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公開 2024年05月21日  

子どもを産み、育てるという選択。それが私にとって「大きなこと」だった理由

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改めて考えてみたことです。


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娘が生まれる前。

私と夫は都内の小さなマンションに住んでいた。

それぞれ仕事があり、休みの日は近所の公園におにぎりとビールを持って散歩に行ったり、夜中に野良猫を探して愛でるという猫活に勤しんだり、住人が入れる屋上で遠くに見える花火を見たりした。

徒歩圏内に居酒屋やバーが立ち並んでいて、私はその日の気分で、飲みにいくことができた。


私と夫は仲良しで、ほとんど喧嘩もしない。

二人で日常生活をうまく分担しながら、お出かけしたり、映画を見たりして暮らしていくのでも全然問題はないと思えた。

私は愛する夫の介護ができると思っているし、老いてもきっと仲良しでいられると思っている。

二人のままでも、きっと楽しい人生を送れた。

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ある日、私と同じくらいの年齢の女性が、不妊治療をしていると知った。

ふと「自分はどうなのだろう?」と気になった。

私は子どもを産むことができるんだろうか?

もし、産むのが難しいとわかった時、不妊治療を受けたいと思うだろうか?

それなら、それが分かるのはあまり遅くない方がいいかもしれない。

そんなことを夫と相談していると、私はほどなくして妊娠した。


嬉しいのか、不安なのか、よく分からなかった。

多くの人がそうなのかもしれないと思うのだけど、母になるという実感は、すぐには湧かなかった。

ただ、しばらくするとつわりが始まって、否が応でも実感することになる。

体に、今まで味わったことのない大きな変化が起こっていることを実感させられた。


それから子どもが生まれるまで、リュックにマタニティマークをつけて過ごした。

インターネットでは、マタニティマークをつけていることに対して不安になるといった声も聞いたことがあったが、私の場合は、特別悪いことは起こらなかった。

電車では何度も席を譲ってもらえたし、お腹が大きくなると、スーパーではレジの人が買い物かごをサッカー台まで運んでくれた。

不思議な気分だった。


これまで私は、街を歩いている時に自分の属性を認識したことも、認識されていると感じたこともなかった。

でも、大きなお腹を抱えてマタニティマークをつけている私は、誰がどうみても「妊婦さん」なのだ。

属性で判断して、それに対していろんな気持を抱く人が世の中には居るということも知っている。

でも実際には、幸いにも、親切な人にしか出会わなかった。

自分は社会の中で生きているんだな、ということを、初めて認識できた。


つわりが終わると、妊娠生活はとても幸せなものだった。

もう長いこと、お腹の中の人と一緒に生活している。

時々ポンポンとノックして、その存在を示してくれる。

大きなお腹が苦しくて眠れない夜も、楽しかった。

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それでもやはり、さまざまな不安が頭をよぎる。

高度に発達した日本の医療の下では、出産時に何かトラブルが起きたとしても、さまざまな方法で対処してもらえると知っている。

でも、世の中には医療の力でもどうすることもできないような悲しいことも起こりうる。

不安が頭の中で膨らんでいき、涙が出てきた時に、私はお腹の中の子どもが、自分の命よりも大切な存在になっていることを感じた。

それは人生で初めての感覚だった。


何かあった時は、迷いなく子どもの命を選んでもらいたい。

夫にも、そう話した。


お腹の中の子どもへの「愛情」のようなものを認識すると同時に、私は「命をつなごう」とする遺伝子によって操られている生き物なんだな、ということも認識した。

宇宙は果てしないな。

どれほどの時間をかけて、どんなことが起こって、今に至るのか。

この文明社会で、言葉を持ち、意思を持ち、日々さまざまな選択をしながら生きている。

それでも、「生き物」として物理的に種を残そうとする存在だったのか、私は。


妊娠中も、出産してからも、私の人生は子どもに全部持っていかれた。

子どもを産む、ということは、そういうことなのかもしれない。

子どもを産む前に積み上げてきた積み木のお城を、端から端までガシャーンと破壊される。

以前のような、100%私好みのお城はもう建てられない。

今度は子どもと一緒に作るのである。逃げ道はない。


出産してからは、それまで「妊婦さん」であったのと同じように、「子連れのお母さん」になった。

子どもを連れて外出するときは、その目線を意識しないでいられることはなかった。

公共の場での「ベビーカーを押す母親としての振る舞い」は、何が正解なのか。

一番大事なのは、子どもを守ることだ。

そのために、誰の逆鱗にも触れたくない。


そう考えると、家から一歩も出たくなくなるが、それもまたしんどいことだった。

家で一日中子どもの相手をしていると、それまで感じたことのなかったような孤独感が襲ってくる。

夜泣きの対応をしているときに、隣で寝ている夫を見るだけで削られる何かがあった。

そしてまた朝が来る。


子どもは可愛い。でも、ずっと家で二人っきりなのはつらいのだ。

だから私は、「子連れのお母さん」としての振る舞いを意識しながらも外に出る。

散歩をする。電車に乗る。

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あ、そうか。私は今社会的には「弱者」なのかもしれないな、と思った。

世界は、こうした「弱者」のためだけには作られていない。

きっと、健康な成人に合わせて作られているのだ。


ベビーカーや車椅子の人に欠かせないエレベーターは、建物の端っこにあるということを初めて知った。

子どもを遊ばせるためにデパートの屋上に行くために、何度も満員のエレベーターを見送ることがあるなんて、それまでの私はちっとも知らなかった。

子どもが成長して自我が芽生えてくると、子どもからの要望や泣き声に疲弊して、つい声を荒げてしまうことがあることも知らなかった。

電車の中でぐずり出して、どんなにあやしても泣き止まない娘に話しかけてくれる隣の乗客の優しさも。

それで泣き止んだ時の、妙な絶望感も。

「子連れのお母さん」として、どこか社会に許されて存在しているかのような感覚も。 


文明社会においては、子どもを産むことだけが「種を残すこと」という訳ではないと思う。

生き方や考え方、その人の仕事の仕方、あるいは残した作品、創作物……。

こうしたものも、後世に残すことができる。

もちろん、何も残さない、という選択だって自由だ(残さないという選択を残した、と言えてしまう気もする)。


私たちのこうした選択が、社会に反映される。

つまり何をしようとも、人は社会に存在している限り、生産的なのだと思う。

これだけは言っておかなければならない私の大事な考え方だ。


ただ、「子どもを産み、育てる」ということは、勘の悪い私にも、他者に対する想像力を広げてくれるようなことだった。

子育ての苦悩や大変さは、全て、自分ではない「子どもという他者」に対する愛情のようなものに由来すると思う。

出産、子育ては本当に大変だ。

でもそれは、私にとっては、自分の感情と想像力の幅を広げてくれるような「大きなこと」に違いなかった。

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育てる風景 #63
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