『力道山未亡人』細田昌志 

『力道山未亡人』小学館/1800円

細田昌志(ほそだ・まさし)

1971年岡山市生まれ、鳥取市育ち。鳥取城北高校卒業。リングアナウンサー、CSキャスター、放送作家を経て作家に。23年『力道山未亡人』で第30回小学館ノンフィクション大賞を受賞。

――力道山未亡人の田中敬子さんのことを書こうと思ったきっかけは、なんだったのですか?

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細田 彼女のことは以前からその存在は知っていましたが、さほど関心があったわけではありませんでした。ただ、生前の安部譲二さんから「俺は彼女と古い知り合いだけど、再婚しなかった理由を知りたい。俺の代わりに聞き出してくれ」と頼まれました(笑)。彼女が力道山と結婚したのが1963年初夏。それからわずか半年で死別して、60年間独身を貫いた。普通は再婚するでしょう。考えれば考えるほど気になってしまったのです。

――実際に取材してみてどんな人物でしたか?

細田 一見ふわふわしているように見えますが、実際は相当頭の切れる人でした。頭の回転が速くて当意即妙。若い頃はその頭脳をフルに活用していたはずです。でも、頭のよさをひけらかすようなことはなくて、とても優しい人でもありました。常に弱者の視点に立っていて、そのことも印象に残っています。

アントニオ猪木“破門”の真相は…

――力道山の死後、30億円の負債を抱えたといいますが、なぜ相続を放棄しなかったのでしょうか?

細田 それは拙著の肝なのでここで明かすわけにはいきませんが、ネタバレにならない程度に触れるなら、この時期の彼女の脳裏に亡夫・力道山の存在があったのは無視できない。「夫ならどうする?」というクエスチョンこそ彼女の行動原理だったはずで、何をするにしても「夫に見守られている」と感じていたとも想像がつきます。そんな22歳の未亡人の複雑な感情の機微も読み取ってほしいです。

――力道山十三回忌興行に参加しなかったアントニオ猪木を、田中さんが破門したという話には裏があったそうですね。

細田 75年12月11日は、日本のプロレス史に残る記念日です。日本武道館で行われた『力道山十三回忌記念追善大試合』と、蔵前国技館で行われた『アントニオ猪木対ビル・ロビンソン』。この興行大戦争に、彼女は前者の主催者として送り込まれます。通史では「力道山未亡人は、アントニオ猪木に破門状を送った」ことになっていますが、その真相は…。錦の御旗を奪い合うのが戦争だとすれば、このときは力道山未亡人を奪い合う形となります。どちらも「力道山の正統な後継者」という称号を欲していたからです。約半世紀前に、右翼やヤクザまで巻き込んで繰り広げられた戦争に〝ふわふわ系〟の未亡人が先頭に立たされた事実は知っておいてほしい。ぜひとも、手に取って読んでいただきたいです。

(聞き手/程原ケン)