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公開 2023年09月13日  

赤ちゃんだった頃は想像できなかった。小学生になると、嵐のような夕方が割とある。

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3人全員が小学生になってこっち、夕方がせわしないことこの上ない日々です。


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子どもたちがまだ、うんと小さかった時分、「大きくなったら楽になる」この文言を遠くに見つめて、ただ毎日をひた走っていた。

あの頃の私にとって、あの「大きくなったら」はトンネルの遥か向こう側を照らすたったひとつの弱くて小さな光だった。


3人全員が小学生になって、いくらか楽になった。

旅行やお出かけをするとなれば3人それぞれ、自分でリュックサックに着替えや好きな本を詰め込んでくれるし、食事だって細かく切り刻んだりしなくたってぺろりと平らげる。

それぞれ1人前を食べるので、外食の際に私はカラいお料理だって躊躇なく頼むことができる。

歩きたくないと駄々をこねて泣くことも、「なぜ今ここで?!」と思うような場所で寝てしまうことも、もう無い。


いろんなことがうんと楽になって、ああ、私はほんとうに遠くへ来たのだな、と思う。

けれど、ずっとここへ来たかったのに、ここへ来たら来たで、なんて楽しくて幸福なトンネルを抜けてきたんだろう、と思う。



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さて、楽になったなったと言っているけれど、そして、実際、楽にはなっているのだけど、日々、ちっとも楽じゃない。

先人たちが言った「子育てに終わりはない」が今、ビシビシと全身を打っている。

諸々の介助が不要になったという意味では楽になったけれど、彼らはそれぞれ人格のある人間として仕上がりへ向かっていて、各々やりたいこともあれば、それぞれに人間関係もある。

挑戦したいことや、頑張りたいことがひとりずつにあって、それら簡単に「駄目だよ」とはやはり言えないし、私はイエスマンでもあるから、時間の采配さえなんとかなるなら頑張って運転をしますよ、という暮らしになる。

また、それぞれにお友達もいるし、お約束をしてくることもある。

田舎の校区というのは大変広く、お友達の家が4キロ先、ということも珍しくない。当日の約束はしないで、と口酸っぱく言っているけれど、やはりそこは子どもだからうっかり「今日、○○ちゃんと遊んでいい?」とご機嫌に尋ねてくることもあるのだ。


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それは9月のある日のこと。

長女が帰宅するなり「今日○○ちゃんと△△ちゃんと□□公園かうちでで遊んでいい?」と言った。

□□公園へは自宅から3.5キロほど。

我が家は今、いくつかの台風一過を経たばかりなので家の中が大惨事。

その日は末っ子の習い事が2つ、18時から20時まで長女と長男がそれぞれに習い事、という予定だった。

時間のことだけを言えば荒れた我が家で遊んでもらいたいところ、と思いきやよく考えたら、うちで遊ぶのであれば、夕方、お友達をそれぞれの自宅へ送り届けなければいけない。

彼らはいずれも我が家から4キロほど離れた所に住んでいる。

習い事が重なっている今日、そんなことをしたら、誰かのなにかが間に合わない。


長女は「習い事は18時からだし、17時半までは遊べる」と思ったんだろう。

けれど、私としては17時までに夕飯を作ってしまって、18時までに食べさせたいし、学校から直接習い事へ行った末っ子を今から迎えに行って、速やかに次の習い事先に送らなければいけない。

そして、申し訳なさそうに「宿題を学校に忘れたかもしれない」と言う長男を学校へ送り込む必要もある。

それぞれの位置関係と、現地までの所要時間と、スムーズにいかなかった場合にかかるであろう時間を計算して、考える。

脳が急速に回転する。

こういう時に「いや、今日は無理だよ」が、どうしても言えない。

頭の中では「いやいや、無理だよ。当日に約束してこないでねっていつも言っているし。今日は無し」と、きちんと背筋を正してスーツを着た理性的な私がぴしゃりと言う。

でも、その横では「でも、ほら、知恵を絞ったらなんとかなるかもしれないよ。申し訳なさそうな長女の顔を見てごらんよ。うっかり約束してきちゃって、申し訳ないって顔に書いてあるじゃないさ。遊ぶのも子どもの仕事のうちじゃないの」と、割烹着を着て髪を後にひっつめた肝っ玉母さんみたいな私がなだめてくる。

あらゆる角度から、時間の計算をする。

末っ子の1つ目の習い事と□□公園は隣接しているから、末っ子を迎えに行ったついでに長女を公園に降ろして、いや待て、お友達と遊んだ後の長女は誰が迎えに行くのか。
末っ子の2つ目の習い事は公園から少し遠く、10キロ以上あるだろう。夕方の混雑を考えると少し早めに動きたい。

そして、夕飯は一体どうしたら。

「やっぱり今日は無理かも」

長女に告げると、「うん、分かった。いいよ」と天使のような顔。

ああ、なんて顔。

ママごめんね、と、残念、と、仕方ない、と、宿題やらなきゃ、と、お腹空いたと、アイス食べたいと、なんかいろいろごちゃ混ぜになった11歳の胸中がすべて詰め込まれたお顔がそこにあった。

「3分待って!もう一回考える!!!」

見てなさい、お母さんの底力を。

こう見えてお母さん英検2級持ってるんだから。


3分間みっちり考えた私の脳裏に突然、奇跡のような妙案がさぁっと降り注いだ。

具体的な内容は省くけれど、これなら、と思うような時間配分が天啓のように脳みその隙間から告げられて、無事長女はお友達と遊ぶことが叶った。

長女が遊んでいる間、長男を学校へ放り込んで、末っ子を2つめの習い事へ送り、夕飯を作って、ああしてこうして、そうしているうちに夫が後光を携えて帰宅して、どうにか無事に1日が終わった。なぜか宿題もちゃんと終わって、全員21時頃就寝した。

なんか知らんけど、なんとかなったな、と思いながら寝落ちした。


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そんなふうに、日々、15時を過ぎるとクラブハウスサンドイッチみたいに予定が詰め込まれている。

早朝、5時や4時に起きて夕飯を作っておくような、輝かしい大人になりたいのだけど毎日起きるとしっかりと6時半を回っていて「はて」と思う。


子どもは大きくなるほど、起きている時間も長くなるし、体力もついてくる。

つまりそれだけ活動している時間が長くなる。

小学生の彼らの放課後を支えるのはどうしたって、親になるから日々があまりに忙しない。

彼らそれぞれはそこまで多忙ではないけれど、3人分のスケジュールに合わせて動く私は日々、パズルをほどいては組み立てているよう。

私がやりたいことをやって大した我慢もせず楽しく暮らしているものだから、朝から歩いて学校へ行って、あれこれ学んでいる彼らがあまりに立派に映って後ろめたい。

どこにも寝っ転がらずに、お腹が空いてもチョコを食べたりしないで、ちゃんと授業を受けている。

そのことが偉大過ぎて、そんなに頑張っている彼らのやりたいことを断ることがどうしてもできない。


今日も

「車ぐらい出してやんなさいよ」

と私の中の肝っ玉母さんが腕組みをしているもんだから、真ん中をピアノ教室の後に公園へ送って、習い事がある長女の夕飯を早めに用意して食べさせたら、レッスンへ送り届ける。

でも、これもきっと、いつか遥か先のトンネルの向こうに出たら「ああ、なんて楽しい時間だったんだろう」と思うことももちろん分かり切ったことなのだけど。



※ この記事は2024年09月13日に再公開された記事です。

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