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公開 2023年06月14日  

子どもがゲームに夢中で不安…しかし、それは”偏見”と知った日

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ゲーム偏差値が驚くほど低いです。前に進むことすらうまくやれない。


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好きなものは多ければ多いほうがいいとは思っているけれど、あまり度が過ぎると「それはどうなの」と思うこともある。

例えば、動画の視聴とか、例えばテレビゲームとか。前者に関しては見たい動画をめぐって、厄介な喧嘩が頻発するので度々私がリモコン召し上げという形、つまりお預かりしていたのだけど、毎回あちこちに片づけているうちに、なんと失くしてしまった。

どこにしまったのかとんと思い出せないし、どこを探しても見つからない。

大変申し訳ないことだけれど、我が家で動画視聴は葬られてしまった。

私が申し訳なさそうにしているからか誰も大きな文句をこれと言うこともないし、観られないなら観られないで楽しく暮らしているのでもうこのままでいいかな、と思ったりもしている。


さて、後者のゲームに関してなのだけど、どの子もさほど過剰にやるということにはなっておらず、そう生活に支障が出ることもなかったし、割とあたたかくく見守っていた…と思っていたら、思いもよらない人がゲームに熱中し始めたのは半年ほど前のこと。


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元々ゲーム機を欲しがったのは真ん中の長男だった。

何年か前のサンタクロースにもらってからというもの、長男を中心に楽しんできた。

お年玉やお誕生日なんかにソフトを増やして、喜んでいたのももちろん彼。

それが、ひょんなきっかけで、長女がとあるソフトに出会って風向きが大きく変わったのだ。

お友達が親戚のおさがりをもらったというそのソフトをなんとなく借りてやってみたら火が付いた。

先のクリスマスにそのソフトをサンタさんに頼み、お誕生日にはそちらの新作とやらをリクエストした。

彼女はもう高学年で6限の日も多いし、そこへ習い事もいくらかあれば、平日はそうそうやる暇がないのだけど、週末ともなれば目を輝かせてテレビの電源を入れている。

普段、あまり主張をしない彼女が我先にとテレビの前を陣取る姿は妙に新鮮で、平日は頑張ってもいるんだしここは存分に楽しめばいいわよ、と思っていた。

思っていたのだけど、いささか長いのだ。


私も夫もテレビを観る習慣がないのでテレビが使われていることはいいのだ。

下の子たちも、長女のゲームを観ているのが楽しいらしく、「早く変わって」とかそういったことをまったく言わない。みんなで歓声をあげながら楽しんでいる様子は微笑ましくもある。

だけど、いささか長い。

いえいえ、日ごろ学校だ習い事だと忙しくしている彼女の贅沢な時間に水を差すまい、と思う気持ちに、いやでもなんか長くない?が追加されて、
そこへ、いやでも夢中になれるって幸せじゃない?がトッピングを重ねて、
いやでもさ、が仕上げにふわっと乗っかる。

強く言う気にはなれないものの、なんだか少しモヤっとしたものを胸に抱えていた。

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その日曜日もまた、長女は朝からゲームに勤しんでいた。

私が起きたころにはとっくに画面に向かっており、私が朝食の支度をしている間ももちろんゲームをしていて、朝ごはんができたらさくっと食べてまたゲームに帰っていった。

駄目じゃない。

駄目じゃないけど。

やっぱりモヤっとする。

その日は朝食の片づけをして身支度をした後、友人親子とお出かけをした。

下の子たちが楽しく遊ぶ中、話が友人の高校生のお姉ちゃんに及んだ。

なんでも志望校に合格して、ようやく落ち着いた暮らしを取り戻しているという。

「それで最近ゲームに夢中になってるよ」

そのソフトはまさに長女が今夢中になっているそれだった。

「わ!それ長女もはまってる!今朝もずっとやってたよ」

「そうなんだ!あのゲームすごくいいと思う~!」

「え。いいの?」

つい今しがたもやもやした気持ちを抱えて、しかも実は車の中ではチクっと小言を言った身にとって、彼女の笑顔は眩しすぎる。

「ストーリーも複雑だし、すごく思考力も試されるゲームだよ」

彼女はそう言った後、少しかがんで長女と「どこまで進んだの?すごいねー!うちのお姉ちゃんはね」とゲームの話をしてくれた。

長女は私にはしないゲームの詳細を、目を輝かせて彼女に向って話していた。


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しばらくして、友人に「実は」と今朝の話をした。

彼女は「そういうこともあるよね」としながら、

「でも長女は頑張りすぎるタイプだから息抜きがあってよかったと思うし、何より夫と会話が生まれてるのがいいなと思うんだよね。
夫とお姉ちゃんはお互い忙しくて顔を合わせる時間が少ないから、共通の話題があると会話がしやすいみたい」

本当に現金なことに、朝のモヤモヤが一瞬で晴れてしまった。

家族で楽しんでいる友人一家にとってそのゲームは息抜きであり、コミュニケーションツールのひとつになっている。

例えば、ちょっといけ好かないと思っていたあの人のちょっとした優しい一面を見たような気持ち。


そうか、もっとポジティブに考えたっていいのかもしれない。

突然だけど、私は致命的に反射神経が鈍いので子どものころからあらゆるゲームがうまくやれない。

同じところをぐるぐる回ってしまうし、飛んだり跳ねたりすることもままならい。

先に進んでもスタートしたそばから死んでしまうので、初歩のコースを延々とやるほかない。そんな調子だった。

昨今のゲーム機は昔に比べてボタンもうんと増えたから、もうすっかりお手上げなのだ。

今や私はただまっすぐ歩くことさえ困難だ。

そんな風なので、子どもたちのゲームにもいまいち興味が持てないでいた。

中身がよく分からないからいまいち実態がつかめないし、ぼんやりとした拒否反応も抱いてしまっていたのかもしれない。


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後日、長女のゲームを眺める長男と次女に混ざって私もそのゲームをちゃんと観てみることにした。

私が見ているのが3人とも嬉しいらしく、一生懸命いろいろと説明をしてくれる。

かわいいじゃないか。

知恵を試される側面が度々あって、その都度みんなで、「こうじゃない?」「こうしてみたら」と言い合うのも楽しい時間だった。

壮大な大冒険がモチーフになっており、冒険ものの番組や映画が大好きな長女が夢中になるのもなるほど頷ける。

ゲームの内容が少し分かってくると観ていても楽しくなった。

長女が動かしている主人公にも少なからず愛着がわいてくる。


そもそも、早くゲームをしたいというモチベーションで週末の宿題もさっさと終わらせているわけだし、そう咎めるようなことでもないのだ。

こもりきりでゲームばかりをしているわけでもないし。

なにより、友人にキラキラとした眼差しで一生懸命ゲームの話をする長女の横顔は、好きなものについて話す人の顔そのもので、その表情は眩しかった。

私はゲームにあまりいい顔をしないばかりに、その顔を見る機会を自らみすみす手放していたのだ。

ああ、もったいない。


子どものころに大好きだった本の中に「アツアツのグラタンと、デザートには冷たいイチゴ」という描写があって、食いしん坊な子どもだった私はそのシーンに心を打ちぬかれた。

おいしいグラタンを食べた後熱を持った口の中にひんやりとしたイチゴを頬張ったらさぞかし美味しいだろう、と想像しながらうっとりした。

そして、それはいまだにグラタンを作るときに思い出されて、あの時の気持ちが蘇る。

子どもの頃のあの胸の高鳴りはどういうわけか色褪せない。

長女もいつか大人になったときに、あの草原を駆け抜けた冒険心を思い出すのかも知れない。

そうかそれって、宝物なんだな、と今なら思うことができる。


※ この記事は2024年10月14日に再公開された記事です。

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