![NHK朝ドラ『ブギウギ』スズ子が「ワテ」を使う理由——ドラマを支える「方言指導者」の仕事に迫る](https://assets.mama.aacdn.jp/2024/02/32780668_65dd31261dd1e9_23088375.jpg)
2023年10月から放映開始し、戦後のスター歌手・福来スズ子の人生を描くNHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』。主演の趣里さんは東京出身にも関わらず、勢いのある大阪弁を使いこなしています。
趣里さんに大阪弁を指導しているのは、方言指導者として活動する一木美貴子さん。一木さんはご自身も役者として活動する傍ら、数々のドラマや映画で大阪弁をレクチャーしてきました。
役者が違和感のない大阪弁を使って演技に専念するために、「方言指導者」はどのようなサポートを行なうのでしょうか。仕事の裏側について、一木さんにインタビューしました。
方言指導者デビューは時代劇だった
——そもそも「方言指導者」ってどんなお仕事なんですか?
簡単に言えば、ドラマや映画などのセリフを自然で違和感のない方言に置き換え、役者さんにイントネーションを伝えるのが仕事です。私は大阪弁の指導を行っています。
大阪弁って「船場」「泉州」「河内」「摂津」など、地域によって違うんですよ。さらに時代によって言葉も変わる、難しい方言なんです。
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——ご自身は、普段大阪弁を話されるときにどの言葉を使われていますか?
私自身は堺市生まれの枚方(ひらかた)育ち。堺市でよく話されている河内弁、京都に近い枚方エリアで話される京都弁、あとは大阪中心部の船場言葉がまざったものを喋っています。大阪弁の自然なイントネーションを忘れないよう、訛りのない「標準語」はできるだけしゃべらんようにしていますね。
——方言指導者の道を歩むようになったきっかけは?
以前所属していた事務所の社長が「ドラマの方言指導をしてみないか?」と勧めてくれたのがきっかけでした。
その作品というのは、蟹江敬三さんが出演したNHKドラマ『浪花の華~緒方洪庵事件帳~』(2009年)。「舞台となる江戸時代当時の大阪弁ではなく、現代の人が聞いて分かる大阪弁を」というオーダーだったので、私でも役に立てそうだと思ったんです。かつ芝居の勉強にもなりそうだったので、お引き受けしました。
——初仕事はいかがでしたか?
蟹江さんは東京のご出身にも関わらず、あっという間に大阪弁をマスターされていました。たまに「あっ、ちゃうな」と思って駆け寄ろうとしても、「分かっている、あそこだろ!」って制止されて。もう、すばらしい役者さんでしたね。
私はその演技を間近に見ることができて、「うわあ、ええ芝居しはるなぁ!」って感動しきり。初回から幸せな体験ができたことが、方言指導者としてのキャリアを歩むきっかけとなりました。
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キャラクターと時代を考えながら言葉を選ぶ
——普段のお仕事の流れはどのように進むのでしょうか?
まず台本をいただき、私が適した大阪弁を考え、監督やプロデューサーに提案します。それを脚本家の先生も含めて審議し「それで行こう!」「いや、訛りすぎて伝わらないから別の表現で」などの取捨選択を経て、大阪弁バージョンの台本が出来上がります。
——台本のセリフを大阪弁に置き換えるときって、どうやって進めるんですか?
最初にまずチェックするのが「キャラクター」と「時代背景」です。
特にキャラクターは、年齢・家庭環境・育ちを重視します。賑やかな家庭や活気のある港町で育つと、口調もはつらつとしますよね。町の商売人の元で育っていれば、商売人の言葉で話すようになります。
NHK朝の連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『ブギウギ』の主人公・スズ子の一人称も、大正末期〜第二次世界大戦後という時代設定を鑑みると「私」が自然。しかし、あえて「ワテ」にしています。
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——なぜ「ワテ」を採用したのでしょう。
自分のことを「私・ぼく」と言いはじめたのは、明治・大正時代の小学校教育が普及してからでした。一方で、小学校に行っていない大阪の子は、みんな「ワテ・ワイ・ウチ」と言っていたわけです。
スズ子の母親は学校に行っていなかったから、自分のことを「ワテ」と言います。スズ子にとってお母ちゃんは憧れの存在。学校で「私」という呼び名を学んでいても母のマネをするでしょうから、「ワテ」にしました。
——常に正しい言葉を使うのが正解とは限らないのですね。
「広く伝承されている大阪弁」を念頭に置きつつも、監督や脚本家の思いをきちんと聞きながら「作品にふさわしい大阪弁」を考えます。そのへんが、学術研究と方言指導の違いですかね。
たとえば明治後期から大阪で使われてきた「べっちょない(別条ない)」という言葉は、現代で使われませんし、全国的にも伝わらない方言です。明治時代が舞台の作品を扱う場合でも「大丈夫や」と現代風に言い換えたりします。
——適切な言葉を提案するためにも、普段から学びが必要なお仕事だと感じました。どういったインプットをされていますか?
事典は常に持ち歩きます。大阪弁って進化・退化のスピードが早すぎて追いつくのが大変! 時代が変われば言葉も変わりますから。制作サイドからお借りする資料はもちろん、古い映画からYouTubeまで、あらゆるものが私の教科書です。
『大阪ことば事典』は方言指導を始めたころから持ち歩き始めた