との文言があった。
あまりに嬉しくてスマホで写真を撮った。
見返して私の心のお守りにするのだ。
連休中に宿題がどっさりあると、保護者も気が休まらないことを先生はご存じなのだ。
子どものことも私たちのことも細やかに温かく考えてくださっているその存在が心強い。
私は感激を引きずるタイプなので、2感激もしたらこの1年間はずっと感激していられる。
先生が優しさで冷え性も腰痛も全部治りそう。
とにかく先生にお会いしたら、都度、感謝を伝えていきたいと思っている。
そして御無理なきよう、ご自身の御身を第一にお考え下さいね、とも伝えていく。
先生にずっと心身ともに健やかでいてほしい。
七夕の短冊にも書きたいほど。
そんな感激に感激を重ねていたある日、小学校の遠足があった。
3人ともそれぞれお弁当をああしてほしいだの、こうしてほしいだの、誰と食べるやら、おやつはなにを買うやら、2週間ほど前から随分と遠足への期待が高まっていた。
もちろん、今年初めての遠足へ行く末っ子も然り。
ただ、彼らの小学校の遠足はいささか歩行距離が長いのだ。
近隣の小学校の遠足と比べてもかなりの距離を歩く。
他校がバスで行く距離を何故だか歩いていく。
校区が広いので少し麻痺しているのかもしれない。
小1にはなかなかハードな距離だと知っている。
楽しみに水を差したくないから当然言わないけれど、最後まで体力が持つかほんの少し心配だった。
リクエスト通りのお弁当を作って、自分で選んだおやつを持って、長女に貸してもらったお姉さんリュックを背負って、わくわくしながら出発した末っ子は、顔を日焼けで真っ赤にして、姉兄より少し早く帰ってきた。
「遠足楽しかった!」
第一声がとてもいい。
「お弁当すっごくおいしかった!」
第二声もすごくいい。
満点花丸だ。
持ち帰ったおやつを食べながら、遠足の話をあれこれ聞いた。
「あのね、暑くって水筒が空っぽになっちゃったんだけど、6年生のお姉さんが麦茶を分けてくれたの」
なんだと。
なんて優しいの。
お姉さんは足りたんだろうか。
申し訳なさと有難さでいっぱいになる。
「あとね、帰り道で疲れちゃったらね、6年生のお兄ちゃんがリュックを持ってくれてね」
なんだって。
人間が出来過ぎでは。
小学校6年生ってそんな機転が利くんでしょうか。
「でね、歩いてたらちょっと頭が痛くなっちゃってね、そしたら『おんぶしてあげようか?』ってもう一人のお兄ちゃんが言ってくれておんぶしてくれたの」
そんなことある??
私が小学校6年生だったら、自分が疲れたことにしか考えが及ばなかったに違いない。
「早く帰ってアイス食べたい」とかそんなことしか考えなかったと思う。
彼らが眩しすぎて、ほとんど興奮してしまう。
後日配られた学級通信には6年生の子どもたちのそのような様子もあれこれ書かれてあって、学年丸ごと優しい子どもたちの集合なのだと知った。
立派なドーナツを一人2個ずつくらい買って教室にお届けしたい。
でも「アレルギーの問題とかありますし」と現実的なことを考えるくらいには大人なので、担任の先生を通じてお礼をお伝えしたいと思う。
先日、お誕生日を迎えた長女に、お友達の一人が長女のために楽しい遊びを考えて公園でおもてなしをしてくれたらしい。
またしても「私が小5の時なんて……」と愕然とした。
帰宅した長女の自転車にはお友達がつけてくれたという真っ白い風船が風に揺れていた。
そんなホスピタリティを10歳でどうやって身につけたんだろう。
ここのところPTAの雑用で小学校へ行く頻度が多いのだけど、毎回私まで先生にとても親切にしていただいているし、子どもたちに会えば「こんにちは!長女ちゃん今○○にいますよ!」やら「髪の毛切ったんですね!似合ってる!」やら、笑顔があちこちから押し寄せてきて幸せな気持ちになる。
この学校で過ごすとみんな優しくなってしまうんだろうか。
私がいちいち感激屋なのはよく分かっているつもりだけど、それを差し引いたとしてもみんなすごく優しい。
子どもが産まれてからというもの、色んな人に親切にしていただいて、さらにここ最近の怒涛の優しさに全身がくまなく浄化されているような気持ち。
優しさを受け取ると、私ももっと優しくなろう、と思う。
優しい人たちに見合う私でいたい、と思う。
この清らかな世界を汚すものか、と思う。
そうして優しさがぐるぐるとぐろを巻いて世界を温めてくれたらいいなと思う。
インターネットを開けば世知辛い部分ばかりが目に付いて暗い気持ちになる世の中だから、余りあるほどのやさしい世界を書いておきたい。
少なくとも私から見える子どもたちの世界は、幼い子ども向けに書かれた絵本みたいに優しさに満ちている。