約束された未来はない。日本の全市町村を巡った写真家・仁科勝介が旅に出る理由

「1,741ある、日本の全市町村をスーパーカブ(オートバイ)で巡り、写真を撮影してきました。行ったことのない町はありません」。

気の遠くなるような旅の話を、なんでもないことのような口調で語るのは、「かつお」の愛称で親しまれる写真家の仁科勝介さん。

仁科さんは大学在学中に日本の全市町村を巡る旅に出発。その様子を伝えるWebサイト「ふるさとの手帖」がSNSを通じて話題を呼びます。そして、「目の前にあるチャンスを逃すまい」と本格的にフリーランスの写真家として活動を始めたのは23歳の時でした。

その後、25歳で日本一周の旅を記録した写真集『ふるさとの手帖』(KADOKAWA)を出版し、その後台湾で同書の翻訳版『環遊日本摩托車日記』(日出出版)が発売。現在は写真のほか、エッセイや紀行文などの文筆業も行うなど、幅広く活動を行っています。

そんな仁科さんは2023年4月より2度目の日本一周の旅に出ています。「今回は少なくとも2年がかりの道のりになりそうです」と語る長旅の目的は「旧市町村を巡ること」。

仁科さんは、なぜ再び旅に出たのでしょうか? そこには、仁科さんが写真家として活動していく上で、「避けては通れない理由」がありました。

「球場で撮影をするカメラマンに嫉妬した」

幼少期より野球少年だった仁科さん。小学校では地域の野球チームに所属し、中学時代に在籍した野球部では県大会に出場するも、高いレベルの選手と試合をするうちに自分の才能では「これ以上のレベルには行けない」と悟ります。

そうして野球部の引退を機に仁科さんが手に取ったのが、カメラでした。「野球以外にすることがなかった」という仁科さんは、それまで貯めてきたお年玉で「Nikon D3000」というデジタル一眼レフカメラを購入します。

「入門機」と呼ばれる製品ではあったものの、中学生にとっては一世一代の買い物。そうしてはじめて自分のカメラを手にした時の気持ちを「とにかくうれしかった」と振り返ります。

幼少期より野球一筋、グラウンドで白球を追いかけ続けてきた少年が写真に興味を持ったのはなぜなのでしょうか。

「プロの試合はもちろん、部活の大会などでも記録をするためにカメラマンが球場に来ていることってありますよね。そんなカメラマンの姿がやけに格好良く映って、選手として試合をしながらも気になっていたんです。ほかの人とは違う場所に立ち、違う目線で野球を見ている姿に嫉妬したんですよね」

そんな漠然とした憧れからカメラを手にした仁科さんは、高校に進学すると写真部に入部。しかし、カメラを手に入れたものの、どうすれば上達するのかが分からず、とにかく身の回りの風景を収める日々が続きます。

身近な友人たちや、生活圏内の何気ない風景。「スナップ」と呼ばれる手法で切り取り続けていました。何が正解かはわからないまま手探りで撮影をする。そんな日々がとにかく楽しかったのだと懐述します。

人数は多くなく、「決して活発とはいえない」写真部に所属していた仁科さんは、次第に学外での活動に目を向け始めます。

そんなある日、耳に飛び込んできたのが「写真甲子園」という全国規模の学生写真家のコンペティションでした。作品を応募し、予選を通過すると決勝に進出。決勝ではプロ写真家の講評のもと、その年の優秀作品が決定されます。

もともとスポーツという勝ち負けのはっきりした世界に身をおいていた仁科さんは、写真甲子園で決勝進出を目指して応募。しかしながら、結果は惨敗。残念ながら、高校在学中の3年間のうちに予選を通過することは叶いませんでした。

「他校の写真部はプロの指導者がいるところもありますが、ぼくの母校はそうではありませんでした。写真の指導を受けたこともありませんでしたし、『いい写真とは何か』がわからないまま撮り続けていたので、当然の結果だったかもしれません」

得点や明確な勝敗のない世界。その難しさ、残酷さが仁科さんの前に立ちはだかった瞬間でした。しかし、その「わからなさ」が仁科さんのモチベーションを上げることにつながります。

仁科さんは広島市内の大学に進学後、写真部に入部。そこでは写真部の先輩や仲間たちと出会い、より写真にのめり込んでいくことに。そして、大学1年生のある日、はじめての一人旅に出ることを決意します。

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苦い思い出が残るヒッチハイク九州一周の旅

大学に入学して迎えた初めての夏休み。海外旅行へ行く友人たちを横目に仁科さんが思ったのは「自分は日本国内のことでさえ、全然知らない」ということでした。

「知る」というのは簡単なことではありません。「東京がどんな町であるか」ということは知識として知っていても、その目で見なければわからない。いや、実際にその目で見たとしても、本当に知ったことになるのだろうか?その答えは現在も模索中とのことですが、仁科さんは「自分の目で見なければ何も進まない」と感じたのだそうです。

そうして計画したのが九州一周の旅でした。大学に入ったばかりで資金もない。だけど時間と行動力だけはあるという若者の特権を活かし、カメラを片手にヒッチハイクで九州を旅することに。

好奇心に身を任せて計画した旅には、当然、苦難が待ち受けています。まず、最初に乗せてもらえる車が見つからない。長距離移動する車をキャッチするために高速道路付近でヒッチハイクを行っていると、警察に声をかけられ「ここでは危ないから」と移動を余儀なくされます。

なかなか乗せてもらえる車が見つからない仁科さんの頭に浮かんだのは、車が止まっている場所に行こうということでした。そうして近隣のコンビニに足を運び、停車している車のドライバーに声をかけると、今度はあっさりとヒッチハイクに成功。そうして合計20台以上の車に乗り継いで巡った九州の旅は9日間で幕を閉じます。

旅を終えた仁科さんが感じたのは、スタンプラリーのように全県を回っただけで、「自分が見たいものは見られなかった」という悔しさでした。

「はじめて訪れる町の景色は新鮮でしたが、いくら写真を撮ってみても表面をなぞっているような感覚は拭えませんでした。その土地を知り、撮影するということは簡単ではない。自分自身が町と向き合う姿勢を変える必要があると感じました」

そして、その思いが仁科さんを次の旅に向かわせたのです。


長崎県福江島で撮影した一枚