タレントの明石家さんま(68歳)が、6月29日に放送されたバラエティ番組「痛快!明石家電視台」(毎日放送)に出演。関西弁が広がったのは“佐藤浩市のおかげ”だと語った。  

さんまが7月1日に69歳の誕生日を迎えるため、番組は今回、“明石家さんま検定”と題した誕生日企画を実施。その中で、ゲスト出演した親交深い俳優・佐藤浩市(63歳)のおかげで、関西弁が全国に広がったというエピソードが語られた。

それは今から45年ほど前のこと。さんまによると、映画「次郎長青春篇・つっぱり清水港」の撮影中に、島田紳助・松本竜介、佐藤浩市、さんまで「(東京の)ちっちゃなディスコみたいなところに行ったのよ。それで、浩市くんの友だちがいたの、その店に。浩市くんが俺らとしゃべってるから、(その友だちが)『浩市、なにしてんだよ?』ってきたの。ほんだら『ちゃうねん、向こう行って』って大阪弁のマネをしたの。そしたら(その友だちに)『やめろよ、お前。イモくせぇ喋りよぉ』って言われたの、俺ら。俺ら3人(さんま、島田紳助、松本竜介)が顔を見合わせて『イ、イ、イ、イ、イモ…? 俺たちイモ?』ってなったの」と、そのときの出来事を振り返る。

佐藤は「45年近く前だと、まだそんなに関西弁はポピュラーじゃなかった。関東のほうでは。だからそういうのもあったと思う」と時代的な背景を説明。

さんまはこの一件で「大阪弁(関西弁)をやめたほうがいいのか…いや、違う。このまま突っ走ろう」と決意したそうで、「これで恋愛ドラマの主人公やろうっていうのが、そこから5年後に『男女7人夏物語』っていうドラマに。一応、大阪弁の恋愛ドラマの主役はとれたんで、ヨッシャ!っていう。ガッツポーズ」をしたと語った。