残業90%削減。現役小学校教諭「ギガ先生」が起こした“はたらき方改革”とは

うつ病による休職、退職——、公立学校での教員不足は深刻です。業務過多による過労が主な原因で、2023年10月には、教職員組合から「3,000人余りの教師が不足」とのデータも発表されました。

待ったなしの状況の中、教員のはたらき方を変えようと奮闘してきた、一人の小学校教諭がいます。教員歴11年の、柴田大翔さんです。

柴田さんは「ギガ先生」として、InstagramやVoicyで、教員が健全にはたらくための工夫や学級経営のノウハウを発信。SNSの総フォロワーは約2.2万人で、現役教員を中心としたファンから「素晴らしい」「参考になる」との声があがっています。

新任教師時代、ひと月あたり約120時間残業し、土日もどちらかは出勤……、というハードな生活を送っていた柴田さん。しかし、あることをきっかけに、「はたらき方を変えたい」と行動を起こします。自ら改革を実行し、5年の歳月をかけて、自身の残業時間を100時間ほど減らしました。

柴田さんを突き動かしたものは、なんだったのでしょうか。また、従来の風習が根強く残る教育現場で、どのように改革を実行していったのでしょうか。その努力や挫折、教師という仕事への想いを深掘りします。

厳しくも、愛あふれる恩師の影響で

柴田さんは1990年、大阪府で生まれました。

「物静かな子どもだったんですよ。人前で話すのも苦手だし、友達も多くない。勉強も、テストで100点を取ったことなんてほぼないですし、小学校時代はクラスで下から3番目くらいの成績でした」

そんな柴田さんが好きだったのは、小さな子どもの面倒をみることでした。柴田さんは長男で、自身にも弟と妹がいましたが、どちらかというとよその子の世話をするのが楽しかったと言います。

「教師になりたい」と思ったのは、小学4年生の時。当時担任だった女性教諭が、「怒ると怖いけれど、めちゃめちゃいい先生」だったのです。

「理科の授業のときに友達とはしゃいでいて、ビーカーを割ってしまったときはすごく怒られましたね。でも、だめな時はだめと叱ってくれて、できた時はこれでもかというくらい褒めてくれる人間味にあふれた先生で。小学校時代の先生の中でも、この先生のことは、ずば抜けて印象に残っています」

その想いが固まったのは、高校生で、いよいよ進路を決めるという時期。小4の時の同級生たちと「先生に会いに行こう!」と盛り上がる機会があったのです。「母校の近隣小学校で今も教師をしている」と聞きつけ、平日、高校が早く終わった日に先生の元を訪れました。

先生は授業中でしたが、8年前と変わらず、子どもたちと楽しそうに接していました。その姿を見て、柴田さんは決心します。

「やっぱり先生のようになりたい」

その後、府内の四天王寺大学の教育学部へ進学。卒業後に大阪市にある公立小学校ではたらき始めました。


(写真はイメージ)

「初日の朝、学校へ行くとすぐに職員会議が始まって。何がなんだか分からず、ほとんどが暗号のように聞こえましたね。一年目はほかの先生の補佐で、時折少人数指導を受け持つような役割だったのですが、それでもやらなければならないことが沢山ありました。今となっては、要領をつかむための大事な時期だったなと思います」

少人数指導とは、子どもの習熟度に合わせて一つの学級を2つ・3つに分けて行う授業のことです。

翌年、晴れて2年生の担任となった柴田さん。授業準備に十分な時間をかけることができた一年目とは違い、5〜6時間の授業を毎日一人で担当するため、朝8時半から14時〜15時ごろまでは休む間もありません。柴田さんのいた小学校は全学年で1,000人近い児童がいて、1クラスあたりの児童数は最大40人。ほかの学校と同様、慢性的な教員不足でした。

授業の合間や放課後に、テストの採点、翌日の授業準備、学年だよりの作成、保護者からの電話対応……。校務に追われる中、学級経営についても考えなければなりませんでした。

また数年後、結婚を機に大阪市郊外へ引っ越したため、通勤に片道1時間半がかかるように。朝6時に家を出て、22時ごろに帰宅する生活。仕事自体は苦ではありませんでしたが、「体力的にはしんどかった」と言います。

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自ら起こした“はたらき方改革”

転機は、教員歴7年目となった2019年。長男が生まれたのです。「世の中にこんなにも可愛い存在があるのか」、と柴田さんは思いました。一方、上記の生活が続いていたため、長男と顔を合わせる時間はほとんどありません。

「子どもが大きくなるのって一瞬じゃないですか。この生活をずっと続けていたら、せっかく産まれた長男とのかかわりがなくなってしまう。だから、今のこの時間を大事にしたい、と思いました」

朝の出発時間はずらすことができない。それなら、帰宅を早くできないだろうか。柴田さんは思い切って、それまでのはたらき方を変え、定時に帰る努力をしようと、自ら「はたらき方改革」を始めたのです。

「改革」と言っても大それたことではありません。時短術が書かれたビジネス書や教師向けのノウハウ本を読み、いいな、と思うものを一つ一つ取り入れ実行していきました。

職員室内で回ってきた回覧板やアンケートは受け取ったそばから回す。職員室と教室を何度も往復しなくて済むよう、それぞれの場所でできる仕事はまとめて終わらせる。ほかの先生に用事があるときには、都度探しに行かず、メールで問題のないものはメールで済ませる。

児童が自分でできるようなことは、彼らに協力を仰ぎました。

たとえば、忘れ物をした子は、クラスメイトに借りるか、先生に伝えて個別に対応してもらうのが一般的ですが、柴田さんはオリジナルの棚をつくり、児童が自分で持ち出せるようにしました。

「『貸してください』と一言声を掛ける、鉛筆なら削って返すなど、最低限のマナーを守りさえすればどんどん使っていいよ、と伝えています。人間はそもそも忘れ物をする生き物。そのせいで学習に集中できないのはもったいないですし、学校が嫌になってしまうのも悲しい。当たり前のように忘れる子には『次、どうしたら忘れないかな?』と一緒に考えますが、学習の機会を奪わない意味でも、この方法を取っています」

テストやドリルの採点も、一部を児童に託すようにしました。

「全教科をぼくが丸つけしていたある時、子どもたちの成長の機会を奪ってしまっているのかな? と感じて。ぼくは彼らが大人になるまで一緒にいられるわけじゃない。子どもたちが今の段階から、自分で解いて、丸つけをし、どこで間違えたのかを考えて、やり直しをして……という自主学習スタイルを身につけることが、子どもたちの成長につながると思いました」

また、教師の仕事の効率化には「安定した学級経営も欠かせない」と言います。

そのため教室内は常に整理整頓。どの子も落ち着いて授業を受けられるよう、あることもやめました。

それは、教室の前方に掲示物を貼ること。発達に特性のある子は、黒板のほかに目立つものが視界に入るとそちらに目がいき、集中力が削がれてしまうそうです。実際、掲示物を視界に入れないこの方法は効果絶大でした。

「子どもたちが笑顔で帰ること」も人一倍意識。「帰りの会」でじゃんけん大会をしたり、浮かない表情の子がいたら声をかけ、話を聞いたり——。子どもが楽しそうに帰ってくると保護者は安心し、学校に相談する機会が減ります。新任教師時代は「保護者からの電話にびくびくしていた」という柴田さんですが、放課後に鳴る電話の回数は格段に減りました。

自分で考える力がつく。勉強に集中できる。学校が楽しくなる。

柴田さんが実行したことの数々は、時短になるだけではなく、児童と保護者にもメリットがありました。

また特筆すべきは、ICTの積極活用です。柴田さんが在籍する小学校は、自治体の教育委員会に認定された「ICT教育推進校」。もともとWordやExcelも使いこなせなかった柴田さんですが、この時点でICTにかなり詳しくなっていました。

成績処理に数百もの関数に対応している表計算ソフトNumbersを用いたり、席替えアプリで席決めを一瞬で終わらせたり、保護者へのアンケートをGoogleフォームで送信したり。自らの裁量で変えられる部分はどんどんと変えて効率化し、残業時間を減らしていきました。

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