16歳で両足を失った葦原海さん、車椅子モデルとしてパリコレ出演する理由。

「主役はぜんぜん興味ないんですよ。オフィスのワンシーンに出てくるOL役とか、学園もののクラスメイトの一人とか、あえて見ようと思っているわけじゃないけど、自然と目に入るみたいな役がいいですね」

SNS総フォロワー数70万人を超えるモデルの葦原海(あしはらみゅう)さん。過去のインタビューで「もしドラマに出るなら、脇役で」とコメントしていたことについて質問すると、笑顔でこう答えました。「車椅子の人」が必ずしも主役のような特別なキャラクターではなく、むしろ当たり前の存在としてそこにいたいと願っているのです。

「私が出るドラマを大人が観たら、『車椅子の人』に注目するかもしれません。でも、子どもたちにとって当たり前の景色になっていたらいいなって」

2014年、16歳の時に交通事故で両脚を失った葦原さんは今、車椅子で生活しています。パリとミラノのファッションウィークでモデルに起用され、MISIAのアリーナツアーで車椅子バックダンサーを務めるなど華やかに活躍する彼女が脇役を望むのは、実現したい未来があるから。

驚くほどにまっすぐなその思いは、どのように育まれ、どのような未来に向かうのでしょうか?

「大道具」の仕事に憧れて

葦原さんは1997年生まれ、名古屋出身です。小さなころから菓子づくりや工作、絵を描くのが好きでした。そんな穏やかに過ごしてきた女の子の人生が一変したのは、小学校5年生の時です。父親の仕事の都合で引っ越した千葉県の小学校で、言葉のイントネーションの違いを発端にいじめが始まりました。

「靴に画びょうを入れられたり、教科書に落書きをされたりしていました。雪が降った日には、長靴に雪が詰められていましたね」

完全に孤立していたわけではなく、休み時間や放課後に話す友人のような子はいました。ただ、その子は矛先が自分に向くのを恐れ、いじめの現場を見ても助けてくれるわけではありません。「友だちってなに?」という疑問は人間への不信感となって、葦原さんの胸の奥底に沈んでいきました。

このころ、言葉のイントネーションを少しでも直そうとドラマを観るようになりました。ドラマが好きになり、年末、ドラマのNG特集を眺めていたら、たまたまドラマのセットの裏側ではたらいている人たちの姿が映ります。気になって調べてみると、「大道具」と呼ばれる仕事だと分かりました。もともと手先を動かすことが好きだった葦原さんは、大道具に憧れます。


手先が器用で、今もものづくりが好きだという葦原さん

「テレビを観た時、セットチェンジをしたりしていて、一つの空間をいろいろつくり込んでいるのがすごいなって思ったんですよね。ドラマってワンクールで終わるから、3カ月、4カ月でつくるものも変わるし、大道具って楽しそうだなって思いました」

中学校に上がり、環境が変わるといじめは落ち着きました。ところが、再び引っ越すことになり、千葉県内の新しい中学校に入るとまた風向きが変わります。転校生として疎外感を感じたり、クラスの生徒にいじられたりと、再び憂うつな生活が始まりました。

心休まらない日々の中でも学校には通い続けました。それは、大道具の仕事に就くために行こうと決めた専門学校があったからです。

その専門学校に行くには、まず高校に進学する必要があります。勉強が得意ではなかったから、せめて内申点を良くしようと皆勤賞を取りました。目標を決めたら、逆風の中でも歩みを止めない。それは中学生の時から今も変わりません。

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両脚がないことを知った日

交通事故に遭ったのは2014年、高校1年生のときでした。今もその日の記憶はないと言います。事故から10日後、一瞬だけ目が覚めました。その時、ベッドサイドに両親と医師がいて、「分かる?」と聞いてきた母親に頷いたことだけは覚えているそうです。

両脚がないことを知ったのは、入院から1ヵ月後。ベッドの上でシーツを直した時に、気が付きました。それだけ時間がかかったのは、「骨盤にひびがあるから動かないように」と指示されて寝たきりの状態だったことに加えて、事故前と変わらない脚の感覚があったから(幻肢と言います)。

診察に来た医師に脚のことを確認すると、「またちゃんと説明させて」と言われました。病室には鏡もないし、身体を起こすこともできず、自分がどんな状態か分かりません。医師の反応を見て、悪い想像が膨らみます。

翌日、両親立ち合いのもとで医師から説明を受けました。事故直後、脚の傷口から菌が入ってしまうと命の危険があったため、脚を切断するしかなかったと聞ききましたが、ショックは受けませんでした。

「何がどうなっているのか分からないほうが、いろんなことを考えてしまうじゃないですか。もしかしたら顔も酷い状態なのかもしれないとか、体を起こせなくなるかもしれないとか。だからスッキリした気持ちが強くて、足だけで良かったと思いました。それに、脚がない人を見たことがなかったし、どういう生活をしているのかも知らなかったから、脚がないと言われても、何が大変なのか思いつかなかったんですよね」

想像したより、酷い状態じゃなかった。それをポジティブに受け止めた葦原さんは、入院から半年後に始まったリハビリにも励みました。ほとんど身体を動かしていなかったこともあり、上半身の筋肉はずいぶんと衰えていました。当初は、500ミリリットルのペットボトルを20回持ち上げることもできなかったと言います。その状態から筋肉をつけ、自力で床から車椅子に移る動作ができるようになるまでに、3ヵ月間。リハビリはハードでしたが、めげることはありませんでした。

「自立できないとヘルパーをつけながら生活することになるんですけど、私はそれが想像できなかったんですよね。だから、リハビリが辛いとかしんどいっていうより、早くなんでも一人でできるようになりたいっていう一心でした」